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駅で出会った女の子と不思議な関係に。明日も死にたくなる彼女に、俺は毎日、生きる理由を渡すことになった。  作者: 逢華 (最後の挑戦)
新学期、更新のない日々 (家族編)

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第40話 湊のバイト先

学校が終わる時間になると、生徒たちの流れが自然と駅へ向かい始める。


友達と笑いながら改札へ急ぐ集団。コンビニへ寄ろうと約束している声。遊びに行くらしい制服姿がスマホを覗き込みながら坂を下っていく。放課後特有のざわめきが、学校から街へ流れ出していく時間だった。


その流れから、白石湊は自然に外れる。


向かう方向が違う。駅とは反対側だ。


大通りへ出て、駅前の賑わいを抜ける。信号を渡り、一本外れた道へ入るだけで、人の声は驚くほど遠くなった。車の走行音もどこか穏やかで、急いでいる人の足音さえ少なくなる。


通り沿いに見えてくる木目調の外壁と、大きなガラス窓。派手な看板はない。それでも夕方になると自然と席が埋まり始める、不思議と人が集まる店だった。


気づけば、帰り道みたいに足が向いている。


バイト先のカフェだった。


扉を開けると、ベルの音より先にコーヒー豆の香りが届く。続いて、温めたミルクの甘い匂い。店内に流れる音楽は小さく、客同士の会話もここでは自然と声量が落ちる。


騒がしくない。でも、静かすぎもしない。


誰かが長居したくなる理由が、何となく分かる空気だった。


「おつかれ、湊くん」


カウンターの奥から声が飛ぶ。


視線を向けると、店長がミルクピッチャーを洗いながら手を上げていた。長い髪を後ろでまとめ、袖を捲ったまま作業をしている。距離感が近すぎるわけではないのに話しやすく、店の空気まで崩さない人だった。


「お疲れ様です」


「今日も大変だったよー」


そう言って笑う。


「常連さん多め。あと、大学生グループがケーキ大量注文してた」


「イベント帰りですか?」


「たぶん。すごかったよ。“打ち上げ!”って感じ」


肩を揺らしながら言ったあと、店長がふっとこちらを見る。


「その顔、“面倒ごと起きませんように”って思ってる顔」


「思ってます」


即答すると、今度はちゃんと笑われる。


「素直か」


湊は更衣スペースへ向かい、制服の上から黒いエプロンを着ける。鏡越しに軽く髪を整え、ホールへ戻ろうとした時だった。


カウンター脇に置かれたアイスカフェラテが目に入る。


氷はほとんど溶けていた。


「店長、休憩まだですか?」


何気なく聞く。


店長の手が止まった。


「え」


「今日、飲めてないですよね」


視線の先を追って、店長がカップを見る。


「あー……バレたか」


乾いた笑いが漏れる。


「今日はタイミングなくてさ」


「今からでも休憩してください」


考えるより先に口から出ていた。


すると店長が数秒黙る。


それから、困ったみたいに笑った。


「……そういうとこなんだよなぁ」


「何がです?」


「人のこと見てるとこ」


言われても、湊にはよく分からない。


見ていたつもりはない。ただ、いつも置いてある場所に、今日は長く置かれていただけだった。


「おー、兄ちゃんがおるじゃないか」


窓際から声が飛ぶ。


見ると、常連のおじいちゃんが文庫本を片手にこちらを見ていた。ブラックコーヒーと文庫本が定番で、晴れの日は窓際、雨の日は奥。座る席まで決まっている人だった。


「こんにちは」


おしぼりを持っていくと、おじいちゃんが本を閉じる。


「学校終わりか?」


「です」


「若いなぁ」


いつもの流れだった。


「最近あったかくなってきたな」


「昼はだいぶですね。夜はまだ寒いですけど」


「兄ちゃん花粉平気か?」


「まだ花粉症になったことないですね」


すると、おじいちゃんが鼻をすすった。


「ええなぁ。わし今年ダメじゃ。目も鼻も終わっとる」


真顔で言うから、湊は思わず息を漏らす。


「そこまでいくと、春好きって言いづらいですね」


「そうなんじゃ!」


おじいちゃんが声を上げて笑う。


「気候は好きなんじゃけどなぁ。花粉が全部台無しにしよる」


コーヒーをひと口飲んだあと、ふいに目を細めた。


「兄ちゃん、前より柔らかくなったな」


「そうですか?」


聞き返すと、おじいちゃんはコーヒーをひと口飲み、窓の外へ一度目をやってから頷いた。湊の何気ない返事を急かさず、思い出すみたいに間を置くところが、この人らしかった。


「最初はもっと硬かったんじゃ。礼儀正しいんじゃが、“仕事しに来とる”って顔しとった」


その言い方がおかしくて、湊は短く息を漏らした。


「今は違います?」


「今は店の人って顔しとる」


言われた瞬間、カウンターの方から店長の声が飛んだ。


「それ、私も思う」


いつの間に聞いていたのか、店長が濡れた手をタオルで拭きながらこちらを見ていた。洗い場の湯気が照明に薄く滲み、カウンターの奥だけがやけに落ち着いて見える。


「でも面接の時から、たぶん大丈夫だろうなって思ってた」


「何です?」


湊が聞き返すと、店長はレジ横へ寄りかかり、何でもない雑談みたいに続けた。


「家族のために働きたいって言ってたでしょ」


その言葉に、豆の袋を持っていた湊の手が止まった。


去年の面接を思い出す。うまく話せた記憶はない。聞かれたことに、ただ正直に答えただけだった。遊ぶお金が欲しいわけではなく、服も、特別欲しいものがあるわけではない。ただ、自分で働いたお金で、家族に何かしたかった。


