075 -Aono-
律の家にお邪魔した。二度目で今回は誰もいない。律が「上がって上がって」と靴を脱ぐのを、キスをして邪魔をした。
「んな、気が早いですね……」
「今のはただいまのキスだから」
予期せぬところで唇を奪われたからか、律は頬を赤くしていた。蒼乃は今すぐにでも押し倒したい衝動を堪える。
「手をちゃんと洗おうね」
キスするのには関係ないと思ったが、律に言われた通り洗面所で手を洗い、うがいをする。インフルエンザが流行っているから。
キッチンに行くと不慣れな手つきで料理道具を取り出し始める律。事前に母親から場所は聞いていたのだろうが、手際が悪い。
「律はチョコを適当に割ってボウルに入れてくれる?」
「はーい」
「食べちゃダメよ」
「……はーい」
律がバリバリと板チョコの包装を剥がし始める。本当に大丈夫か横目で見ながら、蒼乃はバターの分量を計り、軽くレンジで温める。
チョコを噛み砕く音が律からする。
「食べたでしょ」
「いや?」
「食べてないなら今キスしてもいい?」
「それは……、料理中だし、あとでね?」
材料をボウルに入れて湯煎していく。律が混ぜている間、蒼乃は型も用意する。もったいないと思ったが、余っているので無塩バターを内側に塗った。それとオーブンの余熱も忘れずに。
律にチョコを預けるのは些か不安が残ったが、メレンゲを作るのは任せない方がいいと判断し蒼乃が作ることにした。
「美味しそう」
「どうしても食べたいなら溶かしてないチョコを食べてちょうだい。こっちは量を計っているのだから」
本当にもらう専門、食べる専門だったのだと分かる。
「ホワイトデーのお返しはどうしていたの?」
「袋の飴を買って一粒ずつあげてた」
「……律、ホワイトデーのお返しって意味あるの知ってる?」
きょとんとした顔をされる。
「調べたら一番上に出てくるわ。有名な話でしょ、飴は本命に贈るのよ」
「そっか。ならホワイトデーは一緒に飴を食べようね」
律の鈍感さに泣いてきた女の子も多いことだろう。
メレンゲが出来上がったので、律が混ぜているチョコと合体させる。
「ちょ、律。そんな勢いよく混ぜなくていいから。ふんわりとやって」
薄力粉とココアパウダーを入れて、軽く混ぜ合わせればあとは焼くだけ。型に流し込んで、オーブンに入れる。
「ふぅ、終わったー!」
全然終わっていない。律には散らかった道具が見えていないようだ。
「律。私が洗うから、終わったものを拭いてくれる?」
「はいはい、布巾どこだ?」
「頭上にかかってるのは違うの?」
「うーん、多分これかな……」
お菓子作りは片付けが面倒くさい。泡だて器の類は隙間が洗いづらいし、どれもバターの油がなかなか取れない。
「こうして並んでいると一緒に暮らしているみたいだね」
律がひっついてくる。
「一緒に暮らしても、律がお手伝いしてくれるか不安だわ……」
「やるよー。隣にいたいもの」
たとえ律がヒモになっても、蒼乃は律のことを嫌いにならない。なんなら喜んで養う。
「早く焼けないかなぁ」
「三十分かかるから気長に待って」
食器を洗い終える。律がオーブンの中身を外から覗き込んでいた。
「ずっとそこにいるつもり?」
「……キッチン寒いし、ソファのとこで待とう。蒼ちゃん、なにか飲む?」
「何があるの?」
「コーヒーと紅茶と煎茶とほうじ茶と玄米茶と炭酸水」
「たくさんあるのね。紅茶をお願い」
律は棚から市販のティーパックを取り出し、大きめのマグカップにお湯を注ぐ。ソファの前にあるローテーブルの上に置いてくれた。律は炭酸水にするのかと思いきや、煎茶のティーパックを淹れている。
「お茶なんだ」
「うん、寒いから」
ソファに並んで座る。いつも律がテレビを見たり、家族と過ごす場所。
「テレビ見る?」
「大したものやってないでしょ」
蒼乃は紅茶を一口飲む。マグカップが温かくて助かる。
「蒼ちゃん」
律がマグカップをテーブルに置き、少し温まった手を蒼乃の太腿に置く。下から覗き込むようにして、言った。
「キスしたい」
焼き上がるまでは我慢しようと思っていたが、これはよくない。彼女にこんな可愛くお願いされてしまっては、するしかない。
蒼乃は律の頬を両手で掴んで唇を押し当てた。薄っすらとチョコの味がする。
「私が好きなのは蒼ちゃんだけだよ」
オーブンが止まるまで、話せないくらいキスをしようと思った。
毎日いっぱい律とキスをしたい。他の誰かが割って入らないように、隙間を完全に埋めたい。
律の体勢が少し辛そうだったので、蒼乃の上に座るように言う。もちろんキスをするのだから向かい合って座る。蒼乃の太腿の高さ分、律が高くなる。
上からキスされるのは蒼乃にとって珍しいことだった。いつも逃げないように律を追うからだ。
細い背中を抱きながら、上から降り注ぐキスに応えていた。蒼乃も、律もキスには慣れたと思う。二人とも初めてで、他の誰ともしたことがないから、正解は分からないが初期の頃の遠慮しがちなキスはなくなった。お互いを侵食するように、息を交わす。
「律」
キスをしていても彼女の名前を呼びたい。目を閉じた一瞬のうちにいなくなってほしくなくて、何度も名前を呼ぶ。
口をあわせているだけなのに、脳が溶け出しそうだった。溢れ出る唾液はそれなのかもしれない。
「好き」
何度も愛を囁いていると、その先に行くのを断絶するようにオーブンが鳴った。律の興味が蒼乃からガトーショコラに移る。悔しい。




