第29話 結界復旧と中庭の急襲
「……はあ、はあ……地上ってこんなに空気美味しかったのね……」
旧校舎の薄暗い地下階段を上りきり、新校舎側の中庭廊下へと出た瞬間、佐伯葵はその場に膝をついて胸を撫で下ろした。
地下三階での【ギガント・トレント】との死闘――というか、俺が【乾燥(極微)】の秒間十万回連射によって超巨大魔物を一瞬でカラカラのミイラ粉末に変えたショックから、彼女の精神的疲労は限界に達しているようだった。
「お疲れさん、佐伯さん。ほら、パーツは無事だ」
俺は小脇に抱えていた「高純度冷却ユニット」の金属ケースを軽く叩いて見せた。
「無事なのはいいけど……あなたねぇ……。あの極大魔法みたいな『乾燥』は何なのよ……。本当にあれが【Skill Lv.1】のゴミ能力だって言い張るつもり?」
「言い張るも何も事実だからな。俺のステータス画面を見せられるなら見せたいくらいだ」
「見せられたら見せられたで、絶対余計に頭が痛くなるわよ……!」
佐伯は額を押さえながら立ち上がり、制服についたホコリをパンパンと払った。
二人が話しながら向かったのは、旧校舎と体育館の間に位置する『旧校舎中庭・受変電設備跡』だ。ここには西高校全体の防衛結界を維持している『魔導結界ジェネレーター(可搬型)』が据え付けられている。
「おい、二人とも! 無事だったか!」
受変電設備の前に陣取っていた陣内分隊長が、俺たちの姿を認めると、物凄い勢いで駆け寄ってきた。
「地下で異様な振動と冷気……それに直後に急激な乾燥波を感知したんだ! 地下が崩落したんじゃないかと防衛隊を再編成して突入しようとしていたところだぞ!」
「すみません陣内さん、色々ありまして……でも、予備パーツは回収できました!」
佐伯が俺からケースを受け取り、陣内分隊長へ手渡す。
陣内分隊長はケースを開け、中に収められた青く輝く高純度冷却ユニットを目にすると、強面な顔を劇的にほころばせた。
「おお……! 間違いない、高純度冷却ユニットだ! これでジェネレーターのオーバーヒートを抑えられる! でかしたぞ、二人とも!」
陣内分隊長は手早く工具を取り出すと、唸り声を上げて赤く発熱していたジェネレーターの側面板を外し、摩耗した古いパーツと新しいユニットを素早く交換した。
カチリ、と重厚な嵌合音が響く。
直後――。
ブウゥゥゥゥン……ッ!
不快な金属擦過音を立てていたジェネレーターが、本来の静かな駆動音を取り戻した。校舎全体を覆うように、薄青い光の防衛結界幕が上空へと展開されていく。
「よし……! 結界の魔力出力が正常値に回復したぞ! これで外からの野良魔物の流入は防げる!」
防衛隊員たちが歓声を上げる。
「よかった……これで避難所のみんなも一安心ね」
佐伯が心底ほっとしたように息を吐いた。
だが――事態はそう簡単に平和へとは向かってくれなかった。
ガラガラガラッ!
「なっ……!?」
中庭の北側に位置する崩れかけの防音壁が、凄まじい衝撃と共に内側へ倒壊した。
結界が完全に展開しきる直前、滑り込みで敷地内へ侵入してきた巨体が存在したのだ。
「グルァアアアアアアッッッ!!!」
咆哮一発。地面が激しく揺れ動く。
そこに立っていたのは、体長四メートルを超す超巨体の熊型魔物だった。
ただの熊ではない。その背中から側面にかけて、太く鋭利な鋼鉄のような針がびっしりと生え揃っている。
【魔物種:ニードル・ベア】
【個体LV:12】
「LV12の『ニードル・ベア』だと……!? くそっ、結界が閉じる寸前に迷い込んできたか!」
陣内分隊長が即座に腰の大型ハンドガンを引き抜き、銃口を向けた。
「総員、射撃用意! 避難区(体育館)へ行かせるな! ここで食い止めるぞ!」
防衛隊員たちが一斉にアサルトライフルや射撃スキル構える。
しかし、ニードル・ベアは立ち上がると、背中の針を不気味に赤く発光させた。
「待て、射撃をやめろ! 後退だ!!」
陣内分隊長が叫んだ瞬間。
シュババババババババババババッ!!!!
