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090 -Ritsu-

 律(りつ)が家に帰ると、また母親が唐あげを揚げていた。テスト期間に入ったからだ。


「律(りつ)ー、はるちゃんに持っていってあげて」

「はいはーい」


 タッパを持って遥(はるか)の家を訪ねる。また絢(あや)がいるかもしれないと思ったが、今回は遥(はるか)一人のお出迎えだった。


「ありがとう、りっちゃん。入って入って」

「いや、テスト前だし渡しに来ただけだから」


 蒼乃(あおの)に心配をかけたくないと思い、律(りつ)は玄関先で用事を済ませようとした。


「でも今夜はりっちゃんの大好きなハンバーグだよ。食べていくでしょ?」

「…………食べます」


 ハンバーグくらい食べても罰(ばち)は当たらない。食べ物に罪はないのだから。

 律(りつ)は誘惑に負けて小谷瀬(こやせ)家の敷居をまたぐ。


「今から作るからソファで待ってて。あ、ゲームしたいならしてていいよ」


 言われた通りソファに腰を下ろし、律(りつ)は母親に夕食がいらない旨(むね)を連絡する。


 こう見えてテスト前なので、ゲームに手をつけるのはやめた。罪悪感を埋(う)めるように、律(りつ)はスマホの中にある蒼乃(あおの)の写真を眺(なが)めることにした。


 たとえ隠し撮りだったとしても蒼乃(あおの)の写真写りはいい。美人だから綺麗にしか写らないのかもしれない。


「りっちゃん、暇してるー?」

「はい、暇ですよ」

「それなら冷蔵庫からレタス出して千切ってくれる?」

「あいあい」


 律(りつ)はソファから立ち上がり、野菜室を開ける。自分の家の冷蔵庫みたいなものだった。


「レタス何枚?」

「そんなの適当だよ。……そうだなー、一人二枚か三枚でいいんじゃない?」

「それなら五枚にしよう」


 剥(む)いたレタスを流水で洗い、遥(はるか)が用意していた皿に千切って入れる。


「あとそこの戸棚にツナ缶があるから、開けて入れてくれる?」

「ここ?」


 ツナ缶を一つ取り出し、律(りつ)は力任せに開けた。少しオイルが飛んだので、遥(はるか)から「もう!」と怒られた。


「美味しそうだね」


 律(りつ)は生焼けのハンバーグを見てよだれをすする。遥(はるか)が「まだ食べれないよ」と釘を差す。


「りっちゃんはレタスにドレッシングかける?」

「んー、ツナが乗ってるからこれでいい」

「じゃあお皿を運んだら、次はお味噌汁をよそってね」


 タダメシ食らいなので、言われた通りに律(りつ)は働く。お味噌汁の具は長ネギとわかめだった。


「最後はごはんね。冷凍したやつを電子レンジで温めたから、お茶碗に移して」


 せこせこと働いた。あとはハンバーグが焼ければ完璧(かんぺき)だ。


「もうすぐできるから座って待ってていいよ」

「うん、分かった」


 律(りつ)はソファの上に戻った。目の前には湯気が立つ料理が並んでいる。待ちきれなくて律(りつ)は箸(はし)を持って待機する。


「はいはい、お待たせしました」


 エプロンを外した遥(はるか)がハンバーグを持ってくる。豚ひき肉だけで作るハンバーグだ。


「りっちゃん、唐あげも食べるよね? ハンバーグの横によそっていい?」

「唐揚げははるちゃんの分だからいいよ。私は帰ってからつまむから」

「そう? それならあたしだけいただいちゃうねー」


 二人でソファに並んでいただきますをした。律(りつ)はまず好物のハンバーグから口をつける。めちゃくちゃ美味しい。


「実はさ、はるちゃんの作るハンバーグが一番好きなんだよね」

「それは嬉しいことを言ってくれるね。でも私のハンバーグはおばさんの受け売りだよ」

「母さんが作るのより絶対美味しい。塩加減とかなのかな? うちの母親は適当だし」


 遥(はるか)の料理スキルは高い。そして相沢(あいざわ)家に近い味付けなのでとても食べやすい。


「りっちゃんは美味しそうに食べてくれるから作り甲斐(がい)があるよ」

「食べるのは得意だからね!」


 特にハンバーグなら三つくらい食べられる。


「分かったからもうちょっとゆっくり食べなよ。むせても知らないよ」


 ゆっくり食べたつもりだったが、あっという間に律(りつ)は食事を終えた。


「ごちそうさまです」

「お粗末様(そまつさま)です。やっぱり食事は誰かと一緒がいいねー」


 長年一緒にいる律(りつ)でも触れづらい話題が、遥(はるか)の母親だ。律(りつ)も会ったこともあるし、悪い人ではないがほとんど家にいない。


 遥(はるか)だって母親といたいと願うことくらいあるだろう。


「はるちゃん、今日はありがとう。とっても美味しかったよ」


 律(りつ)は肩を隣に座る遥(はるか)にぶつける。いつものスキンシップの一環だった。しかし、遥(はるか)の琴線(きんせん)に触(ふ)れてしまったらしい。


「りっちゃんってさ、人との距離の取り方下手くそだよね」


 遥(はるか)が正面から律(りつ)の両肩を掴(つか)み、少し捻(ひね)りながらソファの上に押し倒す。


「はるちゃん……?」

「ハンバーグくらいで揺(ゆ)らいじゃダメだって」


 どうしてかは分からないが、遥(はるか)の言葉が滲(にじ)んでいく。


「りっちゃん、好き」


 その二文字が特別な意味を持つことに、律(りつ)もすぐに気がついた。更に、律(りつ)が今まで遥(はるか)にどんな仕打ちをしていたかも理解した。


「……どうして。どうしてりっちゃんが泣くのさ」

「ごめん……っ」


 謝ることしかできなくて、泣くことしかできなかった。遥(はるか)の悲しそうな顔を初めて見た気がした。


「ごめんね、はるちゃん……!」


 想いに応(こた)えられないことの重みを初めて感じた。大事な人を傷つけたくないのに、傷つけることしかできない虚(むな)しさも初めて知った。


「ちょ、そんな泣かないでよ」

「ごめん……もう、はるちゃんのハンバーグは食べられない……」


 遥(はるか)は律(りつ)から手を離(はな)し、困り顔をしながらとりあえずティッシュを取ってくれる。


 自分の軽率な行動に怒りも湧(わ)いてくる。

 涙を拭(ぬぐ)っても拭(ぬぐ)っても溢(あ)れてくる。


 律(りつ)は何回遥(はるか)に謝ればいいのか考えて、結局泣くことしかできなかった。

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