それが、一番近かった。


「高校生でそこ言う子、意外と少ないんだよ。“遊ぶお金です”とか、“スマホ代です”はよく聞くけど、“家族のため”って、なかなか出てこない」


「大した理由じゃないですよ」


豆を補充しながら返すと、店長は首を横に振った。


「立派かどうかじゃないの。理由って、けっこう仕事に出るから」


そう言って、笑う。


「この子、真面目に働くだろうなって思った」


悪い気はしない。けれど、どう返せばいいのか分からない。


そんなつもりで働いているわけではなかった。ただ、自分が納得できないのが嫌で、誰かに迷惑をかけるのも落ち着かない。それだけのことを、周りが勝手に別の言葉へ変えていく。


すると、おじいちゃんが「ほう」と面白そうに声を漏らした。


「家族のためか。ええ兄ちゃんじゃのう」


「そんな大層なものじゃないですよ」


「でも、考えとるんじゃろ?」


言われて、湊は否定しきれなかった。


去年の誕生日が頭をよぎる。家族になったばかりで、まだ距離感も掴めなかった頃。兄妹と言うには遠く、他人と言うには近い、置き場の分からない関係だった。


何を渡せばいいのか、そもそも渡していいのかも分からないまま、「おめでとう」だけで終わった。リビングで小さなケーキを前に座っていた紬の顔だけは覚えている。気まずそうで、それでも嬉しそうに笑っていた。


だから、今年は何か渡したかった。


自分で働いた金で。


そう思えること自体が、たぶん去年とは違っていた。


「そういえば」


店長が思い出したように口を開く。


「もうすぐ誕生日なんでしょ、妹さん」


「ああ……はい」


「プレゼント決まった?」


聞かれて、湊は一瞬だけ迷った。隠すほどのことではない。けれど、口にすると急に本当のことになる気がした。


「一応、もう買いましたよ」


「へぇ。早いじゃん」


店長が目を細める。


「去年、何もできなかったんで」


ぽろっと出た言葉だった。


言ってから、自分でも意外だった。重く考えていたつもりはない。ただ、残っていたのだと思う。あの日の食卓の空気も、紬の控えめな笑い方も、何も渡せなかった自分の手持ち無沙汰な感じも。


店長の表情が柔らかくなる。


「きっと喜ぶよ」


「だといいんですけど」


自然に返すと、店長はどこか安心したように笑った。


「なんか、いいお兄ちゃんしてるね」


「そんなことないですよ」


反射的に返した。


兄らしいことをしている自覚なんてない。ただ、去年できなかったことを、今年はしたかっただけだ。自分で働いた金で渡すなら、少しは形になる気がした。それ以上の立派な理由は、湊の中にはなかった。


「いや、してると思うぞ」


会話に入ってきたのは、おじいちゃんだった。いつの間にか文庫本を閉じ、こちらを見ている。


「家族のためにってことは、妹さんのことも考えて働いとるんじゃろ?」


「……まあ」


「ええ兄ちゃんじゃ」


真っ直ぐ言われて、返事に困る。


褒められているのに、胸の奥が落ち着かない。思い浮かぶのは、できたことより、できなかったことの方だった。あの日、紬は何も言わなかった。父親たちは帰りが遅く、気まずそうにケーキを囲んでいた夜、紬は「ありがとう」と笑っていた。


あの時、何か渡せればよかった。

後から、何度も思った。


入口から音が鳴る。大学生くらいの女性二人組がレジへ向かってきている。最近よく見る顔だった。常連と呼ぶほどではないけれど、来るたびに何かしら言葉を交わして帰る。


「いらっしゃいませ」


湊が声をかけると、二人は顔を見合わせて笑った。


「やっぱりいた」


「今日いる気がしたんだよね」


冗談っぽい口調なのに、どこか本気にも聞こえる。返事に困っていると、片方がメニュー表を覗き込んだ。


「アイスラテ二つ。……あと、おすすめある?」


湊はショーケースへ視線を向ける。限定メニューの札が目に入った。


「甘いの大丈夫なら、期間限定のやつ人気です。重すぎないので、夕方でも食べやすいと思います」


「じゃあ、それも貰います」


二人が笑う。


「しっかりしてるし、絶対モテるタイプじゃん」


「いや、真面目すぎるタイプかも」


好き勝手言われて、湊は苦笑した。


「それ、褒めてます?」


「半分くらい?」


「失礼ですね」


自然に返すと、二人が顔を見合わせて吹き出した。カウンターの奥では、店長が肩を揺らしている。さっきまでの重くなりかけた空気が、コーヒーの香りに混ざってほどけていく。


また、面白がられている気がした。


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