第44話:揚げたてコロッケと、汚れを知らない絶対防壁
ハイドラの急襲を難なく退けた俺たちは、そのまま商店街のアーケード街へと足を向けた。
夕方の商店街は、普段なら夕飯の買い出しに訪れる主婦や仕事帰りの人々で賑わう時間帯だ。
しかし、ダンジョン出現以降の世界では、日没が近づくと人通りが一気に疎らになる。
オレンジ色の街灯がぼんやりとアーケードの石畳を照らす中、香ばしいラードと揚げ物の匂いが風に乗って漂ってきた。
「よかった、まだ開いてるわね。『肉のヤマダ』さん」
「よっしゃ! ここんちの牛肉コロッケ、売り切れてないといいんだけどな」
葵が安堵したように胸を撫でおろし、俺は小走りで店舗の前へと向かった。
ガラスケースの中には、狐色にカラリと揚げられたコロッケやメンチカツ、唐揚げが整然と並べられている。
「いらっしゃい、天羽ちゃんに佐伯ちゃん。今日も遅くまでお勉強かい?」
白い割烹着を着た店主の山田さんが、気さくな笑顔で声をかけてくれた。
「どうも山田さん! 牛肉コロッケ二つと、メンチカツ二つください!」
「はいよー! 今ちょうど新しいのが揚がったところだから、熱々のを出してあげるね」
「やった!」
竹紙に包まれた出来立てのコロッケからは、食欲を激しく刺激する湯気と香りが立ち上っている。
葵が財布を取り出そうとしたが、俺はすばやく小銭をトレーに置いた。
「はい、二千円。お釣りは取っておいて……じゃなくて、ちゃんとください」
「ふふ、はいお釣りね。気を付けて帰りなよ」
お釣りをポケットに放り込み、熱々のコロッケを葵に一つ手渡す。
「ん、佐伯さんの分。熱いから気を付けてな」
「……ありがとう、天羽くん。じゃあ、遠慮なくいただきます」
葵はハフハフと息を吹きかけながら、コロッケを一口かじった。
サクッ、と実に心地よい音がアーケードに響く。
「ん……! おいしい……! お肉の旨味とホクホクのじゃがいもが、すごくジューシーで……!」
「だろ? ここのコロッケは別格なんだよなぁ」
俺も豪快にコロッケにかぶりつく。
サクサクの衣の中から、濃厚な牛肉の脂と甘いじゃがいもの風味が口いっぱいに広がった。
放課後の空腹に、この温かさと旨味は反則級だ。
——と、至福の買い食いタイムを噛み締めていたその時だった。
『【スキル:神】内部能力開放:【微小防汚 Lv.1】発動可能』
『効果:指定した対象の表面に、撥水・撥油性(接触角0.01度未満)の微弱な防汚効果を付与する』
(ん? 防汚?)
またしても絶妙に地味な能力が開放された。
接触角0.01度未満ってことは、要するにスマホの画面プロテクターとか、新品の撥水スプレーみたいなものか。
服に油汚れや泥がつくのをほんの少し防ぐ程度の、まさに生活雑学レベルの性能である。
(まあ、コロッケのソースが制服に跳ねた時に使えば便利そうではあるが……)
俺がそんな呑気なことを考えていた、まさにその瞬間。
ズズズズズズズズ……ッ!!
商店街のアーケード天井が、突如として激しい振動とともにひび割れた。
「きゃっ……!? 何事!?」
「おっと」
葵が瞬時に体勢を崩さずコロッケを死守しながら上空を見上げる。
天井の強化ガラスを突き破って降臨したのは、全長十メートルを超える巨大な黒紫色の甲虫。
全身を硬質な外殻で覆い、頭部の角からは超高圧の青白いプラズマ火花がバリバリと散っていた。
天災級(SSランク相当)モンスター——『メガロ・プラズマ・ビートル』。
「なっ……SSランクのプラズマ・ビートル!? なんで商店街の真上に!?」
葵が顔を強ばらせる。
メガロ・プラズマ・ビートルは、体内に蓄積した兆ボルト級の電撃と、あらゆる物質を蒸発させる超高熱プラズマ砲を放出する極めて危険な魔物だ。
一発でも放たれれば、この商店街はおろか、周辺の区画一帯が跡形もなく蒸発する。
「シャアアアアアアアッ!!」
巨大甲虫が咆哮し、その長大な角に超高密度の青白色プラズマ球体が収束されていく。
指向性の超巨大レーザー攻撃の構えだ。
「まずい……! 防壁魔法じゃとても防ぎきれない……! 天羽くん、避けて——!」
葵が俺の服の袖を引っ張ろうとした。
だが、俺の右手には今、衣がサクサクで肉汁あふれる至高の牛肉コロッケが握られている。
(おいおいおい……。ここで暴れられたら、ヤマダさんの店どころか、俺の残りのコロッケとメンチカツが灰になるじゃねーか)
しかも、プラズマ砲なんて放たれたら、爆風と煤煙でコロッケに汚れがついてしまう。
せっかくの揚げたてに砂埃が混ざるなど、万死に値する愚行だ。
(【微小防汚 Lv.1】か……)
俺は脳内で即座に演算を開始する。
撥水・撥油・防汚の超微細コート効果。
接触角0.01度の極小滑性。
これを——『MP消費ゼロ』『クールタイムなし』の超絶対連射で、俺たちの数十センチ手前、空間そのものへ重ね掛けしたらどうなるか?
