086 -Aono-
この駅にはさざんかさっちゃんと呼ばれる像があり、待ち合わせ場所として使われている。今日は同じ制服を着た人で賑わっていた。
蒼乃はいつも通り指定時間より早く到着し、律を待っていた。今日はマラソン大会が運動公園で行われる。そこに行くためのバスがこの駅から出ていた。
「おはよう、蒼ちゃん……」
「おはよう、律」
律の言葉に覇気がなかったのは、律の隣にいる彼女のせいだろう。
「おはよう!」
蒼乃は律としか待ち合わせをしていなかったのに、なぜかそこには遥がいた。律の言い訳を聞いたら、駅に行くまでに鉢合わせたそう。同じ場所に行くのだから、別れるわけにもいかなかったらしい。
誰も悪くないことは蒼乃も分かっていたので、不機嫌な態度は取らないように努める。
「よかったー、バスいっぱいあって分かんないからさ、蒼乃がいれば安心だわ」
蒼乃は現在時刻を確認してから、二人をバス停に案内する。遥がついてくるのは勝手だが、バスの座席は律と二人で座らせてもらう。
「昨日池袋行ってきたんでしょ? どうだった? 水族館は」
遥は蒼乃たちの後ろの座席に座り、写真を見せてとせがむ。蒼乃は、律とのツーショット写真をこれ見よがしに見せた。
「こうゆう時はペンギンがメインの写真見せるでしょ。いらないんですよ、惚気は」
デートの話を聞いておいて、惚気がいらないとは横暴だ。
「ペンギンを見たいなら、遥も水族館に行けばいいじゃない」
「お一人水族館はちょっとハードル高いなぁ。りっちゃんを連れて行っていいなら行くけど」
「いいわけないでしょう」
律の方に伸ばされてきた腕を払う。遥は悪びれる様子もなく笑った。
「ところで貴方、日向はどうしたの? 一緒に来るのかと思っていたんだけれど」
「日向はねー、お腹痛いから休むって。多分サボりだね」
「ストレス性かもよ」
律が日向を庇うように苦笑いをした。大勢の前で長距離走らされるのだから、足が速くても気分が上がる行事ではない。
「はるちゃんは優勝目指すの?」
体育の時間、五組と六組の合同クラスでは遥はいつも先頭だったと聞く。
「あたしが優勝したらなんかくれる?」
「えーなにが欲しいの?」
蒼乃は後ろを向く彼女の手を握る。
「りっちゃんからハグでもしてもらおうかな」
「痛い痛い痛い! 蒼ちゃん! 私はまだオーケーなんて言ってないから、手に力込めるのやめて」
力は弱めたが、しっかりと手は繋いだままにする。蒼乃は笑顔を遥の方に向ける。
「律の代わりに私がハグしてあげる」
「肋骨折られそう。蒼乃にしてもらうなら、そうだなぁ。肩揉みでもしてもらおうかな」
「任せて。肩甲骨剥がしてあげる」
「なんだか優勝しなくていい気がしてきた」
バスはいつの間にか出発していて、細い道路を器用に進んでいた。乗車時間は十分ほどの予定で、車内は高校生ばかり。
「蒼ちゃんも速く走りたいなら先行っていいからね」
「やだ。私は律と走るから」
蒼乃がいなくなった結果、誰かが律と並走したがるかもしれない。順位で大きく成績が変わることもないだろうし、気楽に律とお喋りをしながら走りたい。
後ろを向こうとする律を妨害するように、蒼乃は律に寄りかかる。律が反発してこないので、彼女の頭が窓ガラスにぶつかる。
「なにしてんの、君らは」
後方から呆れ声が聞こえてきたが無視する。アナウンスの声だけは注意深く聞き、「次は運動公園前」と聞こえたタイミングで律をつついた。律は体を起こすと、窓枠についている停車ボタンを押した。
「押し慣れてるけど、やっぱり押せると嬉しいね」
小学生みたいなことを言う。可愛い。
明らかに迷惑客だった高校生たちがぞろぞろとバスを下りる。もうすぐ三月だが、今日の予報は曇りで、最高気温も二桁に届かない。蒼乃も律もマフラーを手放せないでいるが、これからジャージに着替えないといけない。
