第40話:翌朝の登校と、ペタペタする新能力
昨晩の『グラビティ・ワイバーン』襲来劇から一夜が明け、東の空から澄み渡る秋の朝日が差し込んでいた。
「ふぁあ……よく寝た」
天羽悠人は大きな欠伸を噛み殺しながら、指定の制服に身を包んで玄関を出た。
鳥のさえずりが聞こえる穏やかな朝。
昨夜、上空数百メートルで重力場が暴れ回り、SSランクの竜がブラックホールじみた超重力で圧縮消失したことなど、まるで夢だったかのように静かな街並みだ。
「おはよう、天羽くん……」
角を曲がったところで、待ち伏せていたかのように葵が立っていた。
彼女の目の下には、ほんのりと薄いクマができている。
「あ、佐伯さんおはよう。なんだか眠そうだね? 勉強のしすぎ?」
「誰のせいで寝不足になったと思っているのよ……!」
葵はジト目で悠人を睨みつけた。
「昨日の夜、ベッドに入っても『静電気で落雷』と『重力連打でワイバーン圧縮』の光景が頭から離れなくて、全然眠れなかったのよ!」
「気にしすぎだって。ぐっすり寝ないと肌に悪いよ」
「気にしない方がおかしいのっ! JDA(日本ダンジョン対策局)の広報速報だって、昨夜の現象を『原因不明の局地的大重力異常および高エネルギー放電』って発表して、大騒ぎになっているんだから!」
葵はスマホの画面を悠人に見せつけてくる。
ニュースのトップ見出しには【都内に謎の超高圧雷霆と空間収縮が発生!未知の超高ランク探索者か!?】とデカデカと躍っていた。
「世間は大騒ぎよ。国家級の探索者たちが『日本に隠れた神級の探索者がいる』って捜索を始めてるわ」
「へえ、大変だねえ。誰なんだろうね、その神級探索者って」
「あなたでしょうがぁぁぁぁぁっ!!」
朝の住宅街に葵の怒号が響き渡る。
二人はそのまま並んで学校へと向かって歩き出した。
こうして軽口を叩き合いながら通学路を歩く時間だけは、世界がどれだけ変わろうとも変わらない二人の日常だった。
*
住宅街を抜け、川沿いの土手道へと差し掛かった時のことだ。
ガラガラガラガラッ……!
目の前を走っていたトラックの荷台から、積み上げられていたダンボール箱の山が崩れ落ちそうになっていた。
「おっと危ない」
悠人は自然にポッケから手を出すと、自分の視界に浮かび上がるウィンドウを確認した。
『【スキル:神】内部能力開放:【微弱粘着 Lv.1】発動可能』
『効果:指定した対象の表面に、セロハンテープ未満(引っ張り強度0.01N)の微弱な粘着力を発生させる』
(粘着力……セロハンテープ未満か。付箋紙がくっつくくらいの弱いノリだな)
悠人は心の中で苦笑した。
相変わらず【スキル:神】から開放される個別能力は、単体では何の役にも立ちそうにないゴミ能力ばかりだ。
付箋紙レベルの粘着力など、風が吹けば剥がれてしまう。
だが——今の悠人にとって、数値の小ささは何の障壁にもならなかった。
『MP消費:0』
『クールタイム(CT):なし』
(とりあえず、あのダンボールが崩れないように固定するか。一秒間に……十万回連射)
悠人は荷台に向けて軽く指をさした。
【微弱粘着 Lv.1】——秒間十万連射。
0.01ニュートンの微弱な粘着層が、思考の速度を超越して一瞬で十万重に重ねがけされる。
十万重の極小粘着分子の多重結合。
それは——対象を空間の分子構造ごと絶対固定する『不可逆の概念固定結界』へと化けた。
ピタッ……!!
崩れかけて斜め四十五度で止まったダンボール箱の山が、まるで空間そのものに溶接されたかのようにピタリと停止した。
トラックがガタガタと揺れようが、強風が吹き抜こうが、ダンボールは微動だにしない。
どころか、ダンボールの周囲の空気すらもペタッと空間に固定され、不思議な絶対静止空間が生まれていた。
「よーし、これで落ちないな」
「……天羽くん」
葵が引きつった笑顔で悠人を見る。
「なに? 佐伯さん」
「あのダンボール、物理法則を無視して空間に固定されてるんだけど……今度は何を塗ったの?」
「ただのセロハンテープ未満の粘着力だよ。ペタペタって重ねて塗っただけ」
「重ねて塗っただけで空間ごと固定される粘着力なんてあってたまるかぁぁぁっ!!」
葵が頭を抱えて頭痛に耐えるように悶絶した。
*
だが、その和やかな(?)やり取りもそこまでだった。
ズズズズズズズズズズ…………ッ!
