第50話 同じ朝
朝のホームは人が多かった。
夜に来る時とは、同じ駅と思えないほど違っている。改札へ向かう人、階段を上る人、遅刻しそうな顔で走っていく学生。誰も足を止めず、それぞれの行き先へ向かって前へ進んでいた。
春休みの夜、ホームの奥で時間を潰していた場所と、本当に同じ駅なのかと思うくらいに。
ミアは人の流れに押されながら、白線へ近づかないよう足元を見て歩いた。
春休みが終わり、学校が始まって、二週間ほど経っていた。制服を着て、朝の電車へ乗って、学校へ向かう。前と同じ朝のはずなのに、駅の発車音が鳴るたび、夜のホームを思い出す。
『もう来なくていい』
あの時、私はそう言った。
湊のために。疲れていても、用事があっても、湊はきっと来てしまう。放っておけない顔をして、また夜のホームへ来て、コンビニ、公園、今日の理由を一緒に探してくれる。
それが嬉しくなかったわけじゃない。嬉しかったからこそ駄目だった。
あの時間が増えるほど、湊の帰り道に私が入り込んでいく。二十時になるとホームへ向かうことが、湊の中で当たり前になってしまう。
私のせいで、湊の時間が変わっていく。それは駄目だと思った。私のために、大事な時間を使い続けていい人じゃない。
だから終わらせた。
そう決めたのに、また思い出す。
春休みの夜を
『 今日の理由 』
彼の言葉を。
そんなことを考えているうちに、校門をくぐっていた。教室へ向かう廊下には話し声が広がっている。昼休みに購買へ行く約束や、放課後どこへ寄るかを話す声が。
教室へ入り、窓際の席へ座る。前の席では、次の模試の話をしていた。斜め前では、明日の予定を話している。
みんな当たり前みたいに先の話をしていて、私には遠い言葉に聞こえてしまう。
学校は嫌いじゃない。
けれど、ここにいると今日より先の予定を持っていないことを思い知らされる。
朝のホームよりは静かなはずなのに、教室の方が落ち着かない。誰かの笑い声が上がるたび、ミアは机の端に置いた指を折り込んだ。
窓の外へ、自然と視線が向く。
体育館へ続く外通路を、男子生徒が二人歩いていた。片方は身振りを交えながら話していて、隣の男子は片手をポケットへ入れたまま聞いている。片方の男子がこちらを向いた気がしたけれど、距離があるせいで、顔までははっきり見えない。
話している方の男子が大きく手を動かし、隣の男子が肩だけで返す。そのまま二人は外通路の角へ向かって歩いていく。春の風が吹いて、制服の裾が揺れていた。
チャイムが鳴り、教室の椅子があちこちで音を立てる。ミアは窓から視線を戻した。もう一度外を見た時には、二人の姿は見えなくなっていた。
*
朝の昇降口は混んでいた。湊は靴を履き替え、下駄箱の前で鞄を持ち直す。隣では郁人が、昨日見た動画の話をまだ続けていた。歩きながら話題が変わるのに、声の大きさだけは変わらない。
「だからさ、そこで告白する流れだったわけ。絶対いけると思うじゃん」
「動画の話だろ」
「現実でも勉強になるだろ、こういうのは」
「ならないと思う」
湊が返すと、郁人は大げさに肩を落とした。廊下へ出ると、同じ方向へ向かう生徒で前が詰まっている。階段の近くでは、先生が走るなと注意していた。
「湊って、こういう話にほんと冷めてるよな」
「朝から聞く話じゃないだろ」
「朝だからいいんだよ。昼には忘れるし」
忘れる前提で話すなよ、と言いかけて、湊はやめた。郁人は放っておいても勝手に続ける。そういう騒がしさに助けられる日があることも、分かっていた。
春休みが終わって二週間。学校の時間へ戻っている自覚はある。彩音と話すことも増えたし、家へ帰れば紬がいる。放課後にはバイトがあって、朝になればまた学校へ来る。
それでも、夜が近づく時間になると、ホームの奥を思い出す日があった。ミアの声が、電車の音より先に戻ってくる。
『 今日の理由 』
自分で言ったことも覚えている。
『もう来なくていい』
そう言われたことも覚えている。
来なくていいと言われた場所へ何度か行った。
その都度会えなかった。だからもう終わった話だと思うことにしていた。
「おい、聞いてるか?」
郁人が横から顔を覗き込んでくる。
「聞いてる」
「じゃあ俺なんの話してた?」
「告白」
「動画の感想だよ。ほんとに話しを聞いてないやつだな!まぁいいか、それでさー」
その言い方がおかしくて、湊は息だけで笑った。郁人が何か言い返そうとしたところで、前の生徒の流れが止まる。階段の上から先生が降りてきて、数人が慌てて端へ寄った。
そのまま外通路へ出る。体育館へ続く通路は、朝の光が斜めに入っていた。風が吹き、制服の裾が揺れる。郁人は身振りを交えながら、また別の話を始めていた。
「でさ、昨日の返信がまた絶妙で」
「まだ続くのか」
「ここからが本題なんだって」
湊は半分だけ聞きながら、校舎側の窓へ視線を向けた。窓際の席に女子が座っている。距離があって顔までは分からない。けれど、窓の外を見ていたその子が、チャイムの音でゆっくり前を向いた。
その動きに、なぜか目が止まった。
「湊?」
郁人の声で、湊は視線を戻した。
「今、何見てたんだよ」
「何でもない」
「その顔で何でもないは無理あるだろ」
湊は返事をしないまま、歩き出す。もう一度だけ校舎側の窓を見る頃には、さっきの女子は前を向いていて、外からは横顔も見えなくなっていた。
外通路の角を曲がる。
郁人の声がまた隣で続く。湊はそれを聞きながら、夜のホームで会っていた少女のことを思い出す。けれど、すぐに違うと考え直した。
ミアの私服姿しか知らない。昼の学校で、制服を着て机に座っている姿なんて見たことがないのだから。
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