城崎夫妻(1)
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城崎夫妻との待ち合わせ場所の御岳登山鉄道滝本駅は御岳山の麓にある。電車ではなくケーブルカーで標高八三一メートルの御岳山駅まで登山者を運んでくれる。
滝本駅から山頂まで登ることもできるのだが、今回は登山初心者の永夢がいるということで、御岳山駅まではケーブルカーで、そこからは徒歩で山頂を目指し、周辺を自然散策する予定になっている。ハイキングと言うよりはピクニックに近いかもしれない。
運良くすんなり駐車できたので、早速東海林と滝本駅へ向かう。
「あ"~、もう今から緊張してきました……」
何事もなく平和に……というよりは呑気に生きてこられた証なのだろうが、永夢は二十四年の人生で警視総監どころか警察との縁がほとんどなかった。小学校の頃近所の交番に迷い猫を届けたくらいである。
ちなみに、結局飼い主は現れなかったので、その猫は天野家に引き取られることになった。もう十五歳は超えているはずなのだが、相変わらずリビングで惰眠を貪っている。
だから、東海林の担当になった際、その経歴を知り驚いた記憶があった。もっとも、異色の経歴の小説家は少なくないのだが──
東海林は「それくらい心の準備をしておいた方がいいかもしれませんね」と頷いた。
「説明したように城崎さんは基本的には物静かな方です。ただ、少々怖いところがあり……」
「え~、ここまで来て怖がらせないでくださいよ~」
城崎については東海林から経歴や人柄、趣味などの事前情報を知らされており、写真も何枚か見せてもらったので顔も知っている。できる限りの対策は取ったのだが、受験よりも就職の面接よりも緊張していた。
東海林は唇の端に笑みを浮かべた。
「ですが、それは城崎さん一人の場合で、今日は奥さんの響子さんもご一緒なので大丈夫です。安心してください」
「大丈夫って何が大丈夫なんですか」
「会えばわかりますよ」
昭和の名残のあるレトロな駅舎が見える。駅舎と言うより木造の一軒家に見えた。「滝本駅」という筆記体の看板と隣接するケーブルカーのホームで駅舎だとわかる。
今日は天候に恵まれたからか、自動券売機の前で何人もの老若男女のグループがたむろし、入り乱れて喋っている。
東海林は辺りを見回していたが、軽く手を挙げドリンクの自販機前に向かった。
「城崎さん、響子さん」
ハイキングファッションの年配の夫婦が振り返る。
「おお、東海林」
永夢はごくりと息を呑んだ。
ここまで来たらもう引き返せない。大きく息を吸って吐き、カッと目を見開き覚悟を決めた。何、イケメンにアタックするのと同じだと頷く。当たって砕けるしかない。特攻と玉砕ならもはや特技だった。
城崎は実用的な眼鏡を掛けたロマンスグレーの男性だった。わずかにくぼんだ頬と眉間に残る皺が渋い。東海林ほどではないが長身で恰幅がいい。カーキの長袖シャツと黒いパンツがよく似合っている。
永夢のイケメンセンサーが脳内で「イケオジ発見! イケオジ発見!」と警報を鳴らした。写真よりずっといい。
隣に立つ女性が妻の響子だろう。ボーダーの長袖シャツに半袖シャツを重ね着し、カーキのパンツを履き同色の帽子を被っていた。若い頃はさぞかし美人だったのだろう。いや、今でも美しい。こちらはニコニコと柔和そうな笑みを浮かべている。
「まあ、東海林君! 久しぶり! あら、この子が天野さん? まあまあ、可愛いお嬢さんねえ」
東海林は永夢の背に手を当てた。
「はい。彼女が天野永夢さんです」
「……っ」
そのさりげなさと大きな手の平の感触にドキリとしつつ頭を下げる。
「初めまして! 青雲館で編集をしております天野永夢と申します! 今日はよろしくお願いします!」
気合いのあまり声が少々大きくなった。通行人が驚いたように足を止める。
「よく間違われるんですけど、アルファベットのエムではなく、永遠の永に夢って書いてえむです。百聞は一見にしかずなので名刺をどうぞ」
それぞれに名刺を手渡すと、響子は「あら、私にもくれるの?」と喜んでくれた。
一方、城崎は何も言わずに名刺を見下ろしていたが、やがてその眼差しを永夢に向けた。まったく隙のない眼差しだった。永夢が遭遇したことのない、厳格で冷徹な精神の持ち主の目だった。
「確かに青雲館の名刺だな」
「見たことがあるんですか?」
「マスコミへの対応は必須だし、取材を申し込まれることも多いからね。各出版社の週刊誌の編集長、編集者、ライターの情報はすべて把握している。青雲館なら週刊パイプか」
一般的な編集者なら威圧と受け取りゾクリとしていただろう。だが、永夢はめげなかった。
「そうですか。青雲館をご存知ですか。でしたら話は早いです。ノンフィクションを書くならぜひ青雲館で! 担当は私を指名していただけると嬉しいです!」
「……」
予想外の反応だったのか城崎が目を瞬かせる。
その間に響子がリュックから文庫本を一冊取り出し、「ほら!」と目を輝かせて永夢に差し出した。東海林が執筆した「神楽に解けない謎はない」シリーズの三巻だった。
「あっ、読んでくださったんですか?」
響子が少女のように頬を染める。
「ええ、すごく面白かったわ! 私、この巻に登場するドクターシックスがすごく好きなのよお。眼鏡を掛けた危険な雰囲気の美青年に弱くって。ちょっと若い頃の主人みたいだから。マッドサイエンティストってところも最高だわ!」
「えっ! 嬉しいです! 先生に犯人は絶対にヤンデレ系のイケメンにしてくださいって頼んでよかった~」
「あなた、それはお手柄よお。ねえ、生死不明になっているけど、ドクターは生きているんでしょ?」
城崎は盛り上がる女二人を唖然と眺めていたが、やがて背後で苦笑する東海林を振り返った。
「……そうだな。定年になったら頼もうか」
かつての部下の肩をポンポンと叩く。
「文章を書くのは苦手だから、その時には東海林にゴーストライターになってもらおう」




