第9話:屋上の異変と、お気に入りの愛車
ガラリと教室の引き戸を閉め、悠人は静まり返った廊下へ出た。
背後からは、2年B組のクラスメイトたちが固唾をのんで見送る気配が伝わってくる。
彼らの中では「単身で校舎の危機を救いに向かう英雄の背中」として映っているのだろうが、悠人の頭の中にあるのはただひとつ。
(駐輪場の屋根……マジで無事でいてくれよ。あの変速ギア付き、坂道登るのにめちゃくちゃ重宝してるんだから)
階段を一段ずつ上り、最上階の屋上扉へと向かう。
上へ上がるにつれて、冷気と不気味な風圧が強まっていった。
扉の隙間から漏れ出してくるのは、紫色の歪んだ光と、キィキィという甲高い羽たたく音だ。
屋上の重い鉄製扉は、内部からの圧力ですでに歪み、半分ほど外れかけていた。
悠人は邪魔な鉄扉を横に押し開け、屋上へと足を踏み入れた。
――そこは、もはや学校の屋上ではなかった。
コンクリートの床中央には、空気を無理やり引き裂いたような巨大な紫色の亀裂――【歪みの亀裂】が揺らめいている。
その周囲を飛び交うのは、黒い皮膚と石のような硬質な羽を持つ怪鳥、【ガーゴイル・インプ】の群れ。
一〇匹を超す群れが、キイキイと耳障りな鳴き声をあげながら、校舎の周囲を旋回していた。
そして、その中央――歪みの亀裂の真上には、一際巨大な個体が鎮座していた。
体長三メートルを超え、両腕が鋭い岩の爪へと変貌している上位種。
――【ガーゴイル・リーダー】。
「キシャアアアアッ……!!」
ガーゴイル・リーダーは悠人の姿を認めると、赤く光る眼球をギラつかせ、不快な高音で威嚇した。
その爪からは、バチバチと紫色の雷撃が漏れ出している。
だが、悠人が見ていたのは魔物の姿ではなかった。
屋上のフェンス越しに、はるか下にある「駐輪場」の様子を覗き込んでいたのだ。
(あ……おいおい、嘘だろ)
悠人の表情が引きつった。
駐輪場の波板屋根の上に、落下したコンクリートの破片がいくつか散らばっている。
そして、その直下に止められた、悠人の愛車――青い変速ギア付きクロスバイクのハンドルが、わずかに歪んでいるように見えた。
(……ちょっと待て。あの位置、屋根が崩れたら直撃コースじゃないか?)
悠人の中で、静かなイラつきがフツフツと湧き上がってきた。
コンビニの焼きプリンに続き、今度は大切な通学の足まで脅かされている。
「キギィッ! 人間……叩き潰す……!」
悠人の思考をよそに、ガーゴイル・リーダーが岩のような翼を羽ばたかせ、屋上の床を蹴った。
凄まじい風圧とともに、大体量が弾丸のような速度で悠人めがけて急降下してくる。
その岩の爪は、触れるものすべてを砕く威力を秘めていた。
迫り来る凶悪な質量。
だが、悠人の脳裏に浮かぶステータスウィンドウは、相変わらず至って平然としていた。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
――秒間、二十万回におよぶ極小超音速圧縮振動波。
悠人は溜め息をひとつ吐くと、迫り来るガーゴイル・リーダーに向けて、ポケットに手を入れたまま右足でトンと屋上を踏み鳴らした。
――ドゴォォォンッ!!
爆音。
悠人の足元から放たれた見えない衝撃の波が、空中で突撃してきたガーゴイル・リーダーと真っ向から衝突した。
「ギ……ッ!?」
ガーゴイル・リーダーの動きが、完璧に静止した。
頑丈な岩の爪が、手元から一瞬でミクロの粉末へと破砕していく。
ズザザザザザザザザザザッ!!
コンマ数秒の間もなく、屋上に渦巻いた無数の超音速微振動弾幕が、ガーゴイル・リーダーとその周囲を旋回していたガーゴイル・インプの一群をまとめて飲み込んだ。
細胞すら残さない、圧倒的な存在消去の嵐。
絶叫をあげる時間すら与えられず、三メートルを超える巨体も、空を飛んでいた一〇匹余りの怪鳥も、ことごとく黒い粉じんへと還元されていく。
それだけにとどまらず。
衝撃波の余波は、背景で怪しく輝いていた空間の亀裂――【歪みの亀裂】そのものにまで到達した。
バリバリバリッ……!!
本来ならば、専用の封印魔法や高階級のダンジョン攻略によってしか閉じることができないはずの空間の歪みが、悠人の放った超音速微振動の波に耐え切れず、まるで薄いガラスのように破砕した。
パリンッ、と涼やかな音を立てて、紫色の歪みは空間ごと霧散した。
「……ふぅ。これでこれ以上、破片が下に落ちることもないな」
静まり返った屋上で、悠人はトートバッグを抱え直し、満足そうに頷いた。
だが――。
屋上へ続く階段の陰から、その光景のすべてを目撃していた人物がいた。
先ほど交差点で悠人に助けられた形となった「東町サバイバーズ」のリーダー、武藤 剛造と、その補給班のメンバーたちだった。
彼らは、校舎屋上に発生した【歪みの亀裂】を警戒し、遠巻きに状況を窺いに来ていたのだ。
しかし、彼らが目にしたのは――。
中級ダンジョンクラスの亀裂と上位種魔物を、ただ『地面を軽く踏み鳴らしただけ』で、亀裂ごと空間から消し去った天羽悠人の姿だった。
「ひ……ひぃふっ……!?」
武藤は恐怖のあまり声が出ず、その場に膝から崩れ落ちた。
(ば……バカな……!? ダンジョン・ブレイクの『亀裂そのもの』を力ずくで破砕して閉じただと……!?)
(魔法も、聖遺物も使わずに……ただの足踏みひとつで空間の法則を塗り替えたというのか……ッ!?)
武藤たちの全身から、ドッと大量の冷汗が吹き出す。
彼らの中で、天羽悠人という存在はもはや「不条理な強者」などという生易しいものではなくなっていた。
(神だ……あるいは、この狂った世界の理を具現化した『理の化身』……! 触れてはならない……絶対にあの男の意に反する行動をとってはならない……!!)
当の悠人はというと。
「よし、駐輪場の確認に行って、愛車に傷がついてないか見てくるか」
まったく周囲の絶望と誤解に気づかぬまま、呑気に階段を下りていくのだった。




