第27話 《一ノ瀬彩音》その4
彩音がペットボトルを口元へ運び、二口ほど飲んでから小さく息を吐いた。湊は無意識に視線を向ける。
「私が思ってた湊くんとちょっと違ってた」
ふっと笑いながら言われて、湊は手に持った缶コーヒーを軽く揺らした。
「ん?」
「もっと話さない人かと思ってた」
彩音はそう言ってから、少しだけ空を見上げる。駅前の明かりで夜空はほとんど色を失っていたが、それでも彼女は何かを探すみたいに視線を漂わせていた。
「……そんな変わらないと思うけど」
自覚はないまま返すと、彩音は「そうかな」と首を傾ける。
「ちゃんと返してくれるし。ああいうのって、結構違うよ?」
言い方は軽いのに、その言葉だけ妙に耳に残った。
湊はすぐに返事をしない。ただ、缶の表面についた水滴を親指でなぞりながら、小さく視線を落とす。
すると彩音が、何かを思い出したみたいに笑った。
「紬ちゃんと少し似てるね」
「……どこが?」
聞き返すと、彩音はすぐには答えなかった。
少しだけ考えるように湊の横顔を見て、それから柔らかく口を開く。
「距離の取り方かな。近すぎないのに、ちゃんと人の近くにはいる感じ」
言葉を選びながら続けて、それから少しだけ目を細めた。
「でも、紬ちゃんよりは外側にいる気がする」
その表現は妙にしっくりきた。
自分でも説明できない感覚を、先に言葉にされたような気がして、湊は思わず苦笑する。
「……よく見てるな」
「人見るの好きなんだよね」
軽く返したあと、彩音の表情がほんの少しだけ変わった。
さっきまでより静かで、どこか確かめるみたいな目。
「ねえ」
呼びかける声のトーンも、少しだけ落ちる。
「私たち、どこかで会ったことある?」
その問いに、湊は一瞬だけ言葉を止めた。
街を走る車の音が遠くで重なり、人の笑い声が駅前のざわめきに混ざって流れていく。その間に考えて、それでも思い当たる記憶は出てこなかった。
「……話したことあるなら覚えてると思うけど。今日が初めてじゃないか?」
そう返すと、彩音は「あー……だよね」と小さく笑う。
そのまま少しだけ視線を逸らして、照れ隠しみたいにペットボトルを持ち直した。
「なんか今の、ちょっとナンパっぽかったかも」
「自分で言うんだ」
「あとから恥ずかしくなるタイプなんだよ、こういうの」
さっきまでより少しだけ赤くなった横顔に、湊は一瞬だけ視線を止める。自然に笑って、自然に照れているだけなのに、その空気が妙に心地よかった。
……比較するようなことじゃない。
そう思いながら視線を落とすと、ペットボトルの水面に街灯の光が揺れていた。
しばらく、言葉は続かなかった。
沈黙が気まずいわけじゃない。
車の走る音も、改札を抜ける足音も、遠くで聞こえる誰かの笑い声も、全部が夜の空気に自然に溶け込んでいて、その中に二人で立っている感覚だけが静かに残っていた。
「湊くん」
名前を呼ばれて顔を上げる。
彩音は真っ直ぐこちらを見ていた。
柔らかいままなのに、どこか真剣で、冗談では終わらせない目をしている。
「また話そうよ」
軽い調子で言う。
「こういうの」
断る理由が、うまく見つからなかった。
「……いいよ」
短く返すと、彩音は満足そうに笑った。
「続けられるといいね、こういう時間」
押しつけるわけでもなく、期待をぶつけるわけでもない。ただ自然に置かれた言葉だったのに、不思議とそのまま胸の中へ残る。
「じゃあ、またね」
小さく手を振って、彩音は歩き出す。
振り返らない。
けれど離れすぎない速度で、人の流れに混ざっていく。
その背中を少しだけ見送ってから、湊はゆっくり息を吐いた。悪くない時間だったと思う。
ちゃんと現実で、無理がなくて、変に背伸びもしない。紬が言っていた通り、彩音は目を引く。
派手ではないのに、立っているだけで周囲の空気が少し柔らかく見えるような、そんな綺麗さがあった。
それでも――。
気づけば視線は、駅のホームがある方向へ向いていた。




