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駅で出会った女の子と不思議な関係に。明日も死にたくなる彼女に、俺は毎日、生きる理由を渡すことになった。  作者: 逢華 (最後の挑戦)
新学期、更新のない日々 (家族編)

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第42話 零時のおやすみ

テーブルの上で、スマホが震えた。低い振動音が紅茶のカップに触れて、静かなリビングへ鈍く広がる。湊はコップへ伸ばしかけた手を止め、画面に表示された名前を見た。


父さん、と出ている。海外出張へ行ってから、電話の来る時間が家の時計と噛み合わなくなった。向こうではまだ昼なのかもしれない。


「父さんから」


湊が通話を取ってスピーカーへ切り替えると、紬も白い箱へ置いていた手を引いた。スマホをテーブルの真ん中へ置くと、数拍遅れて、聞き慣れた声がリビングに流れる。


『湊、誕生日おめでとう』


「ありがとう」


電話越しの声は、近いようで遠かった。背後に人の動く気配が混じり、こちらのリビングにある換気扇の音と重なる。


『ケーキ、食べたか?』


「食べたよ。紬が取ってきてくれた」


『そっか。紬ちゃん、ありがとな』


紬は相手に見えていないのに、背筋を整えた。膝の上にあった白い箱をそっと支え直し、声の方へ向き直る。


「いえ。無事に持って帰れたので」


そこで、電話の向こうに別の声が近づいた。落ち着いた、やわらかい声。紬の母親だった。


『紬』


呼ばれた瞬間、紬の指が止まった。箱の角に触れたまま、視線だけがテーブルへ落ちる。


『少し早いけど、誕生日おめでとう』


換気扇の音が耳へ残った。窓の外を走る車の音も、今だけ遠くなる。まだ日付は変わっていない。それでも、紬の誕生日がすぐそこまで来ていることだけは、部屋の時計を見なくても分かった。


紬はすぐに答えなかった。白い箱の角を押さえていた指が離れ、膝の上で一度だけ重なる。


「……ありがとうございます」


声は静かだった。けれど、電話の向こうへきちんと届く強さがあった。


『プレゼント送ったから。後日届くと思う』


「そんな、いいのに」


『誕生日なんだから』


紬は言葉を返しかけて、やめた。代わりに、箱の向きを整える。きれいに揃えた角へ視線を落としたまま、もう一度だけ口を開く。


「……ありがとうございます」


電話の向こうで、誰かが歩く音がした。受話口が揺れたのか、声の距離が変わる。それから、湊の父親の声が戻ってきた。


『二人とも、仲良くな』


その言葉だけが、思ったより長く部屋に残った。湊はテーブルの上を見る。黒い箱と白い箱が、同じ向きで並んでいる。


「うん」


湊が答えると、隣で紬も遅れて頷いた。


「……はい」


『来月には帰るから』


「分かった」


『じゃあ、また連絡する』


通話が切れる。


暗くなったスマホの画面が、テーブルの上へ照明をぼんやり映していた。紅茶の香りだけがまだ残っていて、ケーキの甘さも、部屋の空気へ薄く混ざっている。


紬はすぐには立たなかった。


カップへ手を伸ばし、冷め始めた紅茶をひと口だけ飲む。戻したあとも、そのまま取っ手へ指が残っていた。


湊はコップの水を飲み切る。


氷はもう溶けていて、冷たさだけが喉へ落ちていく。空になったコップを置いた時、向かい側で紬が口を開いた。


「明日、友達と遊びに行ってきます」


紬はカップへ視線を落としたまま、続ける。


「帰り、夕方くらいになると思います」


「分かった」


明日は土曜日で、湊はバイトも休み。

特に予定も入っていない。


テーブルには、使い終えたフォークと飲みかけの紅茶が残っていた。さっきまで誕生日の話をしていたのに、気づけばもう明日の話になっている。


「楽しんできな」


自然に出た言葉だった。


紬の動きが止まる。


返事はすぐには返ってこない。カップへ落ちていた視線がそのまま留まり、取っ手へ添えられていた指だけが動かなくなる。


「……はい」


ひと呼吸ぶん遅れて返事が落ちた。


紬はそのまま紅茶へ口をつける。冷めた紅茶を飲み込んでから、カップを静かに置いた。


「じゃあ、先にお風呂入ってきますね」


紅茶を飲み終えたあと、紬がカップを持ったまま言った。湊は空になったコップを手に取り、顔を上げる。


「ここはやるからゆっくり入ってきな」


紬は頷いて立ち上がった。椅子を戻す音が床へ軽く残り、そのまま流しへカップを運ぶ。蛇口をひねる音がして、洗い終えた手を拭いてから、紬は部屋へ戻っていく。


着替えを取りに行く足音が廊下の奥へ消えて、しばらくしてまた戻る。脱衣所の扉が閉まったあと、浴室から湯の流れる音が聞こえ始めた。


湊はテーブルへ残ったものを片付ける。


使い終えたフォークを重ね、コップを流しへ持っていく。ケーキの甘さがまだ少し口に残っていた。洗い終えた皿を水切りへ置いて、水を止める。


家の中が静かになる。


浴室から聞こえるシャワーの音だけが続いている。


数日前、ショッピングモールで立ち止まった売り場を思い出す。黒を見ていた自分と、白を手に取っていた紬。同じものを選ぶなんて、あの時は思わなかった。


冷蔵庫から水を出してコップへ注ぐ。ひと口飲んだところで、浴室の扉が開く音がした。続いてドライヤーの音が聞こえて、しばらくして止まる。


洗面所の方から戻ってきた紬は、髪がまだ乾ききっていなかった。首へ掛けたタオルで毛先を押さえながら、リビングの入口で足を止める。


「湊、お風呂どうぞ」


「ありがとう」


……30分後


湊が髪を拭きながらリビングへ戻ると、照明はまだついていた。

テーブルの上には空になったカップだけが残っていて、紬はスマホを見ているでもなく、膝に置いたクッションへ腕を預けていた。


「まだ起きてたんだ」


湊が冷蔵庫を開け、水を取りながら言うと、紬は顔を上げる。


「明日の準備してました」


ソファの横にはトートバッグが置かれていた。財布、ポーチ、折りたたんだハンカチ。忘れ物がないか確認したのだろう。きちんと揃えられていて、紬らしかった。


「そっか」


湊はコップへ水を注ぐ。


風呂上がりの熱がまだ残っていて、水が思ったより冷たく感じる。ひと口飲んでリビングを見ると、紬はまだソファへ座ったまま。


日付が変わるまで、あと少しだった。


紬も時間は分かっているはずなのに、急いで部屋へ戻ろうとはしない。ソファへ座ったまま、指先でクッションの端を整えていた。


あと一分。


あと三十秒。


湊はコップをテーブルへ置く。

時計が、零時を指した。


「紬」


呼ぶと、紬が顔を上げる。


「誕生日おめでとう」


言葉は自然に出た。


一番に言おうとか、そういうつもりじゃなかった。ただ、気づけば口から出ていた。


紬は一度、目を丸くする。


それから視線が落ちて、また戻る。


「……ありがとうございます」


返事のあと、少しだけ間が空いた。


紬は視線を外して、髪を耳へ掛ける。


「……おやすみなさい」


湊は「おやすみ」と返す。


部屋の扉が閉まったあと、リビングには静かな時間だけが残った。


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