大人のおやつ(1)
ショックのあまりその後どう帰ったのか覚えていない……などということはなかった。
長野駅で新幹線に乗り換えたことも、座席で駅弁の信州サーモンのちらし寿司を平らげたことも、物足りずに三点セットの温泉プリンのひとつをいただいたこともしっかり覚えていた。
約三時間かけて東京駅に到着し、八重洲中央口改札を出て円柱に背をつけ、やれやれと地面に発泡スチロール箱を置く。
小鮎をもらったはいいものの、永夢はそもそもほとんど自炊しない。つまり、ろくな調理器具もなければ食器もない。
高岡はそんな女を想像もできなかったのだろう。気軽に「揚げ物にするといい」などと笑っていたが、フライパンとラーメンを煮る小鍋しかない永夢には、揚げ物はレベル1でラスボスを倒すのと同等にハードルが高過ぎた。
どうしたものかとしばし頭を捻ったのち、名案を思い付き、パーカーのポケットからスマホを取り出す。呼び出したのはもちろん、東海林だった。
「お忙しいところ失礼します。東海林先生、今よろしいですか?」
『はい、大丈夫ですよ。なんでしょう?』
ヤクの売人よろしくニヤリと笑う。
「実は、出先の長野でいいブツを入手しまして。天然ものではありませんが、楽しめると思いますよ。いかがですか?」
当初は小鮎を渡し次第、帰宅するつもりだった。
「六月らしいお土産をありがとうございます」
東海林は玄関で発泡スチロールの箱を開け、「これは料理のし甲斐がある」と喜んでくれた。
「天野さんもいかがですか? 一時間ほどでできると思いますが」
と言われても、午後二時である。昼食には遅く、夕食には早い。太るのも困る。非常に困る。
だが、東海林の手料理は捨てがたい。食うべきか、食わざるべきか、それが問題だとハムレットさながらに苦悩していたのだが、結局東海林のこの一言で落ちた。
「この小鮎で天ぷらを作ります。ビールも用意しますので、三時から大人のおやつにしませんか」
大人のおやつ──なんと魅惑的な響きだろうか。
結局ビーフジャーキーを差し出された犬さながらに、ない尻尾を振って東海林についていった。案内されたリビングダイニングのソファに座る。
まもなく冷えた麦茶のグラスが目の前のローテーブルに置かれた。
「少々時間がかかるので、できあがるまでテレビでもどうぞ」
一口飲んでほどよい冷たさと香ばしさにほっと息を吐く。
同時に、脳裏で闇の向こうの見えぬ蛍を眺める高岡、子どもを愛おしげに見つめる高岡の表情が浮かんでは揺れた。
失恋したような切なさと、空也に夢中になっていた頃の憧れの残滓、そしてほっとした温かい気持ちが入り交じる。
この感情になんと名付けるべきなのか、自分でもわからなかった。
耳を澄ませるとキッチンから水を流す音が聞こえる。
「……よし」
やはり物思いに耽るのは性に合わない。
人様、それも担当の小説家の自宅に上がり込んでおいて、上げ膳据え膳というわけにもいかない。
東海林を手伝わなければとキッチンに向かった。




