復活のチキンストロガノフ(1)
──季節が巡るのは早い。
あっという間と言うが、永夢はこの一ヶ月仕事に忙殺され、気が付くと新年度となっていた。つまり、編集者三年目に投入したのだ。もう仕事に言い訳ができないキャリアだ。
だが、永夢は相変わらず文芸第三出版部のカースト最底辺にあった。社内異動やフリーランス編集者で賄えるということで、今年も新入社員が来なかったからだ。
近頃、出版不況で文芸は予算が厳しいとはいえ、少々期待していただけにがっかりした。下っ端は何かと雑用を押し付けられがちだからだ。
「そうだとは思ってたんですけどね」
永夢はパソコン画面で四ヶ月後出版の小説の装画のラフをチェックをしつつ、カフェラテを啜りつつ、愚痴と溜め息を吐いた。
「あ~、私も錦戸さんみたいに上から目線で後輩におっさんモドキのウザい説教してみたかったのに」
「おい、ひどいな。俺がいつそんなことをした」
斜め前の席の錦戸がすかさず突っ込む。
「まあ、天野が意外に使える奴だったから、増員は必要ないって判断したのもあると思うぞ。初めて会った時には人事はこんな子どもみたいな女を寄越すなんて何考えてんだと思ったけど」
「うん、錦戸さんも一見褒めているようで十分ひどいこと言っていますよ」
とはいえ、永夢自身もなぜ文芸に配属されたのかはいまだに不思議だった。それも、二年目で書籍編集を任されるようになったのだ。
青雲館の長年かつ全体的な傾向なのだが、入社数年のペーペーが書籍編集の仕事を割り当てられる事例は少ない。編集を任されたところで雑誌が多い。
永夢も一年目は文芸雑誌の編集に回されたのだが、二年目に書籍編集もやれと複数の作家の担当となったのだ。
ちょうどその頃文芸第三出版部から一人正社員の退職者が出たのもあるだろうが、それでも異例の抜擢で、文芸の書籍編集を目指す同期らになぜお前がと髄分やっかまれたものだった。
「実は入社前は月刊SARARAか、隔月刊になっちゃったけどKIRARIの女性向け漫画の編集者になりたかったんですよ」
モデルとのスキャンダルが報道されて芸能界から消えた、昔追っ掛けていたアイドルグループMUSASHIのイケメンメンバーと、元カレの悠人の顔が脳裏に浮かんでは消えた。
「安土先生と二人三脚で理想のヒーローを生み出したかった……。二次元だったらイケメンでも裏切らないし……」
「安土先生ってキミコイの? お前そっちの路線だったのか。うん、いかにもって感じだな」
「いかにもってなんですか」
エントリーシートの志望動機を記入する際にはあらんばかりの熱意を込め、面接は室内を燃やし尽くさんばかりの二次元イケメンへの愛をもって臨んだのだが──
とはいえ、今では文芸編集にも遣り甲斐を感じている。美味しいご飯も食べられることだしとニヤニヤしていると、「なあ」と再び錦戸に声を掛けられた。
「お前、最近困ったことはないか。いつでも相談に乗るぞ」
「なんですか、突然」
「担当する男の小説家にセクハラされていないか?」
「えっ、まったくないとは言えませんが、困るほどではないですよ」
錦戸のお洒落メガネの向こうの人を食ったような目が珍しく揺れる。
「そうじゃなくて…………」
錦戸が言いあぐねる間にデスク上のスマホが震えた。画面に表示されたその名前に顔をパッと輝かせる。
「はい、もしもし」
『東海林ですが、早めに来てしまいまして』
今日は東海林が青雲館の近くに立ち寄る用事があるので、その際直に会って、応接室で改稿の打ち合わせをしようということになっていた。
『よろしければ一緒に昼食はいかがですか。近くに美味しいロシア料理店があります。チキンストロガノフが絶品ですよ』
「あっ、はい。それでは、すぐに参ります」
永夢はスマホを手に立ち上がった。
「錦戸さん、お話はまたあとで。東海林先生がいらっしゃったので」
「東海林先生?」
「それでは!」
頭の中はもうチキンストロガノフで一杯だった。




