第30話 購買部の休息と静かなる勘違い
中庭の激闘と【ニードル・ベア】のフリーズドライ化という常識破りの一幕から、およそ一時間が経過した。
防衛結界が本来の安定した出力を取り戻したことで、市立西高校の敷地内には久々に穏やかな静けさが戻ってきていた。
「はあ……本当に、生きて戻れてよかったわ……」
校舎一階の奥、かつてはパンやジュースが売られていた『西高購買部・購買サロン』。
現在は防衛隊と一部の生徒会役員が簡易的な作戦会議室兼休憩拠点として使っているその場所で、佐伯葵はパイプ椅子に深々と腰掛け、温かい缶コーヒーを両手で包み込んでいた。
「地下三階の怪力トレントに、中庭の針クマ……。今日だけで私の寿命、絶対三年は縮まった気がする」
「大袈裟だな。無事に結界も直ったんだし、結果オーライだろ」
俺は向かいの椅子に座り、同じく防衛隊から差し入れられた缶コーヒーをカチリと開けた。一口含むと、微糖の甘さと苦味が疲れた体にじんわりと染みわたる。
「『結果オーライ』で済むのは、あなたがあの規格外のゴミスキル(?)連射で全部解決しちゃったからでしょ!」
佐伯はジト目で俺を睨みつけてくる。
「ねえ、悠人くん。改めて聞くけど……あの【硬化(微硬)】って、本当にただのLV1スキルなの?」
「そうだって。1cmの範囲の硬度をほんの数パーセント上げるだけの、いわゆる日曜大工用の生活スキルだ。俺のステータス画面上でも分類は『雑能(日常系)』になってる」
「日曜大工用のスキルでニードル・ベアの前脚の骨を叩き折る人間がどこにいるのよ……」
佐伯は頭を抱えて長いため息を吐いた。
「普通ね、『硬化』のスキルで魔物の爪を防ごうと思ったら、最低でも【Skill Lv.5】以上の【鋼鉄化】とか【金剛体】みたいな上位変化を起こさないと無理なの。それをあなた……ただの微小な硬化を、一体何万回重複させて重ねがけしたのよ?」
「ん? さっきのは毎秒二十万回くらいかな」
「……ニ十万」
佐伯の顔から表情が消えた。
「毎秒……二十万……? それ、MP消費は? クールタイムは?」
「MP消費ゼロ、クールタイムゼロ」
「やっぱりおかしい!! 物理法則だけじゃなくて世界の魔力システムそのものをバグらせてるじゃない!!」
バン! と机を叩く佐伯。購買サロン内に彼女のツッコミが寂しく響き渡る。
まあ、そう言いたい気持ちもわからなくはない。普通の能力者はスキルを一回使うごとに相応のMPを消費し、数秒から数分のクールタイムに縛られる。だからこそ「一撃の威力」や「スキルのランク」が全ての世界なのだ。
だが俺の所持する【スキル:神】は、スキルの熟練度が一切入らず全スキルが【Skill Lv.1】で固定される代わりに、システム上のリミッター(MPとCT)が完全に撤去されている。
どんなにゴミみたいな微弱な効果でも、ノータイムで何十万回と連射して重ね合わせれば、神の奇跡と同等の現象を引き起こせる。
「まあまあ、いいじゃないか。怪我人が出なかったんだからさ」
「それはそうだけど……」
佐伯がコーヒーを一口飲み、少し表情を柔らかくした。
「でも、ありがとうね。地下でも中庭でも、あなたがいてくれなかったら、私や陣内さんは間違いなく死んでたわ」
「礼を言われるほどのことじゃないよ。俺だって、学校が崩壊して居場所がなくなったら困るからな」
俺がそう答えると、佐伯はふっと呆れたように笑った。
「相変わらず能天気なんだから。……あ、そうだ。制服、泥や埃で汚れちゃってるわよ。地下の木くずもついてるし」
「ん? ああ、本当だ」
見れば、俺の学ランの袖や裾には、先ほどの戦闘や地下探索でついた真っ黒な煤やホコリがびっしりとこびりついていた。
「これじゃ洗濯しないと落ないか……面倒だな」
「うちの避難区に水道は生きてるけど、洗濯機までは使えないからね……」
「まあ、これくらいならこれでいいか」
俺は学ランの袖口に手をかざし、またしても脳内で新しいゴミスキルを呼び出した。
【清浄(微浄)】(Skill Lv.1)
・効果:指定した範囲(1cm)の表面に付着した微細な汚れや埃をごく僅かに除去する。
・消費MP:0(通常:1)
・クールタイム:なし(通常:3秒)
服についたホコリを一粒ふき取る程度の、まさに掃除用の生活系雑能スキル。
俺はこれを、自分の制服全体に向けて――毎秒十万回の超連射で発動させた。
シュヴァヴァヴァヴァヴァッ……!
