第37話:放課後の影と、懐中電灯にもならない新能力
校庭に吹き荒れた狂風が収まり、青空が戻ってきたものの、校内に漂う異様な緊張感は消え去っていなかった。
「……本当に、一体どうなっているのよ……」
佐伯葵は、すっかり元通り(?)になった校庭の真ん中で、未だに自分の手と空を交互に見つめていた。
Aランク危険度の怪物『タイラント・コブラ』が一瞬で空の彼方へ消え去った光景は、彼女の魔法理論と常識を根本から粉々に打ち砕いていた。
「佐伯さん、そろそろ帰らない? 夕方のニュースに間に合わなくなるし」
横で呑気に制服の埃を払っている天羽悠人。
葵は深々とため息をつき、乱れた黒髪をサッと手ぐしで整えた。
「天羽くん……あなた、さっきの風魔法……ううん、圧縮空気弾? あれ、どうやって発動したの? MPの波形も魔法陣の展開も一切見えなかったんだけど……」
「え? だから言っただろ、ちょっと強めの風を送っただけだって。扇風機の強モードみたいなもん」
「強モードで大蛇がマッハの速度で吹き飛ぶわけないでしょ!!」
葵の悲鳴のようなツッコミが校庭に響く。
しかし悠人は「まあまあ」となだめるように手を振り、自分の鞄をひょいと肩にかけた。
「それより、早く校門を出ないと防衛隊の人たちに囲まれて事情聴取されるぞ。面倒なことになったら嫌だろ?」
「くっ……それはそうだけど……!」
葵も防衛隊の車両が校門前に集まってくる音に気づき、不本意そうに頷いた。
二人は混雑する生徒たちの波に紛れ、何食わぬ顔で校門を後にした。
*
夕暮れ時の通学路。
オレンジ色の夕日がかげり始め、街灯がポツポツと点灯し始めていた。
世界の変貌以降、日が落ちると魔物の出現率が跳ね上がるため、街からはすっかり人の姿が消えている。
「ねえ、天羽くん。本当に最近のあなた、おかしいわよ」
並んで歩く葵が、横顔をじっと見つめてくる。
「昔からマイペースだとは思ってたけど……昨日のゴーレムの件といい、今日のコブラの件といい、隠れて特訓でもしてたの?」
「特訓なんてめんどくさいことするわけないだろ。俺は平和に登校して、平和に帰宅して、動画見ながらメシ食いたいだけ」
「その『平和』を脅かす怪物を一瞬で消し去ってるのがあなたなのよ……」
葵が呆れ果てたように肩を落とした、その時だった。
——ズズ……ッ。
街灯の明かりが、不自然にチラつき始めた。
アスファルトに伸びる二人の影が、夕日の角度とは無関係に、奇妙に歪んでウネウネと蠢き始める。
「……!? 天羽くん、止まって!」
葵が瞬時に警戒態勢に入り、サバイバルナイフの柄に手をかけた。
周囲の住宅街の壁や道路から、濃密な『黒いもや』が湧き出し、一瞬で街灯の光を遮断していく。
周囲が一気に不気味な暗黒に包まれた。
「これは……影空間結界……!? 空間を切り離されているわ……!」
葵の声が緊張で強張る。
暗闇の奥底から、ヌラヌラと光る無数の赤い瞳が浮かび上がってきた。
姿形を持たない、純粋な『影』で構成された異形の魔物たち。
防衛隊の警戒リストにおける最悪の分類——Sランク指定生命体『アビス・シャドウ』。
物理攻撃を一切無効化し、あらゆる光を吸収して成長する、夜間における最強の怪物だった。
「ギギギ……キキキキ……」
不快な擦れ音が暗闇の中に充満する。
「嘘でしょ……なんでこんな住宅街の真ん中に『アビス・シャドウ』の群れが……!? 物理攻撃も通常の魔法も、影の身体に吸い取られて効かないのよ……!」
葵の手が微かに震える。
『アビス・シャドウ』を倒すには、防衛隊の特級魔法士が展開する超高出力の聖光魔法か、巨大な光子兵器が必要とされる。高校生の自分たちが立ち向かえる相手ではない。
「天羽くん! あたしが全MPを使って一瞬だけ風で道を穿つわ! あなたはそれを見たら全力で逃げて!」
「えー、でも佐伯さん一人を残して逃げたら、後で後味悪いしな」
「バカ言わないで! 相手はSランクなのよ!? 光もないこんな暗闇じゃ、あたしたちは——」
焦る葵の横で、悠人は自分の指先をじっと見つめていた。
視界の端で点滅している、お馴染みの半透明システムウィンドウ。
(……あ、また新しいのが増えてる)
『【スキル:神】内部能力開放:【微小発光 Lv.1】発動可能』
『効果:指先から0.1ルーメンの光を放つ』
(0.1ルーメン……? 暗闇で鍵穴を探すのにも苦労するレベルの光だな。蛍のお尻の方がまだ明るいんじゃないか?)
