088 -Ritsu-
律たちがスタンド席に戻った時には、男子のレースが始まっていた。男子は五キロも走るらしい。大変だ。
「蒼乃、約束通り肩揉みしてよね」
「はいはい、それならコートを脱いでくれる?」
寒空の下だというのに、遥はコートを脱いだ。中には真冬の寒さでもコートを羽織らずブレザー姿でいる人もいるが、律には理解ができない。
律の代わりにお願いを受けることとなった蒼乃が、遥の肩周りに触れる。律は出番がなかったので、家から持ってきていたチョコレートを食べることにした。
「遥、あなた別に凝ってないじゃない」
「そう? バスケしてるからかなー。でも女の子に体触られるっていいねー」
蒼乃が顔をしかめるが、背を向けている遥にはその表情が見えない。
「はるちゃんは女の子が好きなの?」
遥からも好きな人の話を聞いたことがないなと思い、律は率直に聞いてみた。
「あたし? どうだろうねぇ。りっちゃんだって女の子が好きだから蒼乃のこと好きなわけじゃないでしょ」
「うん。確かに」
遥の言い分に律は納得した。
「じゃあはるちゃんは好きな人いたことないの? 私たちそうゆう話したことないよね」
マラソン大会でする話でもなかったが、律は気になったので話題を広げていく。蒼乃は遥の恋愛事情に興味がないのか、特に口は挟まずに凝っていない肩を揉んでいる。
「あたしだって好きな人がいたことはありますとも」
「えっ!? そうなの!? 聞いてないよ!」
「りっちゃんには言ってないからね」
「えー誰だれ。教えて」
「教えてあげません」
頑なに遥は教えてくれなかった。ずっと同じクラスで過ごしてきたので、おそらくは律の知る人物だと思う。
「遥、このくらいでいい?」
「仕方ない。これくらいで勘弁してあげる」
疲れた両手を振りながら、蒼乃が律の方に向き直る。
「律……チョコが口元についてる」
どこについてるか確認する前に、律の右の口元を蒼乃が指で拭った。
「ありがと、蒼ちゃん。……はるちゃん、優勝おめでとうもいうことで、私からはチョコの欠片をあげます」
律は齧っていた板チョコを割って、ツーブロック分くらいを遥に渡した。
「ありがとう。でも一応授業中なんだから、もっと小さいお菓子を持ってきなよ」
「蒼ちゃんもいる?」
蒼乃はチョコが好きなはずだ。板チョコを口元に差し出すと、蒼乃は律が齧ったところに口をつけた。
「もっと食べてもいいよ」
律が蒼乃に言うと、遥が不満そうに言った。
「優勝したあたしより蒼乃の方が待遇よくない?」
「彼女の特権だから」
見せつけるように蒼乃はもう一口チョコに齧りついた。荷物番をしている先生がわりと近くにいるけど、スマホをいじっている生徒にも何も言ってこない。先生も暇で大変なのかもしれない。
「はるちゃんは帰りどうするの?」
「あたしはバスケ部のみんなとご飯に行くから、りっちゃんたちの邪魔はしないよ」
「ごめん、そうゆうつもりで聞いたんじゃないよ」
「分かってるって。帰りのバスの心配してくれたんでしょ。りっちゃんはいいやつだなー。どっかの誰かさんと違って」
遥が蒼乃のことを見る。蒼乃は言い返すことなく、ただ律のことを抱き寄せた。
「まったく蒼乃は……。りっちゃんもあまり蒼乃を甘やかしちゃダメだよ」
「甘やかしてるつもりはないけど……」
つもりはないが、厳しくもできていないと思う。律は人に強く当たるのが苦手だ。
「私は律をどろどろに甘やかすつもりだから安心してね」
近い将来、本当に律はダメ人間になるかもしれない。
◆ ◆ ◆
男子のレースが終わり、表彰式が済んだらあっさりとマラソン大会の幕は閉じた。
律と蒼乃はバスに乗って、再び駅前に戻ってきている。甘いものを食べようと約束をしていたので、デザートの種類が豊富なファミレスにきた。デパートの上層階にあるので眺めもいい。
「大人のお子様ランチってある!」
ハンバーグもあれば、エビフライにオムライスまでついている。まだメニューの一ページ目しか見ていない律だったが、もうこれにしようと心が決まる。
「いいの? こっちのページにもハンバーグはたくさん載ってるけれど」
蒼乃がページをめくるとたくさんのハンバーグが出てきた。律の決意が揺らぐ。
「ホイル包みとか絶対美味しい……」
「それなら私がホイル包みの方を頼むから、交換しましょう」
「でも蒼ちゃんは蒼ちゃんの頼みたいやつにしなよ」
「私は律が幸せそうに食べる姿を見たいから。ハンバーグだって私も好きだし」
蒼乃の言葉に甘えて、律は注文を決めた。ランチが来るまでの間、律と蒼乃はデザートのページを眺める。
「走ったあとだからどれも美味しそう……」
律の場合、お腹がいっぱいの状態でも美味しそうと思えるが、なおのこと美味しそうに見えた。
「蒼ちゃんは食べたいものあった?」
「このショートケーキが美味しそうかしら」
蒼乃が指したのはたっぷりの生クリームの上に大きないちごが乗ったケーキだった。
「チョコじゃないの珍しいね」
「そこまでチョコにこだわっているわけではないから。律はいいのあった?」
「うーん、どれも美味しそうなんだけど……ホットケーキにしようかな」
