第34話 備品倉庫の強酸ナメクジと微極中和の洗礼
正門前ロータリーでの拘束撃退から数日。西高校の生活は、崩れかけた現代の日常とどこか歪な安らぎを保ちながら過ぎていた。
グラウンドの片隅では防衛隊員たちが有刺鉄線の補強を行い、校舎内では避難している生徒たちが自警団としての見張りや物資の仕分けに励んでいる。
「——天羽、少し時間はあるか?」
西高購買部前の廊下を歩いていると、眉間に深いシワを寄せた陣内分隊長から呼び止められた。足元を見ると、普段のゴツい戦闘ブーツではなく、やけに底の厚い重厚な『防衛隊用耐酸特殊ゴムブーツ』を履いている。
「陣内さん。なんですかその物騒な靴は」
「うむ……実は、旧部室棟裏にある『備品倉庫』で問題が発生した。あそこには避難民用の土嚢袋や予備の毛布、発電用の軽油缶が保管されているんだが……今朝方、偵察に出た隊員が異臭と異変に気付いてな」
「異変?」
「ああ。壁や扉のアスファルトがドロドロに溶け出していたそうだ。危険度の高い腐食系魔物……【アシッド・スラッグ】の群れが侵入した可能性が高い」
アシッド・スラッグ。
体長一メートルを超える巨大なナメクジ状の変異魔物で、体表から強烈な強酸粘液を噴出し、鉄骨やコンクリートすら数秒でドロドロの液体に変えてしまう悪名高い野良魔物だ。
「防衛隊の火炎放射器で焼こうにも、倉庫内には軽油缶がある。下手に爆発させれば貴重な物資もろとも倉庫が吹き飛ぶ。かと言って近接攻撃を仕掛ければ、酸の返り血で隊員の装備が溶けて全滅しかねん……」
陣内は腕を組み、深刻な顔で俺を見つめてきた。
「そこでだ、天羽。貴様の持つ『あの超高密度の環境中和能力』で、なんとか倉庫の物資を損なわずに敵を排除できんか?」
(いや、俺を便利屋か万能薬品みたいに頼るな……と言いたいところだが、軽油缶が爆発して電力が落ちたら俺のスマホの充電もできなくなるな)
俺はため息を吐きながらポケットに手を突っ込んだ。
「……まあ、見に行くだけ見に行ってみますよ」
「おお! かたじけない! 桐生隊員を案内につけよう!」
◇
校舎の裏手に位置する【西高旧部室棟裏・備品倉庫】。
ひっそりとした日陰に佇むコンクリート造りの倉庫前には、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされていた。
「天羽先輩、お気をつけください! ドアの隙間から溢れ出している緑色の粘液、スコープで測定したらpH1.0以下の超強力な強酸です! 触れたら金属はおろか骨まで一瞬で溶けますよ!」
案内として同行した桐生凪沙が、スコープを覗きながらガクガクと膝を震わせている。
見れば、厚い鉄製の倉庫の扉が、緑色のドロドロした液体に触れている部分からシュワシュワと白い煙を上げて溶けていた。中からは「ジュルルル……」という不気味な蠢動音が響いてくる。
「ジュルッ……ジュポッ……!」
壊れかけた扉を押し破り、粘液を撒き散らしながらぬめりと姿を現したのは、巨体のアシッド・スラッグ3体だった。奴らの体表からは絶え間なく強酸が滴り落ち、アスファルトにボコボコと深い穴を穿っている。
「ひやぁぁっ!? 出、出ました! 先輩、下がってください! 私がなんとか……!」
「いいから桐生さんは後ろに下がってろ。靴が溶けるぞ」
俺は桐生の肩を軽く叩いて後方へ下げさせると、倉庫の前に一歩踏み出した。
(強酸の粘液か……。酸性ってことは、化学的にアルカリで中和するか、水素イオン濃度を無理やり中性に引き戻せばただの汚水になるな)
俺は右手の指先をアシッド・スラッグたちに向けた。
頭の中に浮かび上がるのは、今しがた開放されたばかりの新しいゴミスキル。
【中和(微極)】(Skill Lv.1)
・効果:1mm四方の極小範囲の液体のPH(水素イオン濃度)をごく僅かに中和(PH7の純水へ接近)させる。
・消費MP:0
・クールタイム:なし
1mm四方の液体を、ほんの僅かに中和するだけの生活・化学系ゴミスキル。理科の実験室でスポイト1滴分の酸を弱めるのが関の山という、戦闘においては何の役にも立たないガラクタ能力だ。
だが——これを『MP消費ゼロ・クールタイム皆無』の反則仕様で、毎秒100万発の超高密度弾幕としてアシッド・スラッグの強酸粘液に連続着弾させたらどうなるか。
シューーーーーーーーーッ……!!
