第6話:帰路の交差点、あるいは新たな誤解の芽
右手には、冷えた2リットルの麦茶と、無傷の焼きプリンがふたつ収まったトートバッグ。
天羽悠人は、まるで放課後に部活帰りのアイスでも買いに行ったかのような軽い足取りで、アスファルトの壊れた通学路を歩いていた。
「ふぅ……思いのほか時間がかかったな。まあでも、プリンが無事で本当によかった」
悠人はひとりごちながら、途中の瓦礫をひょいと跨ぐ。
遠くからは相変わらず、魔物の不気味な咆哮や、生存者たちの悲鳴、あるいは自暴自棄になった叫び声などが混ざり合って風に乗って届いてくる。
しかし、悠人の耳にはそれらが「近所で工事でもやってるのかな」程度の雑音にしか届いていなかった。
その時だった。
前方の十字路――かつては通勤ラッシュで賑わっていた「東町三丁目交差点」の手前で、鋭い金属打撃音と荒々しい叫び声が響き渡った。
「くそっ……! 押されるな! 盾を維持しろ!!」
「だめです武藤さん! ゴブリンの数が多すぎます……! 後方の補給班が囲まれます!」
路地裏の物陰から覗いてみると、そこでは十数人の武装した人間たちが、二〇匹を超えるゴブリンの群れと激しい交戦を繰り広げていた。
先ほどコンビニの屋上から悠人を観察していた「東町サバイバーズ」の本隊だった。
中心で巨大なタワーシールドを構え、ゴブリンの棍棒を必死に防いでいるのは、ガッチリとした体躯の強面な男――東町サバイバーズのリーダーである武藤 剛造だった。
「チッ……! 買い出しに出たスカウト班はまだ戻らんのか! こんなところで全滅してたまるかよ……っ!」
武藤が歯を食いしばり、必死に大盾で押し返す。
しかし、彼らが使えるスキルには大きな制約があった。
「武藤さん、俺の【火炎弾】、クールタイムがあと二分残ってます……! MPももう底をつきそうです!」
「私のもだ! 一度使うと三十秒は手が動かん……っ!」
そう、一般の人間たちにとって、スキルの使用には「多大なMP消費」と「長すぎるクールタイム(CT)」という絶対的な壁が存在する。
強力なスキルを一発撃てば、次の発射までに無防備な時間が生まれ、さらにMPが切れればただの運動不足な大人へと逆戻りしてしまうのだ。
数に任せて押し寄せるゴブリンの群れに対し、武藤たちの防衛線は今にも崩壊しようとしていた。
そんな命がけの死闘が繰り広げられている交差点の端っこに。
「うわ……なんかめっちゃ混んでるな」
トートバッグを抱えた悠人が、ぬるりと姿を現した。
悠人としては、戦いに首を突っ込む気なんてミジンコほどもなかった。
ただ、この交差点を通らないと、学校へ戻るルートが大幅に遠回りになってしまう。
(遠回りしたら麦茶がぬるくなるし、プリンの賞味期限も気になるな……。さっさと通り抜けたいんだけど)
悠人のモチベーションは、相変わらず「麦茶の温度」と「自分の帰路」だけだった。
だが、運の悪いことに、群れの後方にいた凶暴なゴブリン――【ゴブリン・リーダー】が、手ぶらで無防備に歩いてきた悠人の存在に気づいてしまった。
「ギギッ……! 人間……カモ……!」
ゴブリン・リーダーが嫌な笑みを浮かべ、手に持ったサビたナタを振りかざしながら、悠人に向かって一直線に突進してくる。
さらに、それに追従するように四匹のゴブリンが悠人を挟み撃ちにしようと跳びかかった。
「おい! 奇襲だ! 誰かあそこに丸腰のガキが――!?」
防衛線を張っていた武藤が気づき、絶望の叫びを上げる。
彼らの認識では、武器も防具も持たない高校生が、ゴブリン四匹に囲まれれば一秒で肉塊にされるのは目に見えていた。
しかし。
(……うっとうしいな。邪魔すんなって)
悠人は、ただ不機嫌そうに溜め息をひとつ吐いただけだった。
脳裏に浮かぶ、あの見慣れた黒いステータス画面。
悠人はポケットに左手を突っ込んだまま、右手の指先を、突撃してくるゴブリンたちに向けて「シッシッ」と払うように軽く動かした。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
――秒間、五千回におよぶ微細連続衝撃波。
MP消費:ゼロ。
クールタイム:ゼロ。
人間たちが「数分間に一回しか使えない」「発動すれば倒れるほど疲弊する」と絶望しているスキルのルールを、悠人は根底から踏みにじっていた。
――ズドンッ!!