突然、目の前を流れる一級河川の川面が、黒く濁って泡立ち始めた。
それだけではない。
川の空間そのものがズレるように歪み、空中に真っ黒な『次元の亀裂』が亀裂音とともに巨大な口を開けたのだ。
「次元の歪み……!? こんな街中で、自然発生のダンジョンブレイク!?」
葵が息をのむ。
亀裂の奥底から放たれるのは、これまで出遭ったどの魔物とも比べ物にならない、背筋が凍りつくような邪悪で巨大な気配だった。
グォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
亀裂を押し広げて姿を現したのは、全身に蒼黒い光を纏った、巨大な深海竜の異形。
体長は五十メートルを超え、その身から放たれる圧倒的な威圧感だけで、周囲の樹木が一瞬で腐食して崩れ去っていく。
「SSSランク指定……世界崩壊級魔物……『ヴォイド・リヴァイアサン』……!?」
葵の顔が白紙のように真っ白になった。
SSSランク。
それは一国を一夜にして滅ぼし得る、神話の領域に達した災厄の怪物。
本来なら国家最高峰の英雄たちがパーティを組み、命を賭して挑むべき存在だ。
「ダメ……こんなの、逃げることすら……動きが縛られて……っ!」
『ヴォイド・リヴァイアサン』が放つ絶大な覇気と次元圧により、葵は指一本動かせず、その場に縛り付けられてしまった。
巨竜が口を開き、都市一つを蒸発させる高濃度の虚無ブレスを溜め始める。
「あーあ、せっかくの朝の登校風景が台無しだなあ」
悠人は深いため息をつくと、葵の前に一歩踏み出した。
「天羽……くん……ダメよ……逃げて……っ!」
「大丈夫だって。ちょっとペタッとくっつけて動きを止めるだけだから」
悠人は右手を開き、虚無ブレスを放とうとしている『ヴォイド・リヴァイアサン』に向けて向けた。
(セロハンテープ未満の粘着力……一秒間に三十万回連射)
【微弱粘着 Lv.1】発動。
瞬間。
シュパパパパパパパパパパパッ!!!!
目に見えない『極薄の粘着概念』が、巨竜の全身、そして口内に溜め込まれていた虚無ブレスのエネルギー粒子に至るまで、秒間三十万回の密度で過剰塗布された。
「グ……ガ……ッ!??!」
巨竜の動きが、完全に停止した。
爪一本、目玉一つ動かすことができない。
それどころか、口の中で放たれようとしていた超高密度の虚無エネルギーまでもが、空間に『ペタッ』と貼り付けられ、爆発することも消滅することも許されず完全静止させられたのだ。
「え……?」
葵が目を疑う。
SSSランクの神話級魔物が、そして世界を滅ぼすレベルの極大ブレスが。
まるで「壁に貼られたシール」のように、空間に完全に固着して身動きを取れなくなっている。
「よし、固まったな。じゃあ仕上げだ」
悠人は軽く右拳を握り締め、もう一つのスキルを同時に発動させた。
(【極微振動 Lv.1】——秒間一億連射)
粘着によって完全に固定され、逃げ場を失った巨竜の分子構造へ、秒間一億回の超高周波振動がダイレクトに叩き込まれる。
ズシャァァァァァァァァァンッ!!!!!!
逃げ場のない振動共振により、SSSランクの巨竜の巨躯は、溜め込まれていた虚無ブレスごと一切の音も立てずに一瞬で綺麗な『微粒子』へと分解された。
次元の亀裂すらも振動と粘着の余波で綺麗に修復され、朝の爽やかな川沿いの風景が戻ってきた。
「よし、遅刻しそうだから急ごうか、佐伯さん」
悠人は何事もなかったかのように振り返り、爽やかに笑ってみせた。
「……」
葵はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「SSSランクのモンスターが……セロハンテープで貼られて粉々に……」
「早く行かないと遅刻しちゃうよー?」
「行くわよぉぉぉぉぉぉぉっ! もう好きにしなさいよバカ天羽ぁぁぁぁぁっ!!」
朝日が照らす通学路を、二人はいつものように校門を目指して走り出すのだった。




