過去(1)
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──とはいえ、なんだかんだで東海林に心配されたのは嬉しい。
あの打ち合わせ以来、どれだけ近距離でも人気のある場所、あるいは自宅まで車で送ってくれるようになったのだ。
これだけはサンダースに感謝したかった。
東海林も憎からず思ってくれているのかもしれない。そう期待できて帰り道の足取りも軽くなる。世界中が祝福してくれる気がする。
空は青く雲は白く太陽は輝いている。カラスがカーカー鳴いているのすら愛らしい小鳥の囀りに聞こえた。ニヤニヤしながら歩く自分から一歩引き、慌てて目を逸らす通行人などモブでしかない。
でもとふと駅前の雑踏の中で足を止める。通行人の会話も車のクラクションも構内から流れ出てくるBGMも遠くなる。
東海林が異性と二人きりになると危険だと敏感に反応したのは、妹がそうした事件に巻き込まれ、悲惨な目に遭ったからではないか。なら、浮かれていいはずがない。
先日ネットで芋づる式に見付けた記事を思い出す。
東海林の妹、渚は十七年前に事件に巻き込まれ殺害されている。そして、犯人の男は六年前に逮捕されていた。
当時東海林が二十代後半。警視庁を退職した時期と前後する。遺体発見と逮捕までに十年以上掛かっていることになる。
犯人は当時渚が通っていたスイミングスクールのインストラクターだった。カナヅチを直してくれたと慕っていたのだとか。なら、二人きりになっても警戒しなかっただろう。
なお、犯人は九年前と七年前にそれぞれ別の二人の女性を絞殺しており、それら二つの事件では捜査で証拠や証言が上がり逮捕されている。余罪を追及する中で渚も殺して埋めたと自白したのだが、それまで彼女は行方不明者扱いだったのだ。
帰らぬ渚を待つ東海林の、二人の両親の心境はどのようなものだったか。きっと生きているとの一縷の望みを抱いて探し続けたのではないか。家族とはそういうものだ。
読んだだけで我が事のように胸が押し潰されそうになった。だから、あれ以上記事を検索していない。
いいや、違う。
太陽の熱で照り付けられた道路を見下ろす。
そこから先は本能的に立ち入ってはいけない気がして前に進めない。東海林の奥深くに触れるのが百物語よりもずっと恐ろしい。
こんな臆病者は自分らしくもない。特攻と玉砕は特技ではなかったのか。恋も仕事も人生まるごと当たって砕けろ。何一つ傷付かないで得られるものなどない──それがモットーだったはずだ。
顔を上げ「……よっし!」と気合いを入れる。
メラメラ闘志を燃やしのっしのっしと歩き出した永夢を、やはり通行人はアブナイものを見る目で避けた。
***
その夜、永夢はベッドの上でなぜか正座をし、シーツの上のスマホを前にゴクリと息を呑んだ。切腹前の武士の心境だったが、ええい、女は度胸とばかりにスマホを掴み電話を掛ける。
相手は、響子は約束していたとはいえ、ワンコールで取ってくれた。なお、電話番号もラインのIDも交換している。
「天野さん!? まあっ、待ってたわよー! 電話ありがとう! 元気だったかしら?」
「はいっ! 風邪一つ引いておりませーん!」
幼い頃から風邪どころか病気とはほぼ無縁である。○カは風邪を引かないという諺は忘れることにした。
一通りの雑談を済ませいよいよ本題に入る。
「東海林先生の妹さんの事件についてお聞きできないかと。私、最近偶然知ってびっくりして……。ご両親が亡くなったことは教えてもらったんですが」
東海林はハイキング前、辻褄合わせのためにある程度の個人情報を明かしたが、渚のことだけは教えてくれなかった。つまり、知られたくはなかったのだろう。だが、響子に特に口止めはしていない。
なぜだと首を捻って一つの結論に至った。東海林は好かれているとは思っていないのではないか。だから、自分のことを探られるなど考えてもいない。
永夢としては食事に誘われれば二つ返事。自宅マンションにも躊躇いなく上がる。この二点で気付くだろうと思い込んでいたが、サンダースにもほぼ同じ対応をしている。担当が嫌々付き合ってくれていると捉えているのだとしたら──
「あらっ、まあ、そう言えば御岳山でもそんな感じだったわねえ。東海林君、やっぱり教えてなかったの。そう……」
響子はう~んと唸っていたが「そのうちバレることだからね」と溜め息を吐いた。
「結婚する以上隠しておけないでしょうしねえ。東海林君には私が言ったって内緒にしておいてね?」
「えっ!? け、け、け、結婚!?」
その二文字には度肝を抜かれた。
お茶の間にそんなところまで話が進んでいたのだろうか。東海林とはまだ付き合い始めたばかりという設定だったはずだが。
「会場決まったら教えてね! 私、黒留袖の帯新調しちゃったのよ~。天野さんも小柄だから着物似合いそうよね。白無垢にするの? 楽しみだわぁ」
「……」
とんでもない事態になりつつあることを察し、冷や汗を流しながらもなんとか話をもとに戻した。
「あの、それで妹さんの、渚さんのことなんですが、ご両親がもう亡くなっているのも、事件と関係あるんでしょうか」
「間接的にはね。主人もそれで責任を感じていたんでしょうね」
響子の声がワントーン落ちる。
「お父様が亡くなったのは渚ちゃんの捜索中に事故に遭ったからなの。お母様は心労で……。東海林君が高橋さんに引き取られたばかりの頃は大変だったそうよ」




