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イケメン推理小説家の今日の献立  作者: 東 万里央
第二話「小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ」
22/85

元推し(2)

 眼鏡の向こうの意思の強い眼差しにドキリとする。手の届かないアイドルとしてではなく、生身の空也を初めて見た気がしたからだ。


「もちろん、強制することはありませんし、先生のプライバシーは尊重します。"蛍殺し"はいい作品で、すでに営業も動き出していますから、それだけで出版中止ということにはなりません」


 口にすべきかどうかを迷ったが、聞かずにはいられなかった。


「高岡先生、どうして小説を書いたんですか」


 そしてなぜ新人賞に応募したのか。


「小説家になって、有名になって、誰かに読んでもらいたいからでは?」


 プロの小説家がジャンルを変え、変名で作品を執筆することはある。例えば、児童文学の小説家が官能小説を、ライトノベルの小説家が純文学を書いた場合などだ。各ジャンルの読者層の印象への考慮や、もう一方のジャンルのイメージを引きずりたくないからだろう。


 だが、高岡は違う。


「なぜアイドルだったことを隠しておきたいんですか? 引退の際、大変だったことは私も知っていますが……」


 高岡は苦笑し「過去を隠したい理由はいくつかあります」と答えた。


「ひとつは僕と家族の身の安全のためです。三年前、世間や昔のファンはもう僕など忘れているだろうと、特に警戒することもなく平穏に暮らしていたのですが……」


 なんと、狂信的なファンの女性のひとりが空也の──高岡の現状を突き止め、従業員として入り込んだのだとか。ありとあらゆる個人情報を調べ上げ、自宅に不法侵入していたところを鉢合わせた高岡が捕まえた。


「そ、そんなことが……」


 自分も狂人と紙一重のファンだったとは思うが、さすがにそこまでしない、というよりはしたくはない。嫌われるのが怖くはなかったのかと思う。


「もうひとつは千奈美の、妻の病気を慮ってのことです。もう寛解し、あの通り働いてはいるのですが、まだ芸能界やモデル業界にトラウマが……」


 千奈美とは美奈月の本名なのだろう。


「奥さんはご病気なんですか?」


「実は、東京にいた頃摂食障害とうつ病を患ったんです」


 仕事が行き詰まっただけではなく、モデル事務所でのトラブルや人間関係に悩んでいたのだという。高岡が詳細を濁したところからして、業界の闇を象徴するような出来事だったのだろう。


「僕は付き合っていたのに何もできませんでした。しなかったと言った方がいいか」


 美奈月はモデルになるのは夢だったが、これ以上頑張れないと泣いたのだと言う。


「もう、湯田中に帰りたいと泣きました」


 もともと高岡と美奈月──千奈美は中学校の同級生だったのだそうだ。その頃は仲のいいクラスメート程度の間柄だったのだが、互いに上京してデビュー後、仕事を通じて再会し意気投合。こっそり付き合うようになったのだという。


「妻は義父母から跡を継げと押し付けられるのを嫌がって、絶対に帰らないとよく主張していましたが、結局モデル業界の水が合わなかったんでしょうね」


 一方、当時MUSASHIは人気が鰻登りだった時期で、会う機会がどんどん減っていた。


 そんな中千奈美が自殺を図ったのだという。


 永夢は思わず声を上げた。


「じゃあ、やっぱり高岡先生のせいじゃなかったということですか?」


 話の流れからするとうつ病が原因としか考えられない。


「どうしてあんなひどい報道に反論しなかったんですか」


「アイドルはイメージが最優先ですからね。事務所にもマネージャーにも迷惑をかけてしまいました」


「だからって、先生が泥を被るとか」


 高岡は和卓に身を乗り出した永夢に微笑みかけた。穏やかな、何かを悟った微笑みだった。


「僕にとってはそうすることが最善だったんです。今でもその点については疑っていません」

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