第23話 がらくた部屋
豪奢な扉を押し開けて中に飛び込んだ。
そこはがらくたがうず高く積み上げられた倉庫のような部屋だった。
扉を閉めると辺りは暗闇に包まれる。
手探りで物陰を探して膝を抱えて丸くなった。
複数の足音と怒声がする。
声は狭い部屋の中で反響し、意味をもたない化物の唸り声のように私には聞こえた。
あるいはそれは事実なのかもしれない。
この世界の住人がどんな姿をしているのか、私は知らなかった。
本来は、そんなものいるはずがないのだ。
この世界の登場人物は、アリスとハートの女王と白ウサギとトランプ兵と王様だけのはずなのだから。
それなのに、そのはずなのに、どうして……。
ふと、真帆ちゃんの言葉を思い出した。
――筋書からそれたものは、えてして破綻し崩壊するものよ。
この世界も、きっとそうなってしまったのだろう。
脚本に背いたその瞬間に、くだらないコメディは破綻してしまったのだ。
誰も傷つくことのないこの世界の法則は崩壊してしまったのだ。
私はこれからどうなるのだろう。
捕らえられ、裁判にかけられるのだろうか。
そして、その後は?
斬首。
その言葉が脳裏をよぎる。
首筋に寒気が走った。
王様は本当に死んでしまったのだろうか。
もしかしたらトランプ兵たちと同じように、案外しれっと復活しているかもしれない。
今の騒ぎだって、お調子者の瀬川がいつも教室でするように、ただ意味もなく騒いでいるだけのことかもしれない。
このまま誰かに見つかって捕らえられたとしても、そこまでひどい仕打ちは受けないんじゃないか。
(そうだ、そうだ、そうに違いない……)
私は自分に言い聞かせる。
違うとわかっているからこそ必死に、何度も、何度も、何度も――
私の腕には未だに、王様の胸を貫いた槍の感触が残っていた。
それは温度を持った柔らかい何かが纏わりつくような、実感のともなう生々しいものだった。
王様は死んだのだ。
私が、殺したのだ。
ふと、動揺と恐怖で混濁していた意識が覚醒する。
妄想にとらわれていた視界が、がらくたの山を映し出す。
一瞬、何が私を現実に引き戻したのかわからなかった。
ごそりと物音がする。
足音と怒声が、さっきよりもずっと鮮明に私の耳に届く。
誰かが扉を開けて部屋に入ってきたのだ。
影が、がらくたの上を這うように、たえず形を変えながら近づいてくる。
目をつむり、息を殺した。
心臓が私を責め立てるように早鐘を打つ。
「……ハジメ」
どうしてそこで、もう一年以上も呼んでいない幼馴染の名を口にしたのか、自分でもわからない。
ただ自然と、私の口からすがるようにこぼれ出ていた。
足音がぴたりと止まる。
がらくたの向こうから何者かの動揺が伝わってくる。
「誰か、いるのか」
幻聴かと思った。
ありえない。
そんなわけがない。
きっと何かの間違いだ。
そう頭では考えながらも、私は衝動的に物陰から飛び出していた。
「あぁ……」
声が漏れる。
目の前にしてもなお信じられなかった。
「どうして、こんなところにいるの?」
そこには見知った相手がいた。
いるはずのない幼馴染がいた。
狂喜に振るえそうになる。
彼が救いに来てくれたのだと、私の窮地に駆けつけてくれたのだと、そう思った。
けれど——そんな甘い考えは、すぐに打ち砕かれてしまう。
「う、動くなっ」
彼はがらくたの山を崩しながら後退った。
敵意と怯えの混ざった眼差し。
その目は女王の虚な目よりもずっと深く、私の心を抉った。
「お前が、アリスか?」
彼がハートのAの柄が描かれた白いポロシャツを着ていることに、今さらのように気がつく。
私の落胆は、どうしようもなく深いものだった。
何を期待していたのだろう。
破綻したこの世界に、登場しないはずのものがたくさん現れた。
この部屋だってそうだ。
この部屋も、このがらくたの山も、本来は存在しないもののはずだった。
この世界には不要なもののはずだった。
それらはきっと、破綻した世界の辻褄を合わせるために必要だったのだろう。
その中に波戸が――波戸の姿をしたトランプ兵がいて何もおかしくはない。
姿が同じでも彼らは別人だ。
ハートの女王がそうだったように。
――あなたは誰?
あれは脚本の台詞だったけれど、彼女は本当に私のことを知らない様子だった。
同時に、私の知らない誰かだった。
ここはそういう世界なのだ。
私は力なく笑う。
「そうだよ。私がアリス」
堪えようと下唇を噛んだ時には、涙はもうあふれ出していた。
「どうかしたのか? すげえ音がしたけど」
部屋の入り口から、聞き覚えのない胴間声がした。
この世界の住人だろうか。
がらくたに遮られて姿は見えないけれど、影の形は普通の人間と変わらなかった。
「……なんでもないよ。躓いてがらくたが崩れただけ」
幼馴染の姿をした彼は私に背を向け、胴間声の人物と共に部屋を出ていく。
扉が閉められると、また辺りは暗闇に包まれた。
私はしばらく呆然と佇み、やがてぺたりとその場にへたり込む。
なぜ彼は私の存在を隠したのだろう。
そこには私の知らない、この国のルールが何かあるのかもしれない。
それとも単純に私を恐れたのだろうか。
トランプ兵を蹴散らし王様を殺害するような相手だ。
胴間声と二人だけだと分が悪いと判断したのかもしれない。
これから一刻の猶予を挟み、私を裁かんとする者を大勢引き連れて戻ってくるのかもしれない。
――違う。
理屈じゃなかった。
直感的に、彼は自らの意志で私を見逃したのだと思った。
そして彼は誰にも告げることなく、一人でここに戻ってくる。
それはただの願望でしかないのかもしれないけれど、なぜか確信があった。
不思議と、私は落ち着きを取り戻していた。
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