記憶(1)
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あの日は翌日予備校の模擬試験を控えており、自室で軽く復習をしていた。そこにスイミングスクールを終えた渚から電話があったのだ。
『もしもしお兄ちゃん? お父さんもお母さんも電話に出なくて』
渚とは男女の違いもあり、別々の中高一貫校に進学以降はベタベタするほど仲がよかったというわけではない。悪かったわけでもない。互いに家族としては大切に思っており、つまり兄妹ではよくある関係だった。
「ああ、父さんはまだ仕事。多分残業になる。母さんは携帯放置してるんじゃないか」
『もう、いい加減に諦めて文明の利器に慣れてほしいよね』
「で、どうした? もうスイミングスクール終わったんだろ?」
電話の向こうの渚の口調がぱっと華やいだ。
『うん、スクールの友だちとご飯食べに行くことになったから、今日夕飯いらないってお母さんに伝えてくれる?』
「だけど、今日の夕飯ミートボール入のシチューだぞ。それと、粉吹き芋とブロッコリーのタルタルソースがけ。まあ、俺が食べてやるからいいか」
ちなみに、どれも渚の好物である。
渚は「えっ」と絶句し、しばらく唸っていたが、やがて「取っておいて!」と懇願した。
『明日の朝ご飯にするから! お兄ちゃん、勝手に食べないでよね』
「わかった、わかった、そう言っておくよ。帰ってくるのは何時くらいだ?」
『多分ニ時間後くらい?』
「じゃあ、終わったら母さんに電話して迎えに来てもらえよ。家電のほうが確実だな」
『了解!』
電話を切ってキッチンにいた母に渚から頼まれた旨を伝え、自室に戻り夕食まではと勉強に取り掛かった。途中、時間を計って問題を解く必要があったため、気が散らないようにと携帯電話の電源を切った。
一時間後に復習も終わり、そろそろ夕食かと思いつつ再び起動すると、留守番電話が入っている。誰からかと画面に目を落とし、渚の名前が表示されていたので驚いた。
友だちとの食事が予定より早く終わったのだろうか。二十分ほど前にかけられている。
何気なく留守番電話センターに接続し、メッセージを聞いてぎょっとした。
『お、お兄ちゃ……』
怯え、震え、呂律の回らぬ口調だったからだ。
『わ、わ、私っ……!』
紙くずを握りつぶしたような雑音と金属質の何かを落とした音が混ざり、渚のか弱い声が瞬く間にかき消されたかと思うと沈黙が落ちた。
「渚!?」
思わず椅子から立ち上がっていた。だが、電話から聞こえて来たのは渚の返事ではなく、無機質な自動音声だけだった。
『メッセージは以上です。もう一度お聞きになる方は一を……』
渚の身に何かあったことだけは感じ取れ、不吉な予感が胸に渦巻いた。




