第35話:通学路の封鎖線と、新たな『生活支援スキル』
朝の澄んだ空気が、重苦しい鉄と焦げ跡の匂いに満ちていた。
「はあ……今日もまた迂回ルートか」
天羽悠人は、学園へと続くいつもの通学路の前に張られた黄色い立ち入り禁止テープを見上げて、深々とため息をついた。
世界の変貌からしばらくが経ち、街の混乱自体はある程度収まりを見せつつあった。
自治体や防衛隊、そして『能力者』として覚醒した警察官たちが各所で警備にあたっているものの、野良の魔物が湧き出すスピードには到底追いついていない。
特に、悠人たちが毎日通うこの通学路周辺は、なぜか魔物の発生密度が高い『高危険領域』に指定されていた。
「あら、天羽くん。おはよう。今日も早いのね」
後ろから声をかけてきたのは、すっかり戦闘慣れした様子の佐伯葵だった。
制服の袖を少し捲り上げ、腰のホルスターには以前よりも上質なサバイバルナイフを差している。この数週間の戦いを通じて、彼女の『風魔法』の熟練度もかなり上がっているようだった。
「おはよう、佐伯さん。ここ、また封鎖されてるけど……何が出たの?」
「昨日の夜、大型の岩石種が居座っちゃったみたいなの。防衛隊の迎撃班が向かってるらしいんだけど、装甲が硬すぎて攻めあぐねてるみたいで……」
葵が困り顔で指差す先。
通学路の大きな交差点の中央に、全高五メートルを超える巨大な岩石の塊が鎮座していた。
岩肌には禍々しい赤いルーン文字のような発光パターンが走り、ズシン、ズシンと不気味な地鳴りを響かせている。
その周囲には、防衛隊の車両数台と、盾を持った隊員たちが厳重な陣形を組んでいた。
「隊長! 『グラニット・ゴーレム』の物理耐性、想定以上です! 通常の徹甲弾では傷一つつきません!」
「チッ、魔法特化の能力者はまだ着かないのか!? このままじゃ登校時間までに道路の開放が間に合わんぞ!」
現場指揮官らしき男が怒号を上げている。
悠人は腕時計に目をやった。時刻は午前七時四十分。
「うーん……あのデカいのが退いてくれないと、遅刻しそうだな。今日の1時間目、テストだった気がするし」
「ちょっと天羽くん、何を呑気なこと言ってるの? あれは『グラニット・ゴーレム』よ? Bランク相当の脅威指定モンスターなんだから、近寄るだけでも——」
葵が注意しようとした瞬間、ゴーレムが不快な重低音を響かせながら、その巨大な岩石の腕を持ち上げた。
ターゲットになったのは、前線で盾を構えていた若い防衛隊員だ。
腕が振り下ろされれば、人間など一たまりもなく押し潰される。
「しまっ——退避ぃぃぃ!!」
指揮官の叫びが響く。
葵も咄嗟にナイフに風を纏わせ、助けに入ろうと前傾姿勢をとった。
だが——それよりも速く、悠人がトコトコと軽い足取りで立ち入り禁止テープをくぐり抜けていた。
「ちょっと、天羽くん!??! 何やって——」
「すみませーん、ちょっと通してくださーい」
悠人は慌てる防衛隊員たちの間をすり抜け、襲いかかろうとするゴーレムの足元へとあっさりと歩み寄った。
巨腕が頭上から振り下ろされる。凄まじい風圧が悠人の前髪を激しく揺らした。
「おいガキ! 死にたいのか、下がれぇぇぇっ!」
隊長が悲鳴のような声を上げる。
悠人は迫り来る数トンの岩石の塊を見上げながら、ポッケから手を出して、ゴーレムの脚部にちょんと人差し指を触れた。
(……ん? そういえば今朝、また新しいスキルが生えてたな)
悠人の脳裏に、半透明の【スキル:神】のシステムウィンドウが浮かび上がる。
『【スキル:神】内部能力開放:【極微振動 Lv.1】発動』
『効果:対象の分子構造を極小レベルで毎秒10回振動させる』
(毎秒10回……? マッサージ器以下か? 肩たたきにも使えなさそうなショボい振動だな)
悠人は即座にその性能を理解した。
1秒間に10回程度の微振動など、硬い岩石に対しては何の足しにもならない。赤ん坊が指で突いているようなものだ。
だが——悠人の持つ【スキル:神】に設定されている概念は、ただ一つ。
『MP消費:0』
『クールタイム(CT):なし』
「まあ、削るのに時間かかるかもしれないけど……連打してみるか」
悠人は思考の速度そのままに、その【極微振動 Lv.1】を起動した。
一秒間に、百回、千回、十万回、一百万回、数億回——。
思考が続く限り、無限に重なり続ける毎秒数億回の振動命令。
ズズズズズズズズズズズズズッ!!!!!!
「……え?」
隊長が目を見開いた。
振り下ろされていたゴーレムの巨腕が、悠人の頭上数十センチのところで突如として『停止』した。
いや、停止したのではない。
悠人の指先が触れているゴーレムの脚部から、まるで水面に広がる波紋のように『超高周波の共振』が全身へと一瞬で駆け抜けたのだ。
巨岩の分子結合が、物理的な限界を遥かに超えた超高周波の振動によって、根底から完全にバラバラに破壊されていく。
キィィィィィィィィィン……ッ!!
キーンという耳鳴りのような高音が響いた直後。
巨体を持つ『グラニット・ゴーレム』は、激しい爆破音を起こすことすら許されず——サラサラとしたきめ細かい『砂』へと変わり、その場に一瞬で崩れ去った。
サラサラサラ……。
ほんの数秒前までBランクの脅威として猛威を振るっていた巨大な岩石巨兵は、跡形もなく、ただの綺麗な砂の山へと姿を変えていた。
風が吹き抜け、白い砂がふわりと舞い散る。
「……」
交差点全体が、完璧な静寂に包まれた。
盾を構えたまま固まる防衛隊員たち。
口をぐうの音も出ないほど開けて固まっている隊長。
そして、ナイフを構えた姿勢のままフリーズしている佐伯葵。
「ふう……なんとか崩せたか。指先がちょっとくすぐったいな」
悠人は人差し指を服で軽く拭うと、驚愕で固まっている防衛隊員たちに向かって丁寧に一礼した。
「すみません、道が開いたんで通りますねー」
悠人は崩れた砂の山をサクサクと踏み越え、立ち入り禁止テープをくぐり抜けて学校への道を歩き出す。
「あ、待ちなさい天羽くんっ!!」
我に返った葵が、必死の様相で悠人の後を追いかけて走ってきた。
「ななな、今のアレ何!? 『グラニット・ゴーレム』を一瞬で砂にしたわよね!? どんな超高威力の崩壊魔法を使ったの崩壊魔法!?」
「え? いや、ただの振動だよ。肩たたきみたいなやつ」
「肩たたきで岩石ゴーレムが粉じん爆発みたいに崩れるわけないでしょ!??! あなた本当に何なのよ……っ!」
肩を怒らせて詰め寄ってくる葵に、悠人は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そんなことより佐伯さん、早く行かないと本当に遅刻するぞ。1時間目、小テストだし」
「くっ……! テストも大事だけど、今の件はあとでじっくり問い詰めるからね!」
朝の日差しの中、二人は騒がしい通学路を走り抜けていく。
無敵の連射能力と、一見役に立たないゴミスキルの組み合わせ。
悠人のマイペースな通学路の日常は、まだまだ波乱を含みながら続いていくのだった。




