過去(9)
舌から脳天にかけて凄まじい酸味が貫く。鼻はツンとし目の奥から涙が滲んだ。
「こ、これは……」
なんの心の準備もできていなかっただけに衝撃的な、経験したことがないほどの酸味だった。
一体何味だと天野に問いかける前に、スーパー酸っぱいその酸味の奥に、爽やかな柑橘の香りと申し訳程度の甘さがあるのを感じる。
「これは……レモンですか?」
「正解です! レモンソルベでシチリア産のレモンを使っている本格派なんです。ここでしか食べられない酸っぱさでしょう?」
国内産の酸味がまろやかなレモンとはまったく違う。シチリアにさんさんと降り注ぐ太陽光を一杯に受けた、暴力的なまでにエネルギッシュな酸っぱさだった。ほとんどがレモン果汁で使用されている砂糖はごくわずかなのだという。
「これ、女の子に人気なんです。ビタミンCたっぷりだって。男の人はダブルとかトリプルのメニューに入れる人が多いです。俺たちのジェラート屋の四天王のひとつなんですよ」
俺たちのジェラート屋とは例のアイスクリームワゴンの屋号である。
また、この店での四天王とはピスタチオ、マンゴー、チョコレート、そしてこのレモンなのだという。レモンは四天王の中では最弱なのだが、開業以来その座から転げ落ちたことは一度もないのだそうだ。
ビタミンCたっぷりで健康にいいのはわかったが、美味いも不味いもなくとにかく酸っぱい。男性にも人気の理由はなんなのかと首を傾げつつも、残すのも気が引けるので食べ続ける。エベレストの無酸素登頂を目指す登山家の気分だった。
四天王最弱のレモンソルベを苦労して完食するまで、天野はなぜかワクワクした目でこちらを見守っていた。
ようやくバニラ部分に到達し、この酸味から解放されるのかとほっとする。
「先生、絶対にここのジェラートにハマりますよ」
そんなはずがないと天野の予言に苦笑する。この十五年間、食事とは必要な栄養素とカロリーを摂取するためでしかなかったからだ。美味いと感じたことは一度もない。
だが、バニラを舌先に軽く乗せて直後に目を見開いた。
濃厚な牛乳とミックスされた生クリームが酸味を中和し口の中から刺激が波を引くように消え去る。続いてバニラの香りとほのかな甘さが一杯に広がった。
『お兄ちゃん、本当にバニラ好きだよね。あっ、半分ちょうだい? 私もチョコチップを分けてあげるから』
あの日渚が買って帰ってくれたアイスクリームと同じものであるはずがない。なのに、どこか懐かしい。
思わずジェラートを持った手を下ろして呟いていた。
「美味い……」
懐かしいのはジェラートの味ではない。十五年ぶりの「美味しい」という感覚だった。信じられない思いでジェラートを見つめる。
砂漠の中でオアシスの水を口にした旅人も同じように感動したのではないだろうか。
「ね、甘いアイスが世界一美味しくなるでしょう?」
天野に声を掛けられ我に返る。彼女はまた顔中で笑っていた。




