第45話:放課後の公園と、爽やかすぎる無臭空間
『肉のヤマダ』で買い込んだ熱々の牛肉コロッケとメンチカツを平らげた俺と葵は、商店街を抜けた先にある緑地公園へと足を踏み入れていた。
夕日が大きな木々の隙間から木漏れ日となって差し込み、ベンチや芝生をオレンジ色に染めている。
ダンジョン化が進むこの世界において、こうしてのんびりと公園のベンチに座って休憩できる場所は、今や貴重な癒やしのスポットだ。
「ふぅ……美味しかったわね、メンチカツも。お肉がギッシリ詰まってて」
「だろ? ヤマダさんの揚げ物は衣がサクサクで油もしつこくないから、何個でもいけちゃうんだよな」
葵は満足そうに微笑みながら、ブレザーのシワを伸ばしてベンチの端に腰掛けた。
俺はその隣にドカッと腰を下ろし、背もたれに深く体を預ける。
「それにしても、最近は通学路の至る所に危険な魔物が出没するようになったわね……。今日はSランクにSSランクでしょう? 対策局(JDA)の防衛線も、かなりギリギリなんじゃないかしら」
「まあ、出たら出たで適当に片付けるしかないけどさ。せめて放課後の買い食いタイムくらいは平和に過ごしたいもんだよ」
「それを『適当に片付ける』で済ませられるのは世界中で天羽くんだけだと思うけれど……」
葵は苦笑しつつも、どこか安心したように柔らかく目を細めた。
その時、俺の視界の隅で半透明のシステムウィンドウが静かに立ち上がった。
『【スキル:神】内部能力開放:【微少消臭 Lv.1】発動可能』
『効果:指定範囲の臭気分子を毎秒0.001%分解・消滅させる』
(ん……? 消臭……?)
俺は思わず心の中でツッコミを入れた。
毎秒0.001%の消臭って……部屋に置くタイプの消臭剤以下の効き目じゃないか。
焼き肉を食べた後の服についた匂いですら、消すのに丸一日かかりそうなレベルの超低性能だ。
(まあ、消臭スプレーを買わずに済むと思えば、日常使いには地味にありがたいかもしれんが……)
相変わらず『スキル:神』から生えてくる能力は、初期性能だけ見ればどれもこれも失笑もののゴミスキルばかりだ。
だが、いつものごとく。
このスキルには『MP消費ゼロ』『クールタイムなし』という、世界の法則を破壊する反則仕様が備わっている。
(毎秒0.001%の分解……。これを一秒間に五十万回連続で叩き込んだらどうなるんだ?)
思考の果てに導き出される結論は、いつもひとつだ。
それは周囲からあらゆる悪臭、有機臭、化学臭、果ては危険なガス成分に至るまでを原子レベルで一瞬にして掻き消す、『絶対無臭領域(ハイパー・デオドラント空間)』の創出。
(まあ、今は平和だし使う機会もないか)
そう思った矢先だった。
ぐおああああああっ!!
公園の奥にある森から、地響きとともに凄まじい咆哮が上がった。
「なっ……!? また魔物!?」
葵が一瞬で立ち上がり、腰のホルダーから短剣を引き抜いて身構える。
森の木々がなぎ倒され、現れたのは体長八メートルを超える巨大な黒猿——災厄級(Sランク相当)モンスター『スカンク・ストーム・コング』だった。
その名の通り、強烈な悪臭ガスを体内で生成し、広範囲に撒き散らす最悪の生物兵器型魔物だ。
「オオオオオオッ!!」
黒猿が自身の胸をドシドシと叩くと、お尻の分泌腺から見るからに有害そうな濃紫色の悪臭ガスが爆風とともに噴出された。
そのガスは、ただ臭いだけではない。
吸い込んだ者は激しい嘔吐と呼吸困難に陥り、意識を失うほどの強力な神経毒性を秘めた死のガスだ。
「うぐっ……! なに……この匂い……っ!?」
ガスが風に乗って漂ってきた瞬間、数十メートル離れているベンチにまで、腐った卵とドブ川を煮詰めたようなすさまじい激臭が届いた。
葵が思わず顔を歪め、うずくまりそうになる。
「くっ……息をするだけで意識が……っ! 天羽くん、ダメ……! 風上に逃げないと……!」
葵が死に物狂いで俺の手を引っ張ろうとする。
だが、俺は微動だにしなかった。
(おいおいおい……。せっかくの食後の余韻が、ドブ川の臭いで台無しじゃねーか。爽やかな木漏れ日の公園で出す匂いじゃねえぞ)
俺は静かに立ち上がり、胸の前で軽く指を鳴らした。
(【微少消臭 Lv.1】——秒間五十万連射)
しゅん……。
一瞬だった。
俺たちの周囲数十メートルを満たしていた目を刺すような激臭と紫色のアクシュガスが、まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で「消失」した。
それどころか、公園全体の空気すらも超極上の清涼感に包み込まれ、まるで標高三千メートルの山頂で朝露を吸い込んでいるかのような『究極の無臭・清澄空間』へと変貌を遂げたのだ。
「……え? あれ……? 臭くない……?」
葵が恐る恐る鼻をくんくんと鳴らす。
「というか……すごく空気が澄んでる……? 森の緑の匂いすら綺麗に澄み渡って……」
一方の『スカンク・ストーム・コング』は、自慢の悪臭ガスを全力で噴射し続けているはずだった。
しかし、吐き出されたそばからガスが秒間五十万回の超消臭によって分解・消滅させられるため、一向に周囲へガスが広散しない。
「ウガ……? ウガガ……!?」
黒猿は自身の最強の武器がまったく機能していないことに困惑し、頭を抱えて混乱し始めた。
「よし、空気も綺麗になったし、サクッと片付けるか」
(【微小静電気 Lv.1】——秒間三十万連射)
俺が指先からチラリと小さな火花を飛ばす。
バリバリバリバキイイイイッ!!
次の瞬間、空から数千万ボルト級の超高圧落雷が黒猿の頭上に一直線に降り注いだ。
「ウギャアアアアッ!?」
断末魔の叫びとともに、Sランクの巨大猿は全身を黒焦げにされ、そのままドスンと仰向けに倒れて消滅した。
*
静けさを取り戻した緑地公園に、再び穏やかな木漏れ日が降り注ぐ。
「ふぅ、これでよし。爽やかな空気の中で休憩再開だな」
俺は何事もなかったかのようにベンチへ戻り、再び背もたれに体を預けた。
葵は短剣を鞘に戻すことも忘れたまま、呆然と俺を見つめている。
「……天羽くん」
「ん?」
「……あなた、今度は何をしたの? あの致死性の悪臭ガスが一瞬で消えて……なんだか森林浴してるみたいに空気が美味しくなったんだけど……」
「ああ、あれ? ちょっと消臭スキルを連射して、空間の匂いをリフレッシュしたんだよ。ファブリーズみたいなもん」
「ファブリーズでSランク魔物の致死性バイオガスを消滅させる人がどこにいるのよおおおおっ!!」
夕空の下、本日二度目となる葵の絶叫が公園中に響き渡った。
「まあまあ、座りなよ佐伯さん。風が気持ちいいぞ」
「もう……本当にあなたと一緒にいると、心臓がいくつあっても足りないわ……」
葵は大きな溜息をつきながらも、どこか呆れたような笑顔を浮かべ、俺の隣に再び腰を下ろした。
夕暮れの心地よい風が、二人の間を優しく吹き抜けていく。
通学路の平和と、静寂な放課後のひとときは、今日も俺の理不尽な「ゴミスキル」によって完璧に保たれたのだった。