さすがに派手な色のジャージで駅前を歩きたくないが、着替えるのは着替えるので面倒くさい。
更衣室で着替え、荷物はスタンド席まで持っていくように言われた。初めの頃は律が着替える時見ないように心がけていたが、今となっては今更な話で、普通に見る。逆に律が恥ずかしがる素振りを見せるようになった。
「ちょっとさ、二人とも……昨日池袋に行ってきたんじゃないの」
ジャージに着替えた時、遥の目が蒼乃と律の首に向けられた。昨日の今日なので痕ははっきりと残っていた。
「そんなじろじろ見ないでよ、はるちゃん……」
「見られたくないなら見えないところにつけてもらいなよ」
開始時刻までまだ時間があったので、蒼乃たちはジャージの上にコートを羽織り、マフラーで首元を隠してスタンドに上がる。当たり前だがグラウンドがよく見える。
手前側のスタンドは女子、奥側が男子になっているがそれ以上の区切りはない。当然、二年生の名前も知らない先輩も近くにいる。
「アイザワ夫婦だ。やっぱり仲良いんだね」
寒さに震える律の両手を握っていると、着替え終えてきた先輩が通りがかりに声をかけてくる。
「ねぇ、二人の写真撮ってもいい?」
人見知りを発症させている律は使い物にならないので、蒼乃が応対する。
「写真ですか。どうしてですか?」
「他の学年は知らないけど、二年の間では二人の写真を持ってると好きな人と結ばれるってジンクスがあるんだよ」
聞いたことなかった。それにジンクスってことは、すでに写真は流出した後らしい。
「……律の顔が見えない写真ならいいですよ」
蒼乃は一度律から手を離し、頭を覆うように抱き締めて言った。「どうぞ」と。
「ありがと! お礼にこれあげる」
律を解放し、蒼乃は先輩から差し出されたものを受け取る。小袋に入った羊羹を二つもらった。
「あんたまたそんな渋いの持ってきたの」
「羊羹はエネルギー効率がいいんだよ」
先輩たちが移動して行った。蒼乃は羊羹を二つとも律の手に握らせる。
「蒼ちゃんは食べないの?」
「走ったら律がお腹空くでしょ」
「じゃあ今は一個を半分こしようよ」
遥には悪いが、目の前で羊羹を仲良く食べさせてもらう。律が半分先に齧り、残ったのを蒼乃が食べた。遥に残った一個をせがまれ、律が蒼乃の顔色を伺う。
「あげたら」
蒼乃のオーケーが出ると、遥が「サンキュー」と言いながら羊羹を一つ丸々食べた。
「はるちゃん、朝ごはん食べてないの?」
「食べたら走る時辛いかなと思って。さすがにお腹空いちゃったから助かったよー」
確かに蒼乃も朝食をほとんど食べていなかった。律のように腹いっぱい食べてきている人の方が少ないだろう。
「あーさむ。早く着替えたい」
寒いと言っているが、蒼乃と律はこっそりとジャージの上着の下にカーディガンを着込んでいた。バレたら怒られる。
「はるちゃん、なんで短パンなの……?」
「長ジャー好きじゃなくて」
遥の脚は筋肉がついていて、美脚だった。ただし、制服姿で見慣れているので蒼乃はなんとも思わない。
時間がきて、女子生徒はグラウンドに集まるように言われる。
律のマフラーの代わりに三百円で買ったネックウォーマーをつけさせる。被っただけで髪がぐしゃぐしゃになった。手で梳かすものの、静電気であまり効果がない。
「行きましょう」
蒼乃は律の手を取り、寒々しいグラウンドへと向かう。身を寄せ合って歩いていると、男子の体育を担当している教師に呼び止められる。
「アイザワ」
どちらを呼んだのか分からなかったので、二人で足を止めて声の主を見る。
「危ないから走る時は手を繋ぐんじゃないぞ」
「分かってますー」
律が適当な返事をする。確かに危ないが、その程度の注意で終わったことに驚いた。蒼乃に本気でやれと怒るのかと思った。
「走るまでは繋いでていいんだよね」
蒼乃の腕に律がしがみついてくる。今からでも見学に回って律と肩を寄せ合いたいと強く思った。




