信州会席(1)
露天風呂は檜造りでのんびり足を伸ばせる大きさだった。木の柵の向こうには湯田中の山々と田畑が見える。どちらも青々としており、緑の爽やかな香りが初夏の風に乗り、永夢の前髪をふわりとさらった。
「はあ~、極楽、極楽」
頭に手ぬぐいを載せ、おっさんのように堪能しつつ、時折「マリリン・モンロ~♪」などと片足をお湯から上げセクシーポーズを取る。
たっぷり一時間半をかけてあがり、浴衣を身に纏った頃には、何を悩んでいたのかをすっかり忘れていた。和卓に持参したノートパソコンを開き、溜まっていた仕事を片付けるべくキーボードを叩く。
次はまた別の作品の、書籍や出版社の公式サイト、通販サイトに掲載するあらすじをまとめるのに悩んでいた。面白いのだが、内容に多分に哲学的なところがあり、起承転結もはっきりしていない。読者の心に響くポイントを掴みづらい内容だからだ。
それでもウンウン唸りつつ下書きを終わらせる頃にはもう、夕食の午後六時五分前となっていた。
瑞雲の間の扉が二度叩かれる。
「失礼します」
今日の自分の担当は美奈月らしい。美女、しかも元モデルに配膳されるのは初体験で、またもやおっさんのようにそわそわして落ち着かない。
料理は恐らくフルコースなのだろう。予想以上に豪勢で美奈月以上にそわそわした。
だが、そんなそわそわも一瞬で吹き飛んでしまった。
料理を並べ終えた美奈月が頭を下げたからだ。
「では、ごゆっくりどうぞ。信州プレミアム牛のステーキにつきましては、ご希望でしたら私が焼きに参りますので、室内の電話でお呼びくださいね」
フロントでは気付かなかったのだが、美奈月の胸元にはネームプレートがつけられている。そのネームプレートに「岡田」とあった。
つまり、高岡の本名の姓と同じである。岡田という姓は珍しくはないが偶然にしてはできすぎていた。
まさかと冷や汗を流しながらも、タイミングを逃して何も聞けなかった……というよりは、腹が鳴ったのでそれどころではなくなっていた。
腹が減っては戦ができぬとばかりに、「いただきます」と手を合わせる。
和卓には色とりどりの料理が並べられていた。赤、黄、黄、緑、茶、白を巧みに組み合わせ、配色や配分にも気を使っているのがわかる。
食器は料理を引き立てるためだろう。落ち着きのある朱塗りや黒塗り、白を基調としたものが多かったが、柚子型などユニークな形もあり感心した。美術館で絵画を鑑賞している気分になる。日本料理は香りや味はもちろん、目で楽しむものなのだ。
まず、目の前の朱塗りの盆の上にあった、琥珀色の液体の注がれた一口サイズのグラスを手に取った。和卓の片隅に置かれた献立表にはサンザシ酒と書かれている。
ちなみに、献立表は達筆過ぎて半分以上が読めない。
サンザシ酒はイチゴとベリー類を混ぜたような可愛い香りがする。一口飲んでリキュール特有の濃さと甘酸っぱさに驚いた。ビタミンCとクエン酸、アルコールが濃縮された味がする。風呂で気だるくなっていた体が一気にしゃきんとし、胃が刺激され食欲が増すのを感じた。
その勢いに任せて箸を取る。
せっかくの会席料理なのでマナーに則って献立表の順通りにいただくことにした。
ます、サンザシ酒と同じ盆に載った先付のワサビ豆腐のクコの実添えと、信州サーモンの燻製を口にする。信州サーモンの燻製には脂とレモンが載っており、脂と香ばしさと酸味のバランスが絶妙だった。
続いて前菜なのだろうか。黒塗りの小箱に和菓子さながらに並べられた、八種類の料理に手を付ける。どれも一口サイズだ。まず、赤と白が入り交じる羊羹にも似た一品を口に放り込んだ。
「あっ、これカニだ」
ゼリーで寄せらしい。ほんのり柿の味もする。食べなければ何かわからないのも面白かった。
黒塗りの椀は早生の松茸とハモの土瓶蒸しだ。蓋を開けると香りが湯気とともに鼻に届いた。思い切り吸い込んでそれだけでも食べた気分になる。
松茸は本来秋が旬であり、早松はそれに比べて香りが弱いのだが、味がいいらしい。と聞かされても、旬の松茸を食べる機会など夢のまた夢の永夢には違いがわからない。
なんにせよハモの淡白な旨味に早松の香りが染み込み、十分香りも味も松茸だ!と思える美味だった。
お造りはやはり信州サーモンと鯛、エビだ。鯛は昆布で締めてあり風味が良かった。焼き物は鮎で温物は岩ガキと季節の根菜類だ。
ここでビールがほしくなったが我慢である。このあと高岡と話し合いがあるのだから。