悠人は呆れたように心の中で呟いた。
相変わらずのゴミ性能。単体では夜道に落とした小銭を探すことすらできない、役立たずの能力だ。
だが——。
『MP消費:0』
『クールタイム(CT):なし』
悠人の思考は、すでに次の段階へと到達していた。
(影のモンスターなら、光に弱いんだろ? ……じゃあ、ちょっと明るくしてみるか)
「天羽くん、行くわよ! 『ウインド・スラ——』」
「まあ落ち着けって、佐伯さん。暗くて足元が見えないから、ちょっと明かり点けるわ」
悠人は葵の肩をポントンと叩くと、右手の人差し指を『アビス・シャドウ』の群れに向けて掲げた。
(一秒間に……三十万回連射)
指先で【微小発光 Lv.1】が起動する。
0.1ルーメンの極小の光子。
それが思考の速度を超越し、秒間三十万回という常軌を逸した密度で指先の一点に集中生成された。
光子が重なり合い、圧縮され、可視光線の領域を超えて波長が短縮されていく。
0.1ルーメン×30万回の高密度収束線。
それは——数億ルーメン級の超高出力ガンマ線レーザー(絶対熱線)へと変貌を遂げた。
キーーーーーーーーーンッ!!!!!!!!
暗闇の空間に、一筋の純白の閃光が奔った。
それは『明かり』などという生ぬるいものではなかった。
太陽の核心を直接引きずり下ろしてきたかのような、空間そのものを白熱させる純粋な光の奔流。
「ギギャアアアアアアアアアアアアアッ!??!?!」
物理攻撃も魔法も吸収するはずの『アビス・シャドウ』たちが、断末魔の叫びを上げる間もなく、光線に触れた瞬間に細胞レベルで分解蒸発していった。
光線は影の群れを易々と貫通し、影空間結界そのものを内側から完璧に焼き切り、遥か夜空の雲まで一直線に穿ち抜いた。
シュウゥゥゥゥ……。
一瞬にして影結界が消滅し、元の静かな夕暮れの街並みが戻ってくる。
悠人の指先から立ち上る、かすかな白い煙。
『アビス・シャドウ』の群れがいた場所には、焦げ跡すら残っていなかった。あまりの高温により、分子ごと消滅したからだ。
「よし、明るくなったな」
悠人は指先をふっと息で吹くと、満足そうに頷いた。
「……」
葵はサバイバルナイフを落とし、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
Sランクの怪物の群れ。
防衛隊の師団すら壊滅させかねない絶望的な影の軍勢が。
悠人が「明かりを点ける」と言って指をかざした一瞬で、全滅した。
「あ……あ……天羽……くん……?」
「ん? なに? 暗かったからペンライト代わりに光らせただけだけど」
「ペンライトで空間ごとSランクモンスターが溶けて消えるわけないでしょぉぉぉぉぉっ!??!」
静まり返った住宅街に、今日二度目となる葵の叫び声が虚しく響き渡ったのだった。




