第25話 約束
私がおにぎりを食べ終えても、彼は長いこと動かなかった。
この世界に何かしらのバグが起きてフリーズしてしまったのかもしれない。
本気でそう思うほどに、重く長い沈黙だった。
「……仮に」
やがて顔をあげた彼は、酷く憔悴した声で言った。
「君の言っていることが全て本当だとして、この世界が、はりぼての作り物だったとして……。君は、これからどうするの?」
「どうって……」
私は首を振った。
「わからないよ。私はこれからどうすればいいの? もし捕まったら、どうなってしまうの?」
質問に質問で返すのは好きではないけれど、この時ばかりはそうするしかなかった。
彼は言い淀む。
けれどすぐに、まるで自傷でもするかのように端的に言った。
「首を刎ねられるだろうね」
後でこっそりと解放してくれる王様は、もうどこにもいないのだ。
「どうにかして、助かる方法はないかな」
私の声は情けないほど震えていた。
「それは逃げ延びるって意味じゃなくて、元の世界に戻るって意味だよね」
私が頷くと、彼は考え込むように黙った。
「……重い罪を犯した者が、国外追放に処されることがある」
「国外追放?」
なぜそんな話になるのだろう。
国外追放になったところで、この世界から抜け出すことは出来ないんじゃ——と、そこまで考えて、ようやく彼の言わんとすることに思い至った。
ここは『不思議の国』という名の世界なのだ。
つまり国から追われるということは、イコールで世界から放り出されるということなのだ。
そうなれば、確かに元の世界に戻れるかもしれない。
「いや、駄目だ」
彼は口惜しそうに首を振る。
「ど、どうして?」
「君が犯した罪は、あまりに重すぎる」
到底、国外追放で済まされることじゃない、と彼は言った。
「さっき私がした話をしても、駄目かな」
「駄目だろうね。女王様が聞き入れてくれるとは思えない。仮に信じてもらえたとしても、王様を殺害したことは事実なんだ。斬首は免れないよ」
「ほ、他に方法はないの?」
「……俺は知らない」
彼は弱々しい声で言ってから「でも」と覚悟を決めるように続けた。
「この国から出る方法を知ってるかもしれない人に、心当たりはある」
「本当っ」
思わず声が大きくなる。
「その人はずっと昔から——この国が誕生するよりも以前から、この世に存在しているらしい。噂によると、もう千年以上も生きてるとか。この国の誰よりも多くの知識を有していて、女王様ですらその人には逆らえないんだ」
「そんな人が、この世界にはいるんだ」
そんな理を超えた人物なら、確かにこの世界から抜け出す方法だって知っているかもしれない。
希望が芽生え、そこからふつふつと気力が湧いてくる。
「その人がいる場所を教えてっ」
でも私の胸中とは対照的に、彼の表情は硬いものだった。
「いいよ。案内するからついてきて」
決然と言い、彼は立ち上がろうとする。
私は慌てて引き留めた。
「そこまでしてもらわなくてもいいの。ただ道順を教えてくれるだけで」
「たどり着けるわけないよ」
「そんなの、わからないでしょ」
「仮にたどり着けたとして、そこからどうするつもり? 相手をどうやって説得するの?」
「それは……」
彼の言う通りだった。
私は王様を殺した大罪人なのだ。
相手が話を聞いてくれるとは思えない。
でもだからこそ、彼に道案内を頼むわけにはいかなかった。
たとえ形を模した偽物にすぎなくても、彼を危険にさらしたくなかった。
「そ、そうだ。君が一人で尋ねに行くってのはどうかな。全部を任せてしまうみたいで申し訳ないけど、もしわからなかったら、私のことはそのまま放っておいてもらっていいから」
それなら、彼の裏切り行為が露呈することはないはずだ。
私はここで待っていればいい。
自分の手すら見えないような暗闇の中、戻ってくるかもわからない彼を、あるいは別の誰かがギロチン台を引きずってくるのを、ただ膝を抱えて待っていればいい。
でも彼は首を振る。
私がぱっと思いつくような案は、すでに検討済みなのだろう。
「ただ国から出る方法を尋ねても、素直に教えてもらえるとは思えない。むしろ変に隠し事をすれば、感づかれてしまう恐れがある。それなら最初から、君のことを全て話してしまった方がいい」
「でも信じてもらえなかったら」
「俺は信じたんだ。だから、その人も、きっと信じてくれる」
彼は自分に言い聞かせるように言った。
その考えが楽観的過ぎることを、彼自身が理解しているのだ。
私は逡巡する。
結論が出るまでに、そう時間はかからなかった。
私は首を横に振った。
「なんで」
彼は声を張り、すぐに口をつぐんだ。
幾分か声を潜めながら、それでも厳しい口調のまま続けた。
「他に方法はないんだ。ここに隠れていたって、いつか必ず見つかって首を刎ねられる」
「その時はその時だよ」と私は言った。「その時は、それでもいいよ」
私は王様を殺したのだ。
死にたくはないけれど、誰かを危険に晒してまで助かりたいとも思わない。
彼は私を責めるように睨み付け、やがて呆れたように嘆息して立ち上がった。
救いようがないと判断したのだろう。
私はほっと胸を撫で下ろした。
全身から力が抜ける。
その反応に、彼は疑念を抱いたようだった。
しまった——そう思った時には手遅れだった。
「……俺を巻き込まないため?」
答えられない。
肯定も否定も、あるいは沈黙すらもここでは同義だった。
彼は何かを言おうとし、けれど結局は口にしなかった。
生半可な説得では私が応じないと思ったのだろう。
長い時間考え込んでから、ようやく口を開いた。
「全部君のせいにする。もし捕まって、逃走幇助の罪に問われても、君に脅されたことにする。そうすれば、そうひどい仕打ちは受けないはずだ」
確かにそれなら、万が一の時も彼は無事に済むだろう。
私は迷ってから「約束して」と言った。
「絶対に、全部私のせいにするって」
「約束する」
「絶対だよ。私が首を刎ねられることになっても、庇ったりしないって、約束して」
念を押すと、彼は億劫そうに視線をそらした。
「わかってるって」
彼の手首をつかみ、こちらを向かせる。
私の剣幕に目を見張り、それから彼は真剣な表情で頷いた。
それでも私は彼の目をじっと見つめ、ちゃんと明言してくれるまで待った。
やがて彼は言う。
「もし君が首を刎ねられるようなことになっても、庇ったりしない。全部君のせいにして、俺は罪を免れる。——約束するよ」
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