信州会席(2)
さて、いよいよ信州ステーキだ。
すでにミニサイズの鉄鍋には分厚い霜降り肉とピーマン、パプリカ、タマネギが並べられている。
迷ったものの結局電話で美奈月を呼んだ。聞きたいことがあったからだ。
「レア、ミディアム、ウェルダン、どのレベルで焼きますか? お勧めはレアとミディアムの中間ですね」
「あっ、じゃあそれで。肉食系なので、血の滴るステーキが食べたいです!」
美奈月は固形燃料に火を付け、丁寧に肉と野菜を焼いていった。接客だけではなく厨房で水仕事もしているのだろう。その手は白魚のようなとは言えず、乾いて荒れていた。働き者の手だった。
美奈月が永夢の視線に気付き顔を上げる。
「お待ちの間、お料理を召し上がっていただいてよろしいですよ」
「あっ、はい。それでは遠慮なく……」
美奈月とステーキを交互に観察しながら、抹茶塩で大海老とオクラ、パプリカを。天つゆで正体不明の白身魚の天ぷらをいただく。
途中、物足りなくなりあとで食べるつもりだった松茸と舞茸とシメジ、三種類のキノコの釜飯をよそった。お焦げの部分が醤油の香りが際立って絶品だった。
ステーキが焼け皿に盛られたところでさすがに焦る。このタイミングを逃すと聞けない──その一心で思い切って口を開いた。
「あのう、岡田さん、つかぬことを伺いますが、今日の夕食後、もう一人の岡田さんと私がお話すると言うことは……」
美奈月からステーキ皿を受け取りつ尋ねる。美奈月はあっさりとこう答えた。
「はい、お聞きしております。その件については私も相談されておりましたので」
高岡が新人賞に応募したことも、小説家としてデビュー寸前だということも、永夢もまだ知らない今日の相談内容も承知しているのだという。
「私はあの人の思い通りにすればいいと考えております」
「えっ、ちょっ、お二人はどのようなご関係で?」
美奈月は永夢が見惚れるほど清らかな微笑みを浮かべた。
「夫婦です」
「……!」
夫婦、ふうふ、フウフ、FUFU──つまりめおとということだ。
また永夢の脳内にフラグが一本立った。
「それでは、ごゆっくりお召し上がりください。もうしばらくしましたらおソバとデザートをお持ちしますね」
頭を下げて出ていく美奈月を呆然と見送るしかなかった。
それでも、信州ステーキはしっかりといただいた。
霜降り肉の信州プレミアム牛のステーキは脂がとろけるようで、醤油ベースのソースとよく合った。タマネギも一緒に口の中に放り込むと至福の美味だ。時折口直しにウニの茶碗蒸しのダシを啜った。
その後美奈月が締めの辛味大根ソバと、デザートのメロンのブルーベリーチーズケーキ添えを給仕に来たが、もはや何も聞くことはなかった。
ひたすら無心で食べるのに徹した。そうでもしなければ動揺を抑えられない──のもあったが、ソバもデザートも好みど真ん中の味だったからだった。
お茶は三杯お代わりした。
食器類が片付けられ、曇りなく拭かれた和卓の前で、満腹になった胃を撫でつつその時を待つ。
室内のレトロな壁掛け時計の針がついに午後九時を指した。同時にドアがコンコンとノックされる。
永夢はごくりと息を呑んだ。
「どうぞ」
ドアが音もなく開けられ、藍染めの作務衣姿の男性が現れる。
男性は畳に手をつき深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。高岡万次郎……岡田空也と申します。すでにご存知でしょうが、旧姓は上杉と申します」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、頭を下げないでください」
つい声が裏返りどもってしまう。
男性は永夢に言われるがままに顔を上げた。
アイドルだった頃にはアッシュブラウンに染められ、ラフにセッティングされていた髪は、今は黒くなり丁寧に撫で付けられている。また、眼鏡をかけていたのも衝撃的だった。錦戸のようなお洒落メガネではなく、黒縁でしっかりとしたつくりだ。
雰囲気もキラキラ輝いていたアイドル時代とはまったく違う。地に足をつけて堅実に生きる大人の男のものだ。だが、その顔立ちは紛れもなく永夢が高校三年間の青春を捧げて追っ掛けた、MUSASHIの上杉空也だった。
六年前の上杉空也と美奈月のスキャンダル、岡田空也と上杉空也、美奈月、そして夫婦──
アムンゼンにより南極点に突き刺されたノルウェー国旗のように、最後の死亡フラグをハートに深々と立てられ、ついに永夢は声を失った。




