渚(2)
東海林は唇の端で笑って手元に目を落とした。
「ニンニクは……苦手でしたね。ニラやネギも」
なるほど、においの強い野菜が苦手だったらしい。ニンニク、ニラ、ネギ、ショウガもミョウガもばっちこい!酒の肴や!姉ちゃんもう一杯!的なおっさん味覚の永夢とは正反対だった。
「どちらかと言えばおとなしくて、真面目な子です。器用で洋菓子作りに凝っていて、誕生日にはオーブンがほしいとねだっていたな」
いわゆる女の子らしい女の子だったようだ。これまたイケメンアイドルの追っ掛けに青春を捧げた永夢とは対極にあった。
「バレンタインデーには父や私にブラウニーを焼いてくれたものです。まあ、好意を寄せていたクラスメートのついでだったようですが」
洋菓子作りの他には読書が趣味で、食べ物ではシチューや豚汁などの汁物系が好きで、反抗期がまったくなくて逆に家族に心配されて……。
東海林は悲しいなどとは一言も言わない。渚を生きているかのように語る。
なのに、あるいはだからこそ東海林の心の傷の深さを感じた。
永夢の胸の奥に切ない痛みが走り、涙が出そうになるのをぐっと堪える。誤魔化そうとひたすら手を動かし餃子を包む。
なぜ自分と渚が似ているなどとそんなおこがましいことを考えられたのか。
恥ずかしく情けなく悲しかった。
黙々と手を動かしていたからだろうか。餃子はあっと言う間に六十個できあがり、四十個は冷凍用に冷凍庫へ。残り二十個が今晩の食卓に並ぶことになった。
油の敷かれたフライパンに規則正しく配置し、小麦粉を溶いた水を投入する。火を掛けると熱い油と水が混じり合ってじゅうじゅうと音が立った。
蓋を被せつつゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「天野さん、卵を二つ解いてくれますか」
「あっ、はい!」
もう一つのメニューとなる餡かけチャーハンは永夢には未知の味だ。どんな料理なのだろうか。
東海林の手元をひょいと覗き込む。
煙の立つ中華鍋に溶き卵が注がれ瞬時に固まる。そこにご飯が加わって香ばしい香りがした。
パラパラになったご飯とふんわりスクランブルエッグが東海林の手の動きとともに鍋の中で踊る。
東海林はそうしてできた卵チャーハンを用意してあった中鉢に入れ、形を整えてポンと三色雷紋と鳳凰の模様の中華皿に開けた。
「おおー!」
半球形となったチャーハンにお子様ランチのチキンライスを見た時と同じときめきを覚える。
「このチャーハンも母の得意料理だったんです」
「も」の一文字に永夢ははっとした。これまで食べた東海林の料理を思い出す。母の味を再現しようとしていたのだろうか。
その間に東海林は空になった中華鍋に胡麻油を足し、ショウガの千切りを炒めて香りが立ったところで、ほぐしたカニカマ、更にレタスを足した。中華スープが注がれグツグツ煮立つが早いか水溶き片栗粉が加えられる。
カニカマの赤とレタスの緑の中華餡が白と黄のチャーハンにかけられると、一皿で彩りの完璧な餡かけチャーハンが完成した。もう見ているだけで美味しい。
「餃子も食べ頃ですね。もう少しパリッとさせましょうか」
隣のフライパンの蓋を取ると湯気が立ち上る。
「もう少しだけ……」
東海林は焦げゆく餃子を見下ろしたままぽつりと呟いた。
「もう少しだけ私の家族の話を聞いてくれますか」
声がわずかにだが震えていた。
「もちろんですよお!」
永夢は笑顔でそう返しながら東海林の十七年を思う。
「東海林先生のお母さんってすごく料理上手だったんですね。私、カレーとかトンカツとかステーキとか一単語の料理しか知りませんよ。餡かけ+チャーハンとかそんな複雑なモン脳内データにありませんし」
ある日突然奪われた家族と日常──そんな事件はニュースの向こうかそれこそミステリー小説にしかなく、自分とは遠い出来事だと捉えていた。
一体どんな思いで過ごしてきたのかなど想像もできない。安っぽい涙など流すべきではないし軽い同情もしていいはずがない。その悲しみは東海林だけのものなのだから。
なら、自分にできることはただひとつ。お喋りをしながら一緒に美味しく食卓を囲む。
食べることは生きようとすること。そして、生きてさえいればどんな葛藤も、問題も、いつかなんらかの結果が出る。結果が解決という形にはならなくとも、時が癒やしてくれることもあり、癒やされなくとも積み重ねた年月そのものが支えになることもあり、そこに一欠片の希望がある。人はそのためだけに生きているのかもしれないとすら思う。
「……っ」
永夢はIHクッキングヒーターのスイッチを切り、フライ返しで餃子をお焦げごとこそげ取った。楕円の青磁の大皿に並べようとしたのだが、泣きそうになるのを堪えているからか、手が震えてしまいうまく行かない。
「私の家族の話も聞いてくださいね。私の兄……お兄ちゃんにですね、なんと彼女ができたんですよ。しかも私よりニ歳下! もし結婚したら年下の義姉ができちゃう。ちょっと複雑ですよねえ」
「……」
東海林は目を細めて永夢を見下ろした。
「ええ、どうか聞かせてください」
永夢も何気なく東海林を見上げて逸らせなくなる。黒に近い濃い茶の瞳はドキリとするほど優しかった。
「できれば、これからもずっと」
その一言に息を呑んで立ち尽くす。キッチンにはデジタル時計しかないはずなのに、どこからか時計の針が動き始めた音が聞こえた気がした。




