第5話:コンビニの異変と、冷えた麦茶の代償
自動ドアの割れたガラス片を足元で踏み砕きながら、悠人は「ファミリーマート」の店内へと足を踏み入れた。
店内は、まさに惨状そのものだった。
商品棚はあちこちがなぎ倒され、スナック菓子の袋や雑誌が床一面に散らばっている。
天井の蛍光灯はチカチカと不気味な明滅を繰り返し、壁にはなにやら黒ずんだ何かが跳ね散ったような跡が残っていた。
「うわ……めちゃくちゃだな。店員さん、避難したのかな」
悠人は顔をしかめつつも、崩れ落ちた陳列棚を跨いで、奥にある飲料用の冷蔵ケースへとまっすぐ向かった。
目的はただひとつ。冷えた麦茶だ。
電気が半ば活きているのか、あるいは冷蔵ケースの保冷機能が残っていたのか、ケースの扉を開けると、うっすらと冷たい空気が悠人の顔を撫でた。
「お、あったあった。2リットルの麦茶」
悠人は宝物でも見つけたかのように目を輝かせると、棚の奥に残っていたペットボトルの麦茶を手に取った。
続けてデザートコーナーへと向かい、奇跡的に無傷のまま残っていた焼きプリンをふたつ、手に取る。
「よし、これで今日の昼飯と水分は確保だな。……あ、でもお金置いとかないと泥棒になっちゃうか」
悠人は真面目な顔でポケットからレジ袋の代わりに持ってきたトートバッグを取り出し、レジカウンターへと向かった。
レジカウンターの周りも商品が散乱していたが、悠人はレジの上に千円札を一枚、商品と一緒にポンと置いた。
「おつりは取っといてください、って店員いないけど」
一人で軽口を叩きながら、プリンと麦茶を丁寧にトートバッグへ収めていく。
――ガシャーン!!
その時、店の奥――バックヤードの重い金属扉が、内側から激しく打ち破られた。
飛び散る鉄くずとともに、ドシンという重厚な足音が店内に響き渡る。
「グルゥゥゥアアアアッ……!!」
暗がりから姿を現したのは、先ほどのラット・ビーストなど比較にならないほど巨大な存在だった。
体長は二メートルを遥かに超え、全身を厚い角質のような黒い皮膏で覆われた、二足歩行の巨体。
その手には、どこかの鉄パイプを力任せに折り曲げたような無骨な凶器が握られている。
――【オーク・バーサーカー】。
通学路や路地裏に現れるゴブリンやラット・ビーストとは桁が違う、中級の凶悪な魔物だった。
「グルオォォッ! 人間……喰う……!」
オーク・バーサーカーは血走った眼球で悠人を捉えると、狂暴な咆哮を上げた。
その咆哮のプレッシャーだけで、店内の空気がビリビリと震え、残っていたガラス窓がピキピキと亀裂を深めていく。
だが、そんな圧倒的な脅威を前にして、悠人が抱いた感想は――。
「うわ、デカい豚……。っていうか、せっかく買ったプリンの上で大声出さないでほしいんだけど。唾飛ぶじゃん」
心底、嫌そうな顔だった。
オーク・バーサーカーは悠人のその舐めきった態度に激怒したのか、地面を強く踏み鳴らすと、手にした鉄パイプを大上段に振りかぶった。
「ブモォォォアアアッ!!」
空気を切り裂く突進。
一撃で軽自動車すらペシャンコにするであろう質量と破壊力が、悠人の頭上から一直線に振り下ろされる。
逃げ場のない狭いレジ前。
直撃すれば、肉片ひとつ残らず潰れて即死確定の攻撃――。
しかし、悠人の脳裏に浮かんでいたのは、命の危機に対する恐怖などではなく、別の切実な懸念だった。
(待てよ……ここで暴れられたら、トートバッグの中のプリンが潰れるだろ)
悠人の思考は、いつだって極めて個人的でマイペースだった。
(せっかく千円払って買ったんだぞ……! 潰されてたまるかよ!)