(秒間四十万連射——空間表面ナノ・コーティング)
それは、あらゆる物理的接触、エネルギー運動、熱量、光線、衝撃波の分子結合すら『滑らせて滑走・拡散させる』、究極の『絶対不可侵の滑走防壁(ナノ・コート結界)』へと変貌する。
(【微小防汚】——秒間四十万連射!)
ズババババババババッ!!!!
直後、メガロ・プラズマ・ビートルから放たれた数千度の超高熱プラズマ照射ビームが、直撃のコースを辿って俺たちへと降り注いだ。
数千度の熱風と爆光がアーケードを呑み込む——はずだった。
きゅいんっ。
爽やかですらある軽快な効果音が響いた。
俺たちの数十センチ手前に展開された透明な『防汚層』に触れた瞬間、兆ボルトの超高熱プラズマ光線は、まるでツルツルの氷の上に投げられたスーパーボールのように完璧に滑って明後日の方向へと滑走・反射した。
ドガアアアンッ!!
反れたプラズマビームは、上空の雲を突き抜けて遥か上空の宇宙空間へと消え去っていく。
熱気も、爆風も、煤煙も、砂埃すらも。
すべてが俺たちの手前で『つるりと滑って』シャットアウトされた。
俺たちの制服にも、もちろん手に持ったコロッケにも、塵ひとつついていない。
「……え?」
葵が、一口かじったコロッケをくわえたまま固まった。
一方のメガロ・プラズマ・ビートルも、自身の絶対の必殺技が『滑って明後日へ飛んで行った』意味が理解できず、巨体を硬直させている。
「よし、油汚れも煙も一切つかないな。完璧だ」
俺はコロッケを一口咀嚼しながら、空いた左手を巨虫へと向けた。
(ついでに、お前の表面にも【防汚】を塗ってやろう)
(【微小防汚】——足元に集中連射)
ぬるり。
「シャ!?」
メガロ・プラズマ・ビートルの足元とアーケードの天井の摩擦係数が、秒間四十万回の防汚連射によって完全なるゼロになった。
超絶な滑走性を得た巨虫は、踏ん張ることが一切できなくなり、まるでバナナの皮を踏んだギャグ漫画のキャラクターのようにツルリと足を滑らせた。
ドシーン!!
不格好にひっくり返り、お腹を丸出しにしてバタバタと脚を暴れさせるメガロ・プラズマ・ビートル。
(仕上げだ)
(【極微振動 Lv.1】——秒間一億連射)
無防備な腹部へ向けて、超高周波の分子共振を叩き込む。
シャリシャリシャリ……ッ。
SSランクの頑強な甲虫の肉体は、叫び声をあげる暇すら与えられず、一瞬で綺麗なさらさらの砂状へと分解され、風に舞って消滅した。
*
アーケードには再び、穏やかな夕暮れの静寂と、コロッケのいい匂いが戻ってきた。
「ふぅ、美味しかった。ヤマダさんのコロッケはやっぱり最高だな!」
俺は最後のひとくちを綺麗に平らげ、満足げにお腹を摩った。
ふと隣を見ると、葵がコロッケを持ったまま、放心状態ですさまじい顔をして俺を見つめている。
「あ、佐伯さん。冷めないうちに食べた方がいいぞ? メンチカツもあるし」
「……天羽くん」
「ん?」
「……今のは、何? プラズマ砲が……滑ってたわよね? 光と熱が、ぬるって横に滑って消えていったわよね……!?」
「ああ、あれ? ちょっと服とか食べ物が汚れないように防汚コーティングしたんだよ。撥水スプレーみたいなもん」
「撥水スプレーでSSランクの熱線ビームを滑らせる人がどこにいるのよぉぉぉおおおっ!!」
夕空の下、商店街に葵の悲鳴に似たツッコミが木霊した。
「まあまあ、美味しいうちにメンチカツも食べようぜ」
「もう……! あなたのせいで胃が痛くなってきたわ……でも食べるけど!」
プンプンと怒りながらも、葵は手渡されたメンチカツを嬉しそうに口に運ぶのだった。
日常の平和と、美味しい放課後の味覚は、今日も俺の理不尽な「ゴミスキル」によって完璧に守られたのだった。




