第49話:【スキル:神】と微少軟化
「うーん、やっぱり裏山の林道は静かで歩きやすいな」
鳥のさえずりが心地よく響く木々の間を、俺――天羽悠人は木漏れ日を浴びながらのんびりと進んでいた。
学校からの帰り道、いつもの通学路から少し外れた旧・学園裏山林道。
舗装こそされていないが、土の感触と緑の香りが心地よく、放課後の散歩コースにはちょうどいい。
「歩きやすいのはいいけれど……天羽くん、ここって昔から『硬質の魔物』がよく出没するって言われている警戒区域なのよ?」
横を歩く佐伯葵が、制服の裾に泥がつかないよう注意しながら、警戒を怠らず周囲を見回している。
「硬質の魔物? ああ、カブトムシとか亀みたいなやつ?」
「もっと質が悪いわよ。岩石や鉱物を捕食して、外殻を極限まで硬化させたような個体よ。普通の物理攻撃や生半可な魔法じゃ傷一つつけられないんだから」
「へぇ、カチカチなんだな。まあでも、遭遇しなければどうということはないし」
「あなたがそうやって油断している時に限って――」
葵の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
――ズズズズズズズズズズズッ!!!!
前方の山肌が激しく鳴動し、大量の土砂と巨木を押しつぶしながら、山腹を突き破って「それ」が姿を現したからだ。
「っ……!? 土砂崩れ……ううん、違うわ!」
葵が咄嗟に短杖を構える。
土煙の中から現れたのは、体長十五メートルを悠に超える、超巨大な四足の巨獣だった。
その全身は、夕日を浴びて七色に乱反射する重厚なダイヤモンド結晶の装甲で覆われている。
踏み出す一歩ごとに地圧で足元の岩盤が粉砕され、あらゆる建造物を容易に踏み潰す圧倒的な質量感が空気を圧迫する。
「な……なによあの装甲の輝き……嘘でしょ!?」
葵の顔から急速に血の気が引いていく。
「日本ダンジョン対策局のSSランク危険指定個体……【ダイヤモンド・グラン・ベヒモス】……っ! 神話級の硬度を誇る金剛石の結晶装甲を纏った天災級の巨獣よ……!」
「ダイヤモンド・グラン・ベヒモス……全身ダイヤモンドか。売ったら高そうだな」
「不謹慎なことを言っている場合じゃないわ! あのモンスターの装甲はあらゆる物理攻撃、極大魔法、果ては高出力レーザーすら全反射して無力化するのよ! 攻撃が一切通らないの!」
――グォォォォォォォォンッ!!!!
ベヒモスが地鳴りのような咆哮を上げた。
俺たち虫ケラのような存在を認識すると、その巨体を弾丸のように加速させ、突進を開始した。
山道全体を埋め尽くすほどの巨体と、何千トンもの金剛石装甲が持つ絶対的な運動エネルギー。
避けられる広さもなく、受けて立てば一瞬で肉塊に変えられる未来しか見えない。
「ダメ……! 私の『ウインド・スラッシュ』じゃ表面に傷すらつけられない……! 天羽くん、後ろへ――!」
絶望に目を見開く葵の前に、俺は静かに歩み出た。
「葵ちゃん、ちょっと下がりなよ。カチカチで頭が固いやつには、少し柔らかくなってもらおう」
「え……? 柔らかく……!?」
俺は突進してくるダイヤモンドの巨獣に向け、静かに右手をかざした。
脳内の【スキル:神】のシステムインターフェースを起動する。
『日課のスキル育成ストック完了。新能力を解放します』
頭の中に無機質な通知が響き、新たな個別能力が解放された。
【微少軟化 Lv.1】
効果:指定した対象(物質・空間構造)のモース硬度および剛性を0.001%低下させる。
(ふむ……【微少軟化】か。固くなったパンをほんのわずか柔らかくする程度の、相変わらずしょぼいスキルだな)
対象の硬度や剛性をたったの0.001%下げるだけ。
単体で使ったところで、硬いダイヤモンドがほんの誤差レベルで削れやすくなる程度のハズレスキル。
だが――
(MP消費ゼロ。クールタイムゼロ)
この【スキル:神】における絶対的な反則仕様のもとでは、その意味が根底から覆る。
(硬度を0.001%低下……これを突進してくる巨体と金剛石装甲に数十万回重ね掛けしたらどうなる?)