大気をかすかに震わせる透明な波動が、アシッド・スラッグたちを包み込んだ。
シュワシュワシュワシュワシュワシュワッ!!!!!
「ジュ!?」「ジュブブブブッ!?」
アシッド・スラッグたちが狂ったようにのたうち回り始めた。
彼らの最大の武器であり、生命維持の要でもある体表の強酸粘液が、秒間100万回の中和現象によって、瞬く間に「ただの無害な真水」へと強制改変されていく。
pH1.0の超強力な殺傷粘液が、一瞬にしてただのぬるま湯へと分解され、周囲のアスファルトを穿っていた酸の煙が一気に消失した。
「ジュ……!? ジュボボボッ……!?」
さらに、自身の体内で作られる酸すらも細胞レベルで次々と中和され、強酸の環境でしか生きられないアシッド・スラッグたちの巨体は、一滴の酸も保てなくなって「ただの干からびた巨大なナメクジの皮」へと縮んでいく。
わずか三秒。
鉄をも溶かす強酸の悪夢は、一滴の煙を残さず「綺麗に拭き取られた透明な水たまり」へと姿を変えたのだった。
「ふう……こんなもんだろ」
俺はポケットからハンカチを取り出し、指先を軽く拭いた。
「え……? ええええええええええっ!?」
後ろで見守っていた桐生が、叫び声を上げながらスコープを二度見、三度見している。
「な、なんですかこれぇぇぇ!? スコープのpH数値が、pH1.0から一瞬で正確な『pH7.000(完全な中性)』に書き換わりましたよ!? しかもアシッド・スラッグの強酸分泌器官が、細胞レベルで完璧に無力化されて消滅してます……!?」
「まあ、酸が抜けてただの水になっただけだな」
「そんな単純な話じゃないです!! 対象の化学反応を広範囲かつ分子精度で一瞬にして『中性化』するなんて……これ、伝説の防衛魔法『絶対中和』の領域じゃないですか!? 化学兵器すら一瞬で無力化する神の御業ですよ……!」
桐生は興奮のあまり鼻息を荒くしながら、猛烈な勢いで手帳にペンを走らせる。
「凄すぎます天羽先輩……! 物理攻撃無効の鋼鉄犬を固めたと思ったら、今度は物質を溶かす強酸すら一瞬でただの清涼飲料水レベルの水に変えてしまうなんて……! 『絶技の中和者』……ううん、『環境改変の神』とお呼びしてもよろしいでしょうか!?」
「だから呼ぶなと言っている」
俺は呆れ顔で首を振り、無傷で残った倉庫のドアを押し開けた。
中には軽油缶や物資が、何一つ傷つくことなく無事に収まっている。
(まあ、軽油缶も無事だったし、これでまたしばらくは平和にスマホの充電もできるな)
過剰な噂と周囲の勘違いは留まるところを知らないが、自分のマイペースな日常を守るためなら、どんなゴミスキルでも使い倒してやる。
通学路に魔物がうろつく日常で、高校生・天羽悠人の「地道すぎる最強への道」は、まだまだどこまでも続いていく。




