第52話:平和な朝のホームルームと、校庭を舞う黒い翼
校門前でへたり込んでいた白銀玲司を放置し、俺と佐伯葵は昇降口へと向かった。
靴箱から上履きを取り出し、履き替える。
校舎の中は外の惨状に比べればまだ静かだが、廊下のあちこちには補修された痕跡や、生徒たちが自主的に作った「魔物侵入防止用バリケード」が並んでいる。
「ふぅ……なんとか予鈴には間に合ったわね」
佐伯さんが額の汗を制汗シートで拭いながら、安直に息を吐く。
「でも天羽くん、さっきの校門前の爆発音、本当にただの氷が割れた音だったの? なんだかものすごい地響きがした気がしたんだけど……」
「ただの氷だよ。白銀だっけ? あいつがドヤ顔で地面凍らせてたからさ」
「白銀玲司くんよね……隣の高校で『凄腕の氷使い』って噂になっているエリートよ。彼、なんでうちの校門前にいたのかしら」
「さあな。暇なんじゃないか?」
「そんなわけないでしょ……」
佐伯さんは呆れたように肩をすくめ、2年B組の教室のドアを開けた。
教室の中は、すでに登校していたクラスメイトたちでガヤガヤと騒がしかった。
「おい聞いたか? 今朝、駅からここに来る途中のコンビニ前に『オーク・ブッチャー』が出たらしいぞ」
「マジで!? 誰が倒したんだよ」
「なんか、制服を着た謎の生徒が一瞬で消し飛ばしたって噂だけど……」
クラスメイトたちが噂話に花を咲かせている。
俺は自分の席――窓際の後ろから二番目という、アニメの主人公なら特別なイベントが起きそうな特等席に着席した。
デイパックから教科書を取り出し、机の脇にフックで掛ける。
一人暮らしのサバイバルにおいて、提出物や教科書の忘れ物は致命的な評価ダウンに繋がる。魔物がうろつこうが、学校の成績評価は容赦なく下されるのが現代社会の不条理なところだ。
ガラッと教室の前ドアが力任せに開いた。
「はい、全員着席ー! ホームルーム始めるぞー!」
入ってきたのは、2年B組の担任である鬼塚武蔵先生だ。
身長一九〇センチを超える巨体に、スポーツ刈りのイカツい顔立ち。ジャージの袖からは丸太のような腕が覗いている。
先生は手に持った出席簿を教卓にドカンと叩きつけると、教室全体を鋭い眼光で見回した。
「よし、全員揃ってるな。……おい天羽、今朝も無事に登校できたみたいだな」
「はい、先生。通学路は相変わらず治安が悪かったですけど」
「フン、お前はいつ見ても呑気だな。まあ、無事で何よりだ」
鬼塚先生は見た目こそ凶悪だが、非常に生徒想いの熱血教師だ。
世界が変わってからは、自身が獲得した腕力強化スキル【剛力発動】と、校内から集めた巨大なパイプ椅子を武器に、校内に迷い込んできた小型の魔物を撃退して生徒を守ってきたらしい。
「えー、今日の連絡事項だ。最近、近隣の空域で翼を持つ魔物の目撃情報が増えている。登下校時、および昼休みに校庭へ出る際は、必ず上空の警戒を怠らないように」
「翼を持つ魔物……ですか?」
佐伯さんが手を挙げて質問する。
「ああ。通称『フライング・ワイバーン』の幼体だ。体長は二メートル程度だが、上空からの急降下奇襲を得意としている。直撃を受ければ普通の人間なら即死だ。もし見かけたら、絶対に一人で戦おうとせず、すぐに校舎内に避難すること。分かったな?」
「「「はい!!」」」
クラス全体に緊張感が走る。
地上を這う魔物だけでも手一杯なのに、空から怪物が降ってくるとなれば、人間の行動範囲はさらに狭まることになる。
(フライング・ワイバーン、か……。鳥肉みたいな味がするのかな)
俺は窓の外の青空を見上げながら、能命にそんなことを考えていた。
一時間目の授業が始まって十五分ほど経った頃だった。
キィィィィィィン――――――ッ!!
