ヘレン(2)
いつか自分もウエディングドレスを着る日が来るのだろうか。その時隣に立つのは東海林がいいとごく自然に思ったところで我に返る。
一ヶ月前から付き合い始めたばかりなのにいくらなんでも気が早い。知られればそんなにがっついていたのかと東海林もドン引きするに違いなかった。
今までの恋では結婚など考えもしなかったのに、意識してしまうのは二十代半ばという年齢だからだろうか。
だが、未来がどうなるにせよ、東海林とは写真のサンダース夫妻のように、人生を、日々を、一瞬一瞬を、ともに愛おしんで過ごしたかった。
お茶を一口飲んで小豆色の銘々皿に置かれた揚げ饅頭を一口齧る。次の瞬間、熱くさっくりとした衣の食感とほくほくしたあんに声を上げた。
「わっ、あったかい!」
「せっかくなのでレンジでチンしてから、今度はオーブンで軽く水分を飛ばして焼いてみたんですヨ」
「揚げたてみたいですよ~」
揚げ饅頭にはスタンダードなあげまん、かぼちゃまん、カスタードクリームまんなどがあり、とりあえず全種類一つずつ包んでもらった。その中で永夢に割り当てられたのはカスタードクリームまんだ。カスタードクリームが温かいまんじゅうの皮とよく合う。
「これ、カスタードクリームまん、絶対東海林先生も好きです!」
カスタードクリームまんをたくさん買って帰ろうと頷く。東海林が美味しいと喜ぶ顔が見たかった。
「おや、そうだったのですカ。東海林先生の好みをよく知っているんですネ」
サンダースにくすくす笑いながら突っ込まれ、しまった、口を滑らせたと慌てる。
「……その、えっと、作品の資料としてです。ハイ」
口を滑らせなくともサンダースには何もかもを見透かされている気がしてならなかった。
「ヘレンさんって本当に綺麗な方ですよね」
照れ隠しに目に入った一枚の写真を手に取る。
「あれ……?」
ロンドンのカフェかレストランだろうか。ヴィクトリアンなアンティークテーブルに肘を付いて笑っている女性の写真だった。手前には飲みかけのコーヒーカップが、背後の窓からはビッグベンが見える。
ところどころに茶の混じった白髪にハシバミ色の瞳。撮影者、おそらく向かいの席のサンダースに向けられた聖母そのものの微笑み。人が求め、与え得る最上の愛情がその眼差しに込められていた。
だが、聖母の微笑みよりも永夢の目を引いたのは女性の容姿だった。どう見ても先ほど玄関前で掃除をしていたお隣の奥さんだったからだ。年齢の印象もほぼ一致している。
しかし。
恐る恐る写真を裏返すと今から十一年前の日付けなのだ。
どういうことだ。
「あ、あの、サンダース先生、この女の人は……」
サンダースは永夢から写真を受け取り「亡くなる前の妻デス」と寂しそうに笑った。
「ロンドンで暮らしていた頃カフェで撮影しましタ。このあとすぐに病気が判明したのデ、普通の生活を送っていた彼女の最後の写真デス」
サンダースの妻が亡くなったのは十年前。つまりサンダースが三十六歳、ヘレンが五十八歳。
更にサンダースが対談の片付けのあとに語ったヘレンとの約束を思い出した。
『あんなふうに話したのはヘレンはまだこの世に留まっていると信じているカラ。結婚する時に誓い合ったのデス。万が一どちらかが先立っても天国には行かナイ。もう一人の命が尽きる時までそばで待っているト』
つまり、玄関を掃除していたあの女性は死によって五十八歳で時を止めたサンダースの妻のゆうれ──
「……!!」
ワンテンポ置いて人生最大級の悲鳴が吐き出された。かつて追っ掛けていたイケメンアイドルのライブでの絶叫以上のボリュームだった。
「っきゃぁぁぁあああ!! こ、ここ、ここって、ガチで妖怪屋敷ぃぃぃ!!」
「ちょっ、天野さん、どうしましタ!? 落ち着いてくだサーイ!!」
縁側の日だまりで惰眠を貪っていたワガハイの耳がピクリと動き、にわかにやかましくなった百物語の間に目を向ける。
「……」
そしてニヤリと笑い、我関せずとばかりに瞼を閉じてまた丸まった。
第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』終
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