いざ湯田中(2)
空也が芸能界から姿を消してまもなくの頃は、永夢は「この程度の女を空也が相手にするはずない! 空也の人気に嫉妬した底辺アイドルの陰謀に決まってるんだから!」などと、ネットで検索した美奈月の写真を前にハンカチをキリキリ噛み締めていたものだ。
だが、いざ実物の美奈月を目の前にすると、そのオーラと美さに恐れおののいてしまう。芸能界での「この程度の女」とは、その他大勢の一般人界では天女レベルなのだと否が応でも実感せざるを得ない。
虫ケラレベルのわたくしめが悪うございました! 殿、どうぞこの場で無礼討ちにしてくだされ!とひれ伏したくなる。
以前、青年漫画誌の打ち合わせでもあったのか、青雲館を訪れたグラビアアイドルらしき女性を見かけたことがあるが、美奈月には彼女たちの挑戦的な眼差しと健康的な肉体美とは異なる美しさがあった。
ひとつに束ねた髪は黒いままだ。パウダーを叩いたくらいにしか見えないのに、しっとりときめ細かな白い肌とすっきりした目元。長いまつ毛に同じ女でも目を奪われる。
背は高いのだが体つきは華奢ですらあり、川辺にひっそりと咲く白い水仙を思わせた。
殺伐とした体育会系のモデル業界にいたとは思えない、長野の空気のように透明感のある女性だった。ネットやファッション誌で見た彼女とまったく印象が違う。
呆然とする永夢に美奈月がニコリと笑い掛ける。
「はい、岡田からお聞きしております。それではお部屋にご案内いたしますね」
どういうことなのだと脳内でいくつもの?が回転寿司さながらにぐるぐる回る。
その間に美奈月に荷物を持ってもらい、ともにエレベーターに乗り最上階の三階へ向かった。
「三○ニ号室の瑞雲の間でございます」
美奈月に案内された部屋は広々とした和室で、畳の中央に使い込まれた、だが丁寧に手入れのされた黒光りのする和卓と座椅子が配置されていた。和卓は大きさからして四人がけだろう。
床の間の壁には文字だけの掛け軸が掛けられ、床には星形の青い花の生けられた一輪挿しが置かれている。行灯風のシーリングライトと片隅にあるベッドサイドランプもよく調和していた。
簡素だが高級感があり、それでいて居心地の良さそうな部屋だ。
「お部屋の露天風呂は二十四時間ご利用になれますので、お好きな際にご利用ください。お食事はお部屋で六時からの予定ですが、変更はございませんか?」
美奈月のその一言で我に返る。
「あ、あのっ、私、一番安い部屋を頼んだんですけど」
食事は部屋食ではサービス料が発生するので朝夕とも一階の和食レストランで取る予定で、露天風呂付きの部屋はいきなり高価になるので避けたはずだった。それ以前に瑞雲の間は最高級の部屋だった気がする。
永夢の戸惑いに気付いた美奈月が「ご安心ください」と頭を下げる。
「こちらはすべて岡田からのサービスです」
「高岡先生から……?」
接待のつもりなのだろうかと首を傾げたが、こちらの予約時の勘違いかもしれず、今はまず落ち着いて頭を整理したかった。
「わかりました。予定変更はなしで」
美奈月が引き下がるのと同時にパーカーを脱ぎ捨て、畳の上に寝転がったのだが考えがまとまらない。
「よし、温泉入っちゃお」
答えが出ない時は誰かに相談する。とにかく動く。あるいは何か別のことをする──それが永夢の仕事上でのモットーだった。