交差点全体に、落雷でも落ちたかのような凄まじい衝撃音が響き渡った。
「ギギャ……!?」
突撃してきたゴブリン・リーダーの体が、悠人の指先から放たれた見えない空気の槌によって、空中でピタリと静止する。
次の瞬間。
ズザザザザザザザザザッ!!
目にも留まらぬ超音速の微振動弾幕が、ゴブリン五匹の全身を一網打尽に叩き潰した。
肉を削り、骨を粉砕し、存在そのものをミクロの単位で破砕していく絶対的な不可視の嵐。
悲鳴をあげる暇すら与えられない。
コンマ五秒の後。
悠人の前に躍り出ていたはずの五匹のゴブリンは、一瞬にして完全な黒い塵へと分解され、風に煽られて交差点の彼方へと消え去っていた。
「……よし、道が開いたな」
悠人は何事もなかったかのように、血痕ひとつ残っていないアスファルトの上をスタスタと歩き始める。
静まり返る交差点。
さっきまで死闘を繰り広げていた武藤たち「東町サバイバーズ」のメンバーは、全員が武器を構えた姿勢のまま、固まっていた。
口をあんぐりと開け、見開いた目で悠人の背中を凝視している。
「あ……あり得ねぇ……」
武藤の手から、重厚なタワーシールドが力なくガラガラと崩れ落ちた。
「呪文の詠唱も……魔法陣の展開もなかったぞ……?」
「手すらロクに振っていない……ただ指先を軽く動かしただけで、ゴブリン・リーダーを含む五匹が……粉じんになった……!?」
「クールタイムはどうなってるんだ!? 魔力反応すら感じなかったぞ!?」
そこへ、路地裏の物陰から血相を変えたスカウト班の男が駆け込んできた。
「武藤さん! 無事ですか!? ……って、ひぃっ!?」
スカウトの男は、のんきに交差点の真ん中を歩いている悠人の姿を見るや否や、地面にへたり込んでガタガタと震え出した。
「で、出た……! 武藤さん、あいつです! コンビニでオーク・バーサーカーを一撃で消滅させた……あのバケモノです!!」
「な……なに!? あの近隣のボス、オーク・バーサーカーを消したって噂の奴が……あのガキなのか……!?」
武藤の背中に、冷や汗が滝のように流れ落ちる。
彼らの目には、悠人の「早く学校に帰りたいから最短ルートを歩いているだけ」という行動が、全く別の恐ろしい意味に映っていた。
(バカな……! たった一人で、群がる魔物を塵にしながら散歩感覚で移動しているというのか……!?)
(クールタイムもMP消費もなく、立ち塞がる魔物を即座に消去する『歩く不可侵領域』……!)
(関わっちゃダメだ……! あんな存在に下手に刺激を与えたら、俺たちなんて一瞬で消される……!!)
武藤をはじめとする東町サバイバーズの面々は、悠人が通り過ぎる間、息をすることすら忘れて全員で最敬礼のごとく頭を下げ、道を開けた。
当の悠人はというと。
(うわ、なんかみんなですごく道譲ってくれるな。最近の人は親切で助かるわ)
そんなお気楽な勘違いをしながら、一目散に2年B組の待つ校舎へと足を進めるのだった。




