大人のおやつ(2)
東海林はIHクッキングヒーターで鍋を温めながら、調理台で小鮎の下処理をしているところだった。
「先生、何かお手伝いすることはありませんか」
永夢の声に振り返る。
なんとTシャツとジーンズにカピバラ模様のエプロンをつけている。妙に似合っており危うく吹き出しそうになった。
東海林の表情がいつもどおり落ち着いており、キッチンで一人クールに佇んでいるのでなおさらだ。
「せっ、先生、そのエプロンは……」
「去年スーパーの福引で当たったのですが……そんなに似合いませんか?」
今度は大真面目な顔でガラポン抽選機を凝視し、玉が転がり出るのを一心に待つ姿を想像し、爆笑しそうになったが密かに尻の肉をつねって堪えた。
「い、いえ、決してそんなことは」
永夢は東海林の隣に立った。
東海林はキッチンペーパーで小鮎の水気を取っている。調理台には天ぷら粉の入ったボウルも置いてあった。
「もう結構解凍できていたんですね」
「箱を開けた時点で半解凍で、あとは流水で溶かしました」
東海林は小鮎の一匹を手に取り、腹部に爪楊枝で穴を空けた。内臓入りだと揚げた際体内の水分が水蒸気となり、爆発するので、水蒸気の逃げ道を作っているのだという。
「あれっ、頭とか内臓は取らないんですか」
「鮎はどちらも美味しいですよ。骨も柔らかくて食べられます。このように一口サイズならなおさらです。天然ものだと砂を噛んでいるので、取り除いたほうが食感がいいのですが、養殖ならその心配もありません」
「へえ~」
実家では鮎など食べたことがなかったので、東海林の知識にひたすら感心した。
東海林は続いて菜箸で天ぷら粉と水を混ぜ、くるりと振り返って冷蔵庫の製氷皿から氷を取り出し、手にしていたボウルに放り込んだ。
手際がいいだけではなく、動きにリズムがあり、見ているだけで気持ちいい。
料理する男性に目を奪われたのは初めてだった。
「……さん、天野さん」
名前を呼ばれて我に返る。
「はっ、はい、なんでしょう?」
東海林は唇の端に笑みを浮かべた。いつもより悪戯っぽいその眼差しにドキリとする。
「手伝ってほしいことができました」
昨夜の夕食の残り物だろうか。東海林は萩焼らしき薄茶の角皿に盛られた、ラップのかけられた枝豆を冷蔵室から出した。
「小鮎の天ぷらだけでは寂しいですから、かき揚げを作ってください」
「ええっ」
永夢は両手をぶんぶん振って「無理です!」と訴えた。
「私、揚げ物なんて一度もしたことがなくて。というか、揚げ物だけじゃなくて、焼き物も、煮物も、料理全般……。だって、残業ばっかりやっていると自炊なんて無理じゃないですかっ」
なぜ手伝うなどという無謀な真似をしようとしたのかと後悔する。
東海林は苦笑しつつ永夢をなだめた。
「天野さん、落ち着いてください。ひとまず材料を切ってもらえますか」
東海林は更に冷蔵室から解凍されたベビーホタテ、野菜室から玉ねぎ、ニンジン、三つ葉を取り取り出した。
「ホタテはシーフードカレーに使うつもりでしたが、変更です。ホタテを半分に割ってください。枝豆はサヤから出して」
それくらいならできそうだ。
永夢が胸を撫で下ろしつつホタテを割る間に、東海林は調理台にまな板を敷き、玉ねぎは薄切りに、ニンジンは千切りに、三つ葉は三センチほどの長さに切っていった。
トントンと規則正しいリズムが心地いい。プロの料理人のように異様にスピード感のある手捌きでないのもよかった。実家の母も同じリズムだったなと思い出す。
「東海林先生はいつから料理をしているんですか? お上手ですよね」
「三、四年ほど前からでしょうか」
ということは、東海林が新人賞を受賞し、デビューした前後か警視庁を退職した頃だ。
ふと、なぜ辞めてしまったのかと疑問を抱く。今まで気にしたこともなかったのだが──
T大法学部を卒業し、国家公務員Ⅰ種に合格し、警視庁のキャリア組としてとんとん拍子に警視に出世し、一体何が不満だったのか。
東海林自身の問題で退職したとは思えなかった。本名をペンネームにするなど、高岡のように隠したい過去があればできないだろう。
ちらりと隣に目を向ける。
東海林はてきぱきと作業を進めている。
野菜類をボウルに入れ、衣の元とさっくり混ぜ合わせたのち、火加減を確かめ木べらですくって天ぷら鍋に投入した。素早く形を整える。その流れを二度繰り返した。
聞くだけでワクワクする、あの油が小気味よく弾ける音が耳に届いた。




