人の金でウナギを食う(6)
「もちろん、仕事が忙しいでしょうし、そこまで天野さんに負担を掛けるわけにはいきません。私が作ってきますので安心してください」
東海林は観音菩薩、あるいは聖母マリアのような慈悲深い眼差しでそう告げた。
「付き合わせてしまって申し訳ございません。天野さんは当日身一つで来てくれれば」
「負担をかけるわけにはいかない」≒「お前にはなんの期待もしていない」──永夢にはそう聞こえた。
だからついムキになってしまったのだ。
「いいえ……いいえ、大丈夫です!」
「しかし……」
「やります。やらせてくださいコーチ!」
東海林はコーチって誰だよとは突っ込まなかった。
***
だが週明けの今日、すでに無駄な熱意を後悔している。
紫外線マックスの太陽の照り付ける昼食時、永夢は青雲館最寄り駅近くの某イタリアンファミレスで、空になったドリア皿を前に絶望していた。右手にはスマホが握られている。
画面には栄養バランス、デザイン、彩り、すべてが完璧な弁当の写真がずらりと並んでいる。インスタ映えしている上に美味しそうだ。実際、美味しいのだろう。
主婦が高校生の息子のために作ったという弁当など料理も写真ももうプロレベルだった。ニンジンのグラッセがねじり梅型に飾り切りされている。
毎日家族の弁当を用意する全国のお母さんは国民栄誉賞を授与されるべきなのではないか。
永夢は溜め息を履きつつ画面を閉じた。
こりゃ私には無理だとヤケ酒ならぬヤケコーラを飲み干す。残業帰りと翌朝の限られた時間、付け焼き刃で作れるシロモノだとは思えなかった。
手作りで東海林に敵うとも思えない。料理の実力ではエレファントとアントくらいの差があるのではないか。どちらにもアントが入るところがまた悲しかった。
冷凍食品でなんとかするしかないかと白旗を掲げたところで、「永夢ちゃん?」と聞き覚えのある誰かに声を掛けられる。
「こんなところにいたの」
「あっ、三上さん」
永夢の三年上にして美人編集者の三上だった。
ハーフアップにされた柔らかそうな髪とナチュラルでありながら女性らしいメイク。夏向けのライトグレーのスーツがよく似合っている。
外の気温は三十度を超えているはずだが、メイク崩れどころか汗ひとつ掻いていないのがすごい。暑さは美人を避けて通るのかもしれない。
日焼け止めにパウダーを叩いただけで、服装はTシャツにパーカー、ゴムウエストのイージーパンツの永夢とは大違いだ。
「向かいの席いい?」
「あっ、どうぞどうぞ」
三上が外で休憩を取るのは珍しい。大抵社内のリフレッシュルームに弁当を持ち込んでいる。だから、永夢も三上をランチに誘うことはそれほどなかった。
三上さんもエレファントかよと拗ねつつメニューを手渡す。
「今日はお弁当じゃないんですか?」
「ちょっと朝起きられなくてね」
何気なく三上の顔を見てクマがあるのに気付く。コンシーラーでうまく隠しているが、こんな時女は同性への観察眼が途端に鋭くなる。
クマだけではない。元気もない気がする。
とはいえ、夏風邪でも引いたのか、それとも生理なのか、あるいは彼氏と何かあったのかなどとは聞かなかった。三上はプライベートをベラベラ喋るタイプではない。
三上は永夢と同じドリアを注文すると、テーブルに置かれたスマホの画面に目を落とした。
「なぁに、永夢ちゃん、お弁当作るの?」
「はい。知り合いとハイキングに行くことになって……。三上さん、お弁当作ってますよね。何かコツはありますか?」
「う~ん、子どもの頃から母に習っていてもう慣れちゃっているから。結婚してから困らないようにってね。コツと言われてもピンとこないわね」
「け、結婚……!」
その一単語に愕然とする。
確かに、自分たちは結婚していてもなんら不思議ではない年齢だ。仕事とイケメンを追っ掛けるのに夢中ですっかり忘れていた。
冷や汗がダラダラと流れ落ちる。
女であれ男であれ、家庭を持つとなれば料理ができるに越したことはないだろう。
このままではマズい。非常にマズい。
リングの片隅で真っ白に燃え尽きている場合ではない。丹下トレーナーに励まされる前に立ち上がらなければならなかった。
永夢の危機感とやる気を感じ取ったのだろうか。三上が「そんなに気合を入れるものでもないわよ」と笑う。
「ほら、永夢ちゃんもお母さんに作ってもらっていた頃、定番メニューや好きなおかずがあったでしょう。そういう内容でいいんじゃない?」




