第10話:確認の刻と、深まる誤解
校舎の階段を一段ずつ下りながら、悠人は頭の中で愛車――青い変速ギア付きクロスバイクの無事を祈っていた。
先月、自分の少ないお小遣いを数ヶ月分ため込み、ようやく買い求めた相棒だ。
これがあるおかげで、毎朝の通学におけるあの長い上り坂を、ギアを切り替えて軽快に登り切ることができている。
「頼むからハンドルが歪んでるくらいで済んでいてくれよ……」
悠人は暗くなり始めた廊下を通り抜け、昇降口から外へと出た。
一階の昇降口近くでは、2年B組の生徒数名が窓越しに恐々(こわごわ)と外を伺っていたが、悠人の姿を認めると一斉に固直した。
「あ……天羽くん……!」
「屋上からのあの不気味な音と光が、一瞬で消えたけど……」
佐伯葵が教室から様子を見に来ていたのか、階段の影からおずおずと声をかけてくる。
「ああ、屋上のゴミ(魔物)は片付けておいたよ。それより駐輪場に行ってくるわ」
「えっ……? ち、駐輪場……!?」
葵と周囲の生徒たちは、互いに顔を見合わせた。
(屋上の大規模な空間の歪みを一瞬で片付けて……間髪入れずに今度は駐輪場(敷地境界)の索敵に向かうというの……!?)
(どこまで周到なの……! 一秒の隙も作らず、学校全体の安全を完璧に確保しようとしてくれているんだ……っ!)
またしても繰り広げられる、圧倒的な勝手な脳内補正。
悠人はそんな周囲の壮大な勘違いなど知る由もなく、マイペースな足取りで校舎裏の駐輪場へと向かった。
夕闇が迫る校舎裏。
波板屋根の駐輪場には、数個のコンクリートの小石が散らばっていたが、屋根自体は大きな破裂も崩落もなく、持ちこたえていた。
悠人はサッと駆け寄り、自分のクロスバイクをくまなくチェックする。
「どれどれ……。フレームに傷なし、タイヤの空気圧よし、チェーンの外れなし……。あ、ちょっとサドルにコンクリートの粉が被ってるくらいか。よかったぁ……!」
サドルをポンポンと手で払い、愛車が無傷であることを確認して、悠人は心底ホッとした笑みを浮かべた。
――その時である。
駐輪場の裏手に広がる学校の敷地外柵から、ガサリと草木をかき分ける音が響いた。
「……ひっ……!!」
フェンスの影に縮こまっていたのは、先ほど屋上から命からがら逃げ下りてきた「東町サバイバーズ」のリーダー、武藤 剛造と、そのスカウト班のメンバーだった。
彼らは悠人が校舎から出てきたのを見て、存在を消すように息を殺していたのだ。
(ま、まずい……! 『理の化身』に見つかったら……俺たちもあの破砕の衝撃波で消される……!!)
武藤は全身に嫌な汗をびっしょりと掻きながら、地面に額をこすりつけんばかりの姿勢で平伏した。
しかし、悠人は彼らの存在に気づくと、ただ「サドルを払う布でも持っていないか」尋ねようと声をかけた。
「おい、そこのおじさんたち」
「ひぃぃぃっ……!! ご、申し訳ありませんッ!! 決して怪しい者ではございません!!」
武藤は飛び上がる勢いで立ち上がると、直立不動の姿勢をとった。あまりの恐怖に、声が裏返っている。
「……え? 別に怪しいとか言ってないけど。なんか拭くもの持ったりしてない?」
「ふ、拭くもの……!?」
武藤の頭脳が猛スピードで回転した。
(『拭くもの』……!? 天羽様は何を言っておられる……!?)
(そうか……! 『自分の手や愛車を汚した魔物の名残(黒い塵)を綺麗に払拭しろ』……つまり、『お前たちサバイバーズがこの周辺の清掃と管理(臣従)を引き受けろ』という暗喩か……ッ!?)
勝手な解釈の果てに、武藤はハッと目を見開いた。
「は、はいっ!! 直ちに我々『東町サバイバーズ』全勢力を挙げ、この学校周辺の害獣駆逐および清掃管理を徹底して行わせていただきます!!」
「……? いや、ハンカチか何かがあればなと思っただけなんだけど……まあいいや、ティッシュで拭くから」
悠人はポケットからポケットティッシュを取り出し、サドルをキュッキュと拭き上げた。
「じゃ、俺は教室に戻るから。おじさんたちも気をつけて帰りなよ」
そう言って、トートバッグを抱え直した悠人は、満足そうに校舎へ戻っていった。
取り残された武藤たちは、しばらくの間、微動だにできなかった。
「武……武藤さん……。俺たち……命拾いしたんですか……?」
「……そうだ。天羽様は……我々に『管理の機会』を下さったのだ……。いいか、これより我が東町サバイバーズは、天羽様の領域であるこの学校周辺の絶対防衛班となる……! 異論はあるか!?」
「「「ありませんっ!!」」」
こうして、悠人が全く知らん顔をしている間に、学校周辺の生存者勢力が「勝手に臣従」するという謎の組織構造が完成しつつあった。




