第31話 屋上の通信障害と微小修復の力
購買部での静かな(?)やり取りから数時間後、空は茜色から群青色へと変わり始めていた。
防衛結界の張り直しによって西高校敷地内の安全性は飛躍的に向上したが、それでも「野良魔物社会」の脅威が消え去ったわけではない。
「うーん……やっぱりノイズが酷いな。これじゃ本部の定期定時通信がまた途切れちまう」
校舎の最上階をさらに上った場所にある『西高屋上テラス』。
元々は生徒たちが昼休みに弁当を食べたり、部活動の筋トレに使われていたその開けたスペースで、陣内分隊長が通信機の受話器を耳に当てながら首をひねっていた。
屋上の中央には、防衛隊が搬入した『簡易型通信アンテナ』が据え付けられている。
「どうしました、陣内さん?」
制服の汚れを【清浄(微浄)】でピカピカにしてもらった佐伯葵と、缶ジュースを片手につきあわされた俺が屋上へ足を踏み入れる。
「ああ、天羽に佐伯か。いやなに、本部との通信にノイズが混じってな。さっき中庭の結界ジェネレーターが過負荷を起こした時の高周波の余波か、それとも上空の魔力流の乱れか……アンテナの基盤に微細なクラック(亀裂)が入っちまったらしい」
「クラックですか? 予備の部品はないんですか?」
佐伯が尋ねると、陣内分隊長は苦笑いを浮かべて首を振った。
「こんな特注の軍用通信アンテナの予備なんて、この西高避難区にはないよ。半田ごてで直せるような簡単な配線でもないしな……明日、本部の補給隊が来るまで通信は半不通状態になるかもしれん」
「通信が途絶えると、周辺の魔物の大量湧き情報なんかが入ってこなくなりますよね……」
佐伯が不安そうに眉をひそめる。
確かに、この野良魔物社会において「情報の遮断」は死に直結する。特に上空や隣町からの強大な魔物の接近を察知できないのは非常に危険だ。
「基盤の微細な亀裂か……」
俺は缶ジュースを飲み干し、アンテナの根元にある金属製の制御ボックスへと近づいた。
「天羽? 触ると感電するぞ」
「大丈夫です。ちょっと中を見せてください」
陣内分隊長がドライバーで開けていたカバーの隙間から覗き込むと、緑色の基盤上に、肉眼ではかろうじて見える程度の目に見えないほど細いヘアライン状の亀裂が数本走っているのが見えた。
基盤の回路が完全に断線しているわけではないが、接触不良を起こしてノイズの原因になっているらしい。
(これくらいなら、あれがいけるか……?)
俺は脳内で所持スキルの一覧を検索し、目的のゴミスキルを引き当てた。
【修復(極微)】(Skill Lv.1)
・効果:対象の物質に存在する1mm以下の微小な亀裂や摩耗をごく僅かに接合・修復する。
・消費MP:0(通常:5)
・クールタイム:なし(通常:10秒)
これまた日曜大工やプラモデル作成用の、なんの変哲もない生活系雑能スキル。
普通に使えば、10秒のクールタイムとMP5を消費して、目打ちの傷をミリ単位で埋めるのが関の山。こんなアンテナの基盤修理など到底不可能だ。
だが――俺にとっては話が別である。
「よし」
「天羽……? お前、何を――」
陣内分隊長が制止の声をかけるより早く、俺は制御ボックス内部の基盤に向けて手をかざした。
そして、【修復(極微)】を――毎秒五十万回の超連射で叩き込む。
――ッ!!