一瞬、俺の全身が極めて薄い白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には学ランに付着していた煤、泥、ホコリ、さらには汗の匂いや嫌な湿気までが完璧に消失していた。
それどころか、まるでクリーニング店から戻ってきたばかりの高級新品のように、生地がピンと張り、かすかに日当たりの良いお日様の匂いすら漂っている。
「はい、綺麗になった」
「………………」
佐伯は開いた口が塞がらない様子で、俺の制服を注視していた。
「……ねえ、悠人くん」
「ん?」
「今のは何?」
「【清浄(微浄)】。1cmの汚れをちょっと浮かすだけの掃除スキル」
「それを全身に連射して……一瞬でクリーニング以上の完全浄化を行ったわけね?」
「まあ、そうなるな。アイロンがけの手間も省けて便利だぞ」
「……もう何に対しても驚かないって決めたはずなのに、なんで毎回その斜め上の斜め上を行くのよ……」
佐伯は深々と額を押さえ、諦めたように肩を落とした。
その時、購買サロンの引き戸がガラリと開き、陣内分隊長が入ってきた。
「天羽、佐伯。ここにいたか」
「陣内さん。結界の様子はどうですか?」
佐伯が立ち上がると、陣内分隊長は満足そうに頷いた。
「ああ、極めて良好だ。ジェネレーターの魔力循環も安定している。中央防衛本部との定期定時通信も復旧した」
陣内分隊長はそう言って、俺の前の椅子にドカリと腰掛けた。
「それでな、天羽。本部に今回の『結界復旧』と『ニードル・ベア撃退』の報告を入れたんだが……」
「はい」
「本部の上層部が、お前の戦果について非常に強い興味を示していてな」
「……え?」
俺は缶コーヒーを持つ手を止めた。嫌な予感が頭をよぎる。
「いやなに、『高校生一人のスキルによって、LV12の大型甲殻魔物が一瞬でフリーズドライ化し、鋼鉄以上の防衛障壁が展開された』と正直に報告したらだな……本部の分析官たちがこう言ってきたんだ」
陣内分隊長は神妙な顔つきで、声をひそめた。
「『それはおそらく、伝説級の固有スキル【空間圧縮】または【分子分解】の極致に至った【Skill Lv.MAX】の特級能力者ではないか』とな」
「……はい?」
「さらに本部の参謀はこう言っていた。『その少年は、自身の強大な力を隠蔽し、敵を油断させるために、あえて【 Skill Lv.1 のゴミスキル 】だと周囲に偽装して単独潜入している極秘エージェントか、あるいは隠遁した最強の覚醒者だろう』と」
「……は????」
思わず素の口調で聞き返してしまった。
なんだその壮大な勘違いは。エージェント? 覚醒者? 俺はただの、通りすがりの高校2年生なんだが?
「陣内さん、違いますよ! 俺は本当にただの平社員……じゃなくて、普通の高校生で、スキルも本当にLV1のゴミ能力を連射してるだけですって!」
「ハハハ! 分かっている、分かっているぞ天羽!」
陣内分隊長はガハハと豪快に笑い、俺の背中をポンポンと強めに叩いた。
「能ある鷹は爪を隠す、というやつだな! 正体を明かせない深い事情があるのだろう。本部にも『彼のプライバシーと日常を優先するため、これ以上の追及は控えてほしい』と俺から強く釘を刺しておいたから安心しろ!」
(安心できるかーーーっ!!)
心の中で大絶叫する俺。
完全に『自分をゴミスキル保持者と思い込んでいる元・最強エージェント』みたいな属性を勝手に付与されているではないか。
隣を見ると、佐伯が哀れみと爆笑が混ざったような複雑な表情で俺を見ていた。
「ふふ……よかったじゃない、悠人くん。最強のエージェント様扱いよ?」
「笑い事じゃないって……。俺はただ、平穏に通学して静かに暮らしたいだけなのに……」
「まあでも、これで本部の厄介な調査隊とかが押しかけてくる心配はなくなったんじゃない? 陣内さんが上手く誤魔化してくれたんだし」
「……うう、それはそうかもしれないけど……」
俺は頭を抱え、冷めかけた缶コーヒーを飲み干した。
1匹狼として目立たずにサバイバルし、地道に【スキル:神】の育成(※熟練度が全く溜まらないので事実上の変化なし)を進めようと思っていたのに、周囲の勘違いと評価は明後日の方向へと爆走を始めている。
「まあいい……。とにかく、西高校の安全が確保されたならそれで十分だ」
俺はため息混じりに立ち上がった。
「佐伯さん、そろそろ体育館の避難区に戻ろう。みんな心配してるだろ」
「そうね。……あ、悠人くん」
「ん?」
「さっきの【清浄】のスキル……後で私の制服にもかけてくれない? やっぱり女子として泥汚れは気になるし」
「……缶ジュース一本で引き受けるよ」
「交渉成立ね!」
佐伯は嬉しそうに微笑むと、俺の後に続いて購買サロンを後にした。
校舎の窓から外を仰ぎ見ると、新しく張り巡らされた青い防衛結界の向こうに、夕暮れに染まる崩壊した街並みが広がっていた。
世界は相変わらず魔物がうろつく過酷な日常のままだが――まあ、今日のところはこれでよしとしよう。
俺のサバイバルと、意図せぬ「勘違い最強伝説」は、これからもまだまだ続きそうだった。