いろいろ悩むと律は一番シンプルなものに着地する。
「蒼ちゃんのも一口ちょうだいね」
「心配しなくてもいくらでもあげる」
律は楽しく笑いながらスマホを取り出す。マナーモードにしていたスマホがさっき何回か震えた。ロック画面を見ると遥からメッセージがきていた。
「はるちゃんからだ」
「何て?」
蒼乃にも見えるようにテーブルの上にスマホを置いてアプリを開く。
男子バスケ部の人が律と蒼乃がゴールする時の写真を撮ってくれたらしく、遥経由で届いた。
「蒼ちゃんにも送っておくねー」
画像を保存してすぐ蒼乃に転送した。蒼乃もスマホを取り出して保存をしている。
「それにしても今日はびっくりしたよね。私たちの写真がジンクスになっていたなんて」
「律の隠し撮りが出回ってないといいんだけれど……」
「隠し撮りはそのスマホの中にたくさん入ってるでしょ」
「私は彼女だからいいの」
よくはない。蒼乃のスマホの中身がどのようになっているのか、律は見るのが怖い。
「律だって私の写真を見返したりするでしょ」
「するけどさー」
「今の私のお気に入りはこれ」
蒼乃が律の方にスマホを預ける。律の寝顔だった。クリスマスの時のだろうか。完全に警戒を解いただらしない寝顔である。
「恥ずかしいんだけど……」
「さすがに貴重な写真だから待ち受けにするのは控えてるの」
蒼乃が大事なものを抱えるようにしてスマホを手元に戻した。
ちなみに律のお気に入りの写真は、日向が撮ってくれた律を後ろから抱きかかえる蒼乃の横顔だ。
「お待たせしました」
大人のお子様ランチとハンバーグのホイル包みが到着した。お子様ランチなんて十年ぶりではないだろうか。
「蒼ちゃんは何が食べたい? エビフライ? カニクリームコロッケ? オムライス?」
「オムライスを一口もらおうかしら」
「いいよー。ちょっと待ってね」
律がスプーンでオムライスをすくって蒼乃に差し出すと、蒼乃はこれを拒否する。
「律が食べたあとのが欲しいの」
そう言って蒼乃は自分の手元に届いたホイル包みのハンバーグを一口食べた。律も仕方なくオムライスを口に入れる。美味しい。
「では次こそ。はい、蒼ちゃん」
蒼乃の口にオムライスを運ぶ。今度は蒼乃も素直に食べてくれた。
「律にも。はい、あーん」
フォークが律の口元に差し出される。口を開けると律が動くより先にフォークが中に入ってきた。熱めの肉汁が口の中に流れてきた。
「あづっ……」
「ごめんなさい、次はふーふーするから」
蒼乃はもう一口フォークとナイフでハンバーグを切り分ける。フォークに乗せた牛肉に蒼乃は息を吹きかけ、また律の方に持ってきた。
「そんなたくさんもらわなくてもいいんだけど……」
「好きなんだから食べて」
遠慮なくもらうことにした。先程よりは冷めたハンバーグが口に入ってきた。
「食事をしている時の律って幸せそうよね」
「蒼ちゃんといるから幸せなんだよ」
蒼乃が面を食らったような顔をする。嬉しそうな気持ちが顔に出ていた。
「私だって律といられると幸せ。ずっと一緒にいたい」
幸せでハンバーグの味も霞む。
「蒼ちゃん、カニクリームコロッケも一口あげるよ。私二口もらったし」
スプーンからフォークに持ち替え、律はカニクリームコロッケにフォークを立てた。
「はい、どうぞ!」
蒼乃は遠慮したが、律はぐいぐいと腕を伸ばす。折れた蒼乃が「ありがとう」と言ってカニクリームコロッケを食べてくれた。
「美味しいものはシェアして食べないとね」
「私以外とはシェアしないでちょうだい」
「分かってますよー」
マラソン大会の振り返りもしつつ、この先の予定のことを話しながら昼食を終え、ホットケーキとショートケーキが届いた。
ホットケーキはシンプルなもので、バターがじゅわっと溶けていて、メープルシロップのいい香りがする。
「美味しいねぇ」
甘いものは別腹なので、いくらでも食べれるのが律だ。蒼乃は少々お腹いっぱいになったようで、律にたくさんショートケーキを分けてくれた。
「マラソン大会も終わったし、三学期も残るはテストだけかー」
律はホットケーキを頬張りながら小さく唸った。一年間分のテスト範囲だ。唸りたくもなる。
「今回もびっちり勉強するわよ」
「うへぇ……。手加減よろしく」
「ダメよ。しっかりやらないと律怠けちゃうじゃない」
「さっきは甘やかすって言ってたのに……」
「私生活は甘やかすけど、同じ大学に受かるまで勉強は厳しくいきます」
律の口に大きないちごが詰め込まれる。
「今回の目標は英語の平均点超えです」
「がんばりまふ」
いちごを咀嚼しながら律は返事をした。
「ついでに公共も見てくれるの助かります」
「社会科目なんて暗記でしょう」
「なにを暗記すればいいのか教えてほしい」
「それなら私のノート貸してあげる」
テストまで残り二十日ほど。テストが終われば蒼乃とのデートが待っている。
「早くテスト終わってほしいな」
「それは早く家に私を招待したいってこと?」
「まぁ……えっと……まぁそうね」
律の歯切れの悪い返事でも、蒼乃は満足そうに笑った。




