豚汁で朝ごはん(5)
悠人の存在を思い出したのは、食後に東海林と二人で熱いお茶を飲み、全国お雑煮マップについて語り合っていた時のこと。
ちなみに、お茶はほうじ茶だった。湯飲みの底に茶の茎が何本か沈んでおり、風情がある。香ばしい風味で舌に残っていたラードが洗い流されすっきりした。
途中、ふと気になってスマホを覗いてみたのだが、担当する小説家の一人からLINEで質問メッセージが届いている。ざっと内容を読んですぐに回答しようとしてはっとした。
悠人から三ヶ月ぶりに返信があったのだ。ただし、永夢の最後のメッセージの「次いつ会える?」に対し、「元気?」とだけ書いてある。
昨夜までの永夢なら悠人の意図をはかりかね、また堂々巡りで悩んでいただろう。なのに、今は胸の中が妙にすっきりしてそれほど気に病まない。
気持ちの切り替えが早い、遅いどころではない。昨夜から一日も経っていないのだ。自分の脳みその容量は昆虫以下ではないのかと疑った。いや、昆虫に失礼な気すらする。
仕事についてはどれだけ細かいことも忘れない。なのに、自分のプライベートについては家事といい、恋愛といい、何事についてもポンコツだ。一体なぜだと自問自答していると、東海林に「どなたからですか?」と尋ねられた。
「悠人さんからですか?」
いきなり当てられぎょっとしたものの、元警視庁のキャリア組相手に誤魔化しきれる気がせず、「はひ、そうです……」と素直に頷く。怒った顔や苛立った顔など一度も見たことがないのに、東海林には時折妙に逆らいがたいころがあった。
「でも、"元気?"としか書いていなくて、どう返事していいのかわからなくて」
東海林は永夢の返答を失恋でまだ傷付いているからと取ったのだろうか。
「わからないならわからないままでいいでしょう」
つまり、放置しておけと答えたのだ。
「今はまだ辛いかもしれませんが、天野さんでしたらすぐに立ち直れます。返信はその時でいいと思いますよ」
「……」
せっかく心配してくれているのに、もう半分立ち直っているとは言い辛かった。なんとなく自分の図太さが申し訳なくなり、「そうでしょうか」と目を伏せる。
東海林はほうじ茶をもう一口啜った。形のいい額に前髪が影を落としている。
「ええ、悲しみを悲しみだと認識できて、素直に人に心を預けられて、泣けるのは誰にでも出来ることではありません。意外と……かなり難しい。それができる天野さんのような方は強いですから」
「えっ、まあ、確かに大人になるとそうかもしれませんが、私の友だちって割と皆そんな感じなんですけど。嫌なことがあるとお互いすぐに愚痴りますし」
細められた切れ長の目が永夢に向けられる。その瞳に浮かぶ優しい光に、永夢は心臓がドキリと鳴るのを感じた。
「天野さんが素直な方だから、そんな人が周りに集まるんでしょうね」
「……よく受け取りすぎですよ」
昨夜とんでもない失態を演じたのに、逆に素直だと褒められて心がムズムズする。大人になって褒められることが少なくなったからだろうか。何気ない一言でも子どものように嬉しく気恥ずかしかった。
同時に、難しいと感じるということは、東海林は悲しいことがあっても、泣けないのだろうかと首を傾げる。永夢はほうじ茶の水面を見下ろしながら、自分が担当する以前の東海林の作品の登場人物たちを思い出した。
小説が商品として販売される以上、ある程度世の流れに合わせる必要があり、作品のすべてに作者の人生観や思想が反映されているとは思わない。それではエンターテイメントでも芸術でもなく、自伝か思想書かプロパガンダだ。そういうタイプの小説家も確かにいるが、登場人物が必ずしも作者の自己投影であるとも思わない。
だが、東海林がミステリー小説で書く犯人役はなぜか気になった。快楽殺人鬼は一人もいない。どちらかと言えば復讐型の、殺すことで秘めた憎しみや悲しみを覆そうとするタイプが多かった。
「天野さん?」
不意に名前を呼ばれて慌てて顔を上げる。
「な、なんでしょう?」
「お茶のお代わりはいかがですか?」
「あっ、はい。まだ大丈夫です」
東海林がどんな男性であるにせよ、確かなことがひとつだけあった。
昨夜ロリコンのナンパから助けてくれ、嘔吐したのち自宅にまで連れてきてくれたのは、悲しんで泣いている誰かを放っておけない優しい人だからだ。なら、ずるいがもう少し傷付いた振りをして、もっと構ってもらいたかったなと残念に思う。
あらためてほうじ茶の水面を見下ろすと、いつの間にか茶柱が一本立っていた。