音すら聞こえない。
ただ、制御ボックスの内部で、肉眼では捉えきれないほどの極微な光の粒子が数百万個ほど暴風のように渦巻いた。
基盤のプラスチック、銅線、半田の原子レベルの歪みと亀裂が、強引かつ完璧に『再結合』されていく。
1mmの修復を毎秒五十万回。
それはもはや単なる「修理」の域を超え、物質の分子構造そのものを初期の最高状態へと巻き戻す、悪魔的な超修復作業だった。
わずか一秒後。
『――ザー……ザザー……――こちら中央防衛本部指令室。西高駐屯隊、応答せよ。感度良好、映像・音声ともにクリア。繰り返す――』
それまで酷い雑音を吐き出していた通信機スピーカーから、まるで目の前に相手がいるかのような超高音質の音声が突如として響き渡った。
「な……!?」
陣内分隊長が目を丸くして受話器を二度見する。
「ノ、ノイズが完全に消えた……!? それどころか、信号強度が以前の三倍以上に跳ね上がっている……!?」
「あ、うまくいったみたいですね」
俺は満足そうに頷き、手を引っ込めた。
「ちょっと基盤の亀裂をつなぎ合わせておきました。ついでに導電性も少し上がったみたいです」
「『ちょっとつなぎ合わせた』で軍用アンテナの感度を規格外に底上げするな!!」
横から佐伯の鋭いツッコミが飛んできた。
「悠人くん! あなた【修復(極微)】でしょ今使ったの!? なんでそんな小さな修理スキルで、電子機器の精密基盤が新品以上になってるのよ!」
「いや、細かいつなぎ合わせを何百万回と重ねただけだって。プラモの接着剤をナノレベルで塗ったようなもんだ」
「ナノレベルで毎秒何百万回も接着剤塗る人間がいるかーーーっ!!」
佐伯が頭を抱えて叫ぶ。
一方、陣内分隊長は通信機を持ったまま、ガタガタと震えていた。
「天羽……お前、まさか……【修復】のスキルだけで、原子結合レベルの再構成を行ったというのか……?」
「え? いや、ただのLV1の修復スキルですけど……」
「バカな……! そんな真似ができるのは、本部にも一人しかいない最高ランクの『創世系能力者』か、伝説の錬金術師くらいだぞ……! それを、一瞬で、事もなげに……!」
陣内分隊長はゴクリと生唾を飲み込み、俺を神聖な何かを見るような目で見つめ始めた。
(あ、また始まった……)
俺は心の中で天を仰いだ。
またしても『隠遁した最強の覚醒者』としての実績が勝手に積み上がってしまっている。俺は単に、通信が途絶えて夜中に急な魔物襲来があったら嫌だなと思っただけなのだが。
と、その時だった。
ピピピピピピッ――!!
突然、屋上の警報ブザーがけたたましく鳴り響いた。
「な、なんだ!? 警報!?」
陣内分隊長が即座に受話器を耳に当てる。
『緊急警報! 西高駐屯隊へ連絡! 上空より中型飛行魔物の群れが接近中! 個体名【フライング・リッパー】約二十匹! 結界の上空境界線を突破しようとしています!』
「なに!? フライング・リッパーだと!?」
陣内分隊長の顔色がガラリと変わった。
フライング・リッパー。羽が鋼鉄の刃のようになっており、時速二百キロを超える速度で急降下攻撃を仕掛けてくる、非常に厄介な空中徘徊型の魔物だ。
「結界の最大出力展開は完了したばかりだが……上空の防衛層はまだ薄い! 破られたら敷地内に被害が出るぞ!」
陣内分隊長がアサルトライフルを構えようとした、その時。
屋上の上空、茜色の空を切り裂くように、キィィィィンという鋭い羽音が響き渡り、二十匹ほどの刃の翼を持った巨鳥――フライング・リッパーたちが急降下を開始した。
「くっ、速い……! 射撃が間に合わん……!」
「陣内さん、下がっててください」
俺は缶ジュースの空き缶をポケットに仕舞うと、一歩前へ出た。
「天羽! 相手は空を飛んでいるんだぞ! いくらお前の『近接での超絶連射』が凄まじくても、上空の敵には――」
「届きますよ。これなら」
俺は空を見上げ、右手の指を軽やかに鳴らした。
使うのは、第25話でもお世話になったあの地味スキルの真骨頂だ。
【発砲(極微)】(Skill Lv.1)
・効果:指先からごく僅かな衝撃波(風圧)を放つ。
・消費MP:0
・クールタイム:なし
「……発射」
シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァッ――!!!!
瞬間。
屋上の上空一帯の『空気』そのものが、目に見える衝撃の壁となって炸裂した。
1回の威力はデコピン程度。しかしそれが――毎秒三〇万回の超高密度連射弾幕となって、上空に向けて解き放たれたのだ。
目に見えない空気の超音波マシンガン。
急降下してきた二十匹のフライング・リッパーたちは、自慢の刃の翼で切り裂く隙すら与えられず、秒間数百万回の空気の打撃に全身を叩きのめされた。
バババババババババババババンッ!!
「ギニャー!?」
「ギャオォォォ!?」
悲鳴を上げる暇すらなく、空中でまるで巨大な肉たたきに遭ったかのように一瞬で全個体がショック死・失神。そのまま撃墜され、結界の外側の空き地へとボトボトとゴミのように落ちていった。
所要時間、わずか〇・五秒。
「……ふう。やっぱり数が多くても、面で叩けば楽だな」
俺は何事もなかったかのように指先をポンと叩き、服の埃を払った。
「……………………」
屋上に、静寂が訪れる。
陣内分隊長は口をぽかーんと開けたまま、手にしたアサルトライフルを落としそうになっていた。
佐伯はといえば、もはや突っ込む気力すら失った様子で、生ぬるい目で俺を見つめている。
「……ねえ、陣内さん」
「ん、なんだ……佐伯……」
「本部には、なんて報告します?」
「……『天羽エージェント(仮)が、指先一つで上空の脅威を散歩ついでに殲滅しました』……としか言えんな……」
「だーかーら! エージェントじゃないですってば!!」
俺の叫び声が、夕暮れの西高屋上に虚しく響き渡ったのだった。




