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扉のすぐ向こう側にいた人影が、私の目に飛び込んでくる。
インターホンの手前にいたのは初老の男性だ。今まさにベルを鳴らそうとしていたのか、指が宙で止まっている。
「あ、すみません」
どちらかというと家主側なのに、私は反射的に男に向かってそう言っていた。
「いえいえ、こちらこそ」
私の方へと向き直った男が、丁寧な口調でそう答える。
顔の皺や白髪だらけの髪からは老人の雰囲気を感じるが、その男の背筋は真っ直ぐに伸びている。体格が良くて、立ち姿が洗練されている。
「木下浩介さんのお宅で、お間違えないですか」
物腰は柔らかそうなのに只者ではないような雰囲気が、その人にはあった。
「そう、ですが……」
私があまりに訝しげな顔をしていたからだろうか。
男が優しげな笑みを浮かべて、私の方に真っ直ぐ向き直る。目深に被っていた帽子を脱いで、彼は私にお辞儀をする。
「酒井、と申します。お父様とは、高校時代からの友人でして」
「はぁ」
無意識に、風花の手を握る手に力が入っていた。
酒井。記憶を辿っても、始めて聞く名前だった。会ったことは、多分ない。
そもそも浩介の友人関係など全く知らない。友人というものが存在していた事自体が驚きだ。
「お父様は、いらっしゃいますか?」
そんな友人の問いに、私は答える前に思わず何度か瞬きをする。
「亡くなりました。1年前に」
酒井が私の目をじっと見て、驚いたというよりは納得したように、小さく頷く。
「やはり、そうですか……」
やはり。
何とも奇妙な言い方だ。まるで、死んでいるかもしれないけれど、ひとまず確かめに来た、とでも言うような言葉ではないか。
酒井が目を伏せる。少しの間、彼は何も言わずにそのまま玄関のタイルを見つめていた。
何なのだろう、この人は。浩介が死んでいるかもしれないと、どうして知っていたのだろう。何故、それを確かめに来たのだろう。
「突然押しかけてきて申し訳ありません。ご位牌に手を合わせても宜しいですか?」
浩介の友人だという男。誰かから病気で倒れたらしいとでも聞いたのだろうか。
年賀状のやり取りがあった人には敦子が訃報の知らせを送っているはず。だとしたら、その中に酒井はいなかったのだろうか。
何にせよ、わざわざこうして訪ねてきてくれたということは、浩介とそれなりに親交があった人のはず。
風花がつまらなそうに近くにあった石を蹴り飛ばす。その音に反応するように、私は口を開く。
「あ、はい。ありがとうございます。生前の父の意向で位牌はありませんが、遺影とお線香くらいは置いてますので」
ありがとうございます、と酒井は遠慮することなく家の中へと足を踏み入れる。
だから私は、慌ててリビングの方へと戻るしかなかった。
「お母さん、お客さん。お父さんの高校の時の友達だって」
台所で洗い物をしていた敦子が、「え?」と私の言葉を聞き返す。
「お客さん」
「お母さんに?」
「違うよ。お父さん」
リビングに入ってきた酒井が、ゆっくりと敦子に向かってお辞儀をする。「酒井、と申します」
敦子が驚いた様子で何度も瞬きをする。何も言えないまま、じっと酒井を見つめている。
「突然申し訳ありません。浩介さんとは高校時代の友人なのですが、亡くなっていたとは知らず……もっと早くお訪ねすべきでした。不義理をお詫びいたします」
「あ、いえ……浩介さんに、そんな、1年も経ってから訪ねてきてくれるような友人がいたなんて、初めて知りました」
私にとっても初耳だったのだが、敦子にとってもそうだったのか。
「実は敦子さんとは以前一度お会いしているのですが、覚えていらっしゃらないですよね」
続けて酒井がそう言って、私は思わず彼の顔と敦子の顔を交互に見る。
「えっ?あら、ごめんなさい。どこでお会いしましたっけ」
敦子の言葉に、酒井が上着のポケットに手を入れる。彼はそこから1枚の写真を取り出す。
それを見た敦子が「あっ」と小さく声を上げた。
私は横から写真を覗き込む。そこに写っていたのは、浩介と敦子の若い頃の写真だ。
白いタキシードを着た浩介とウエディングドレスを着た敦子が、友人達に囲まれている。
「お二人の結婚式の日に。仕事で到着が遅くなってしまって、披露宴を遮るように私が登場してしまったせいで、花嫁を奪いに来た恋人だと誤解されてしまいました」
「えぇ、えぇ。覚えてます。そうですか。あの時の」
酒井が一人の人物を指刺す。
カメラマンを睨みつけている男が、花婿側の友人達の端に写っている。
前髪を乱れなくきっちり後ろに撫でつけ、皺一つないスーツを着こなしているが、何やら全く愛嬌がない。緊張で顔が強張っているというよりは、もともととても険しい顔つきの人だという印象を受ける。
今の温和な雰囲気に包まれた酒井のイメージとは全く違う。まるで別の人のようだ。
「その節は、大変申し訳ありませんでした。敦子さんに謝罪する暇もなく、またすぐに仕事に戻らなければならなくて」
「今となっては、そんなことも良い思い出です。しかもあの時の方が、こうしてまた訪ねてきてくれるだなんて」
「本当は浩介が生きている間に訪ねてきたかったのですが……」と、酒井は目を伏せて呟いた。
立ち話もなんですから、と敦子がダイニングの方へと酒井を案内する。その前にお線香だけ、と酒井がこちらに振り返るせいで、私は彼を案内せざるを得なくなる。
このまま酒井を残して逃げ帰ろうと思っていたのに。
もう既に敦子との話でお腹いっぱいで、2人の痛み分けの昔話を聞く気分ではないのだ。
次回投稿は2/28(土)
を予定しております。




