触れたのは、偶然ではない
その日、公園はやけに静かだった。
風がない。
枝も葉も動かない。
遠くで鳴っていたはずの音が、どこかに置き去りにされたみたいに消えている。
時間だけが、少し遅れて流れているような感覚。
軽いはずの空気が、今日はやけに重くて、息を吸うたびにほんの少しだけ引っかかる。
――理由は分かっている。
考えなくても、もう分かっている。
ここに来る理由が、変わり始めている。
最初はただのルールだった。
更新のため。
毎日を繋ぐための、形だけの約束。
それでよかったはずなのに。
気づけば、それだけじゃ足りなくなっている。
更新のためじゃない。
そう言い切ってしまえば楽なのに、どこかでまだそれに頼っている自分がいる。
言葉にしてしまえば、何かが変わってしまいそうで。
踏み込めないまま、足だけが進む。
砂を踏む音が、小さく鳴る。
一歩ごとに、同じ音。
――なのに、今日はやけにはっきり聞こえた。
視線を上げる。
ブランコの方へ。
「……いた」
小さく息が漏れる。
ミアがいる。
ブランコに座ったまま、背中を少し丸めて、鎖を軽く握っている。
足は地面についたまま、揺れていない。
ただ、そこにいるだけ。
――でも。
違和感が残る。
知らない男が、二人。
ミアのすぐ近くにいる。
近い。
一歩で触れられる距離。
それが、明らかにおかしい。
男たちは笑っている。
軽い調子で、何かを話している。
声は聞こえない。
でも分かる。
深く考えていない声。
ただの会話。
それだけのはずなのに――
ここには、合っていない。
ミアは動かない。
顔を上げない。
返事もしない。
それでも、男たちは離れない。
少しずつ。
確実に。
距離を詰めている。
ブランコの鎖が、わずかに鳴る。
その音が、やけに耳に残る。
――見ていて、気持ちがよくない。
胸の奥に、小さく引っかかる。
「なにしてんの」
気づいたときには、声が出ていた。
空気を切るみたいに。
二人の視線が同時に向く。
軽かった空気が、一瞬だけ止まる。
ミアが顔を上げる。
目が合う。
ほんのわずかに揺れた色。
「……知り合い?」
男の一人が言う。
探るような視線。
値踏みするような目。
「だったらなに」
短く返す。
それ以上は言わない。
でも、否定はしない。
そのまま距離を詰める。
ミアの隣に立つ。
当たり前みたいに、間に入る。
「彼氏?」
もう一人が笑う。
「関係ないだろ」
即答する。
引く気はない。
一瞬の間。
「待たせてごめん、行こっか」
ミアを見る。
視線が合う。
「行こ」
手を差し出す。
引っ張らない。急かさない。
ただ、そこに置く。
ミアが、少しだけ息を吸う。
それから――
手を取った。
ゆっくり立ち上がる。
鎖が鳴る。
止まっていたブランコが、ほんの少しだけ揺れた。
「……うん」
かすれた声。
でも、ちゃんと返ってくる。
それで十分だった。
そのまま並んで歩き出す。
二人の横を通り過ぎる。
視線は向けない。
止まらない。
それが一番早い。
何も言われないまま、公園を抜ける。
外に出た瞬間、空気が少し軽くなる。
「……大丈夫か」
「……ごめんなさい」
小さな声。
意味が分からない。
「なんで謝るんだよ」
「……巻き込んだので」
「勝手に来ただけだろ」
そこで区切る。
それ以上は言わせない。
沈黙が落ちる。
さっきより、静かで――でも、軽い。
「……ああいうの」
ミアがぽつりと言う。
「苦手で」
「動けなくなるよな」
少しの間。
「……固まっちゃうので」
並んで歩く。
足音だけが続く。
「……ねえ」
「ん」
「さっきの」
少しだけ間が空く。
「……ありがとう」
落ちるみたいに言う。
静かに。
でも、ちゃんと届く。
「……どういたしまして」
変えない。
変えない方がいい。
そのまま歩く。
夕方の光が伸びる。
影が、二つ並ぶ。
「……ちゃんと」
ミアが呟く。
「来てくれたんですね」
「ああ」
それだけでいい。
しばらく、何も言わない。
――それでも、分かる。
繋いだ手が、ずっと離れていない。
気づけば、ずっと。
離す理由もないまま。
ミアも離さない。
ほんの少しだけ、力が入る。
「……更新は」
いつもの言葉。
でも、違う。
繋いだまま聞かれると、意味が変わる。
軽く手を持ち上げる。
「今日はこれでいいだろ」
冗談みたいに言う。
でも、本気で。
ミアはすぐに答えない。
俯いたまま。
指に、少しだけ力が入る。
「……ズルいです」
かすれた声。
困っているのに、嫌じゃない。
むしろ――受け止めている。
「知ってる」
短く返す。
そのまま歩く。
手は離さない。
ミアも離さない。
夕方の光が、長く伸びる。
影が並ぶ。
重なりそうで、重ならない。
でも――
さっきより、確実に近い。