俺は不敵な笑みを浮かべ、思考速度で連射を開始した。
発動、発動、発動、発動、発動、発動、発動――――ッ!!
【微少軟化 Lv.1】× 100,000回重層発動。
――ヌバァァァァァァンッ!!
突如として、猛スピードで突進してきたベヒモスの巨体に異変が生じた。
あらゆる攻撃を弾き返すはずだった金剛石の結晶装甲が、俺の手前数メートルの位置で一瞬にしてモース硬度ゼロ――まるで「できたてのゼリー」か「液状化した粘土」のようなドロドロの流体へと変貌したのだ。
「え……!? 結晶装甲が……溶けてる……!?」
葵が驚愕の声を上げる。
硬度と剛性を完全に失ったベヒモスの体は、何千トンという己の重量と突進の運動エネルギーに耐えきれなくなった。
ドチャッ、ブシャアァァァァッ!!!!
凄まじい衝撃音とともに、ダイヤモンドの巨体は地面に激突した瞬間、自重によってグニャリと押し潰され、水風船が弾けたかのように泥状の流体となって地面に広がり崩れ去った。
「グオ……っ!?」
ベヒモスの困惑した咆哮も、剛性を失った声帯からは情けない水音にしかならない。
全身の骨格、甲殻、筋肉の剛性がすべて「ふにゃふにゃのコンニャク以下」に書き換えられたため、立つことすらできず、自分の体重の重みによって潰れ続ける。
(仕上げに、巨体が接触している足元の空間構造の剛性も超軟体化)
【微少軟化 Lv.1】× 300,000回重層発動。
ぐにゃりと軟化した土壌と空間の中に、泥状になったベヒモスの巨体が底なし沼に沈むようにどんどん埋もれていく。
数秒後。
ゼリーのようにデロデロになったかつてのSSランク魔物は、完全に身動きを封じられ、自分の重さで自滅・沈下して沈黙した。
『実績:[絶対流化の支配者]を獲得しました』
『【スキル:神】の成長値が蓄積されました』
脳内に流れるログを確認し、俺は満足そうに手を払った。
「よし、これで通り道が確保できたな」
「………………」
葵は杖を握りしめたまま、口をぐうの音も出ないほど開けて固まっていた。
「葵ちゃん? 足元ぬかるんでるから気をつけてね」
「あ……天羽……くん…………」
葵がロボットのようなぎこちない動作で、地面に広がった「元・ダイヤモンドの流体」と俺の顔を交互に見た。
「あなた……今、何をしたの……? ダイヤモンドより硬い装甲が……なんでゼリーみたいに潰れてるの……!?」
「ん? ちょっとカチカチすぎて危険だったから、柔らかくほぐしてあげたんだよ。肩もみみたいなもんさ」
「肩もみで天災級のベヒモスが液状化して自爆するわけないでしょうがあぁぁぁぁっっ!?」
静かな裏山に、葵の絶叫が響き渡った。
「なんなのよそれ……! 硬度を無視して軟体化させるなんて、物理の法則をどこに捨ててきたのよ! あなたのスキル、本当にどうなってるの!?」
「ただの地道な【スキル:神】だよ。毎日コツコツ育成してる成果だな」
「コツコツのレベルが次元を超えてるのよ……!」
葵は心底頭が痛そうに額を押さえたが、やがて呆れ果てたように脱力して息を吐いた。
「……はぁ。もうツッコむのも疲れたわ。とにかく、無事でよかったけれど……」
「だろ? さ、日が暮れる前に下山して、商店街でコロッケでも食べて帰ろうぜ」
「……ふん。もちろん天羽くんのおごりね」
呆れつつも葵は口元をほころばせ、俺の隣に並んで歩き出す。
地道に育てるゴミスキルと、無限連射がもたらす圧倒的な不条理。
俺たちの少し賑やかな通学路の日常は、これからも続いていく。