黒板に向かってチョークを走らせていた数学の教師が、ピタリと手を止めた。
窓の外から、甲高い耳鳴りのような不気味な鳴き声が響いてきたのだ。
「……ッ!? なんだこの音は!?」
「先生! 窓の外! 校庭の上空を見てください!」
最前列の生徒が叫び、教室中の視線が一斉に窓の外へと注がれた。
雲一つない秋晴れの空。
その高空に、黒い影が三つ、旋回しているのが見えた。
巨大な皮膜の翼、鋭い鉤爪、そして爬虫類のような不気味な頭部。
先ほど鬼塚先生が注意喚起していた『フライング・ワイバーン(幼体)』の群れだ。
「な……なんでこんな日中に!? 避難だ! 全員、廊下に退避しなさい!」
数学の教師がパニックになって叫ぶ。
生徒たちが椅子を引いて立ち上がり、教室内は騒然となった。
「ちょっと天羽くん、早く立ち上がって! 窓際から離れないと危険よ!」
佐伯さんが俺の腕を引こうとして駆け寄ってくる。
だが、その瞬間。
キシャアァァァァッ!!
一匹のフライング・ワイバーンが翼を畳み、弾丸のような速度で2年B組の窓ガラスに向かって一直線に急降下を開始した。
「――っ!? 間に合わない……っ! 【疾風斬】――」
佐伯さんが咄嗟に腰の木刀に手を伸ばすが、抜刀のモーションに入る前に、ワイバーンの影が窓一面を覆い尽くそうとしていた。
時速百キロを超える急降下突撃。
このまま突っ込まれれば、頑丈な強化ガラスなど一瞬で粉砕され、窓際にいる俺やクラスメイトたちは無惨な肉片と化すだろう。
(……やれやれ。授業中にガラス割られると、風が吹き込んできて寒いんだよな)
俺は立ち上がることすらせず、席に座ったまま、右手を窓ガラスに向かってそっとかざした。
佐伯さんやクラスメイトたちの目には、俺が恐怖で固まり、思わず手をかざしただけに映ったかもしれない。
だが――。
(上空の風圧と熱で、軌道を逸らす)
胸の奥の不滅の概念を、思考速度で連続解放する。
【微弱念動(極小)】×30,000回重畳。
【熱素発生(極微)】×30,000回重畳。
秒間数万回のノータイム超連射。
ドッッッッッッ!!!!
「ガアッ!??!?」
窓ガラスの一センチ手前。
突如として発生した目に見えない『極厚の空気の壁』と『数千度の超高熱断熱層』に、急降下してきたワイバーンが激突した。
まるで時速二〇〇キロで走る車がコンクリート壁に正面衝突したかのような、凄まじい衝撃音が弾ける。
ペシャッ。
ワイバーンの頭部が一瞬で平たく潰れ、翼が明後日の方向へと折れ曲がった。
そのまま物理法則を無視した上昇気流の連射波に押し返され、空中で激しく発火しながら、はるか上空へと逆噴射するように吹き飛んでいく。
ドゴォォォンッ!!
残りの二匹のワイバーンにも、追撃の念動波弾幕が連鎖的に命中。
空中で一瞬にして肉塊へと変えられた三匹のワイバーンは、校庭の隅にある砂場へとドサドサと撃墜されていった。
『経験値を獲得しました』
『【熟練度】を獲得:55/10,000,000』
(よし、窓ガラス一枚傷つかなかったな)
俺は静かに右手をおろし、何事もなかったかのようにノートを開き直した。
「……………………え?」
静寂が教室を支配していた。
窓ガラスはピカピカに磨かれたままで、ひび一つ入っていない。
外の砂場からは、煙を上げるワイバーンの残骸が見えている。
「あ……今、何が起きたの……?」
「わかんねぇ……ワイバーンが急に目えない壁にぶつかって爆発したぞ……!?」
「誰かの防御スキルか!? 誰がやったんだ!?」
混乱するクラスメイトたち。
佐伯葵だけは、目を見開いたまま、俺の横顔を食い入るように凝視していた。
「天羽……くん? 今、あなた……手を……」
「ん? いやあ、奇跡ってあるんだな。急に突風が吹いて、ワイバーン同士が激突したみたいだぞ」
「そんなわけあるかーーーーっ!!! 完全にあなたの目の前で空中爆発したでしょ!!」
佐伯さんの鋭いツッコミが教室中に響き渡る。
「まあまあ佐伯さん、声が大きいよ。授業中なんだからさ」
「授業中どころじゃないでしょ!? あなた、本当に何隠してるのよ!?」
詰め寄ってくる佐伯さんを適当にいなしながら、俺はあくびを噛み殺した。
平穏な学校生活を守るのも、なかなか楽じゃない。
でもまあ、窓ガラスが割れなくて良かった。寒風の吹く教室で受ける数学の授業ほど、苦痛なものはないからな。