悠人のごく日常的で切実なイラつき。
それが、脳裏に刻まれた漆黒のステータスウィンドウを過激に覚醒させた。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
――秒間、十万回におよぶ超高頻度マイクロ振動衝撃波。
悠人は何一つ身構えることなく、ただ迫り来る巨体に向けて、うっとうしそうに右手を一振した。
その瞬間、店内の空気に激変が起きた。
――ドォンッ!!
大砲を至近距離でぶちあけたような爆音が炸裂する。
オーク・バーサーカーが振り下ろしていた鉄パイプが、悠人の手に触れる遥か手前――空中の一点に突如現れた「目に見えない絶対不可侵の肉薄壁」に衝突した。
バチバチバチッ!! と空間が歪み、閃光のような衝撃波が走る。
「ブッ……!?」
オーク・バーサーカーの目が、驚愕でとび出そうになった。
自慢の腕力で振り下ろした鉄パイプが、まるで頑丈なダイヤモンドの塊にぶち当たったかのように、手元から粉々に破砕したのだ。
そして、衝撃はそれだけで終わらなかった。
悠人の手から放たれた無数の超音速微振動弾幕が、津波となってオーク・バーサーカーの全身を包み込む。
ズザザザザザザザザザザッ!!
「グラァアアアアッ――!?」
絶叫。
二メートルを超える巨体と、鋼よりも頑丈な黒い皮膏が、ミリ単位で、ミクロの単位で寸分なく打ち砕かれていく。
一秒。いや、コンマ数秒の出来事だった。
あの大巨体だったオーク・バーサーカーは、全身を無限の打撃で叩き潰され、細胞レベルで分解されるようにして、一瞬にして黒い塵となって空気中に霧散した。
後には、ただ凄まじい風圧と、店内を駆け抜けた爆風の余韻だけが残された。
「……ふぅ。危ない危ない、プリンは無事だな」
悠人はトートバッグの中身を覗き込み、焼きプリンの形が崩れていないことを確認してホッと胸を撫でおろした。
だが――悠人は知らなかった。
そのコンビニのすぐ向かいにあるビル。
その屋上から、高精度の【遠見スキル】を使ってコンビニ内部を観察していた人物たちがいたことを。
それは、学校から逃げ出し、近隣の生存者で結成された自警組織「東町サバイバーズ」のスカウト部隊だった。
「ひ……ひぃぃぃっ!?」
望遠鏡のような光のレンズを覗き込んでいたスカウトの男子が、恐怖で喉を詰まらせて屋上にへたり込んだ。
「どうした、何が見えたんだ!? コンビニの中に何がいた!?」
リーダー格の男が問い詰める。スカウトの男は、ガタガタと歯を鳴らしながらコンビニを指さした。
「お、オーク・バーサーカーだ……! あの近辺のボス級の化け物がいたんだ……!」
「何……!? あれは熟練の戦闘スキル持ちが数人でかかって、ようやく倒せるレベルの化物だぞ! コンビニに逃げ込んだ奴は喰われたのか!?」
「ち、違う……違うんだ……! 喰われたんじゃない……!」
スカウトの男は、涙目になりながら叫んだ。
「あの高校生……手も触れずに、一瞬でオーク・バーサーカーを『消滅』させた……!! 魔法の詠唱もエフェクトもない……ただ、うっとうしそうに手をかざしただけで……あの巨体が粉じんになったんだ……ッ!!」
「な……なんだと……!? 道具も使わずに一撃で……!?」
「あいつは人間じゃない……! 魔物を『存在ごと消し去る』能力を持った……神か悪魔の類だ……っ!!」
スカウト部隊の面々は、あまりの恐怖と事態の異常さに顔を見合わせ、全身の血の気が引いていくのを感じていた。
彼らの頭の中で、天羽悠人という名の高校生は、「近寄りすぎれば一瞬で存在を消される、壊滅的な領域持ち(エリアボス)」として恐ろしい認識が刻み込まれるのだった。
当の悠人はというと。
「さて、麦茶も買ったし、ぬるくなる前に学校帰るか」
トートバッグを大事そうに抱え、晴れやかな顔でコンビニの破片を跨ぎ、学校へと戻る道を歩み始めるのだった。