ニードル・ベアの背中から、何百本という鋼鉄の針が、まるで無数の槍の雨となって全方位へ射出されたのだ。
「くっ……! 【風刃・防壁】!」
佐伯が咄嗟に前方へ風の盾を展開するが、重圧な鋼鉄針の質量とスピードに押され、風の壁にヒビが入る。
「うわああああっ!?」
「きゃああっ!」
防衛隊員たちの盾や遮蔽物が一瞬でハリネズミのように貫かれ、陣地が瓦解していく。
ニードル・ベアは無防備になった陣内分隊長を見下ろすと、丸太のように太い前脚を振り上げ、叩き潰そうと振り下ろした。
「しまっ――!?」
陣内分隊長が回避動作を取ろうとするが、地面に刺さった針が脚に引っかかり、体勢を崩す。
「陣内さんっ!」
佐伯が悲鳴をあげる。
(あーあ……せっかく結界直したのに、ここで指揮官がやられたらまた面倒なことになるな)
俺は心の中で小さくため息をつくと、ポケットから両手を出して、スッと陣内分隊長と巨熊の間に割り込んだ。
「天羽!? バカ者、退がれ!!」
「大丈夫ですよ、ちょっと硬くするだけですから」
俺は振り下ろされるニードル・ベアの巨大な爪に対し、自分の制服の袖口を差し出した。
脳内で起動するのは、これまた地味極まりない防衛用ゴミスキル。
【硬化(微硬)】(Skill Lv.1)
・効果:指定した範囲(1cm)の表面硬度をごく僅かに(紙一枚分)強化する。
・消費MP:0(通常:2)
・クールタイム:なし(通常:5秒)
爪で引っかかれた時の気休めにもならない、硬度強化スキル。
だが――これを自分の袖口1cmの範囲に対して、ノータイムで『毎秒二十万回』重複発動させたらどうなるか?
ドォォォォォォンッ!!!!!
大砲が炸裂したかのような重低音が中庭に響き渡った。
「グガッ!??!?」
ニードル・ベアの絶叫。
振り下ろされた巨熊の極太の爪は、俺の制服の布地に触れた瞬間――まるでダイヤモンドの壁にダンプカーが激突したかのように、爪どころか前腕の骨ごと粉々に砕け散っていた。
制服の布地は、ほつれ一つついていない。
「……なっ……!?」
間一髪で助かった陣内分隊長が、地面に座り込んだまま目を見開いている。
巨熊の攻撃を受け止めた俺の袖口は、見た目こそただの薄い学ランの生地だが、その表面密度は極限の『硬化』連射によって物理法則を超越した絶対防御壁と化していたのだ。
「爪が折れて痛そうだな。ついでに体も冷やして乾かしてやるよ」
俺は前脚を抱えて悶絶するニードル・ベアに対し、右手と左手を同時にかざした。
「【冷却(微冷)】&【乾燥(極微)】――超連射」
ズオッ……シュオオオオオオオッ!
極低温の冷気と、あらゆる水分を奪い去る超乾燥波が同時に巨熊を襲う。
ニードル・ベアの巨体は、一瞬でカチコチに凍りつくと同時に内部の水分を全て失い、冷たい枯れ木のような『凍結乾燥状態』へと変貌した。
そして――。
パリンッ! ボロボロ……!
LV12の巨体魔物は、ただの冷たい乾燥粉末となって、秋風の中にサラサラと消えていった。
中庭に、完全な静寂が訪れる。
「………………」
防衛隊員たちも、陣内分隊長も、そして佐伯葵も。
全員が息をすることすら忘れたように、俺と、魔物が消え去った地面を交互に見つめていた。
「よし、これで中庭の安全も確保できたな」
俺はパンパンと制服の埃を払い、陣内分隊長へ手を差し伸べた。
「立てますか、陣内さん」
「あ、あ伝……お前……」
陣内分隊長は俺の手を借りて立ち上がったが、その手はかすかに震えていた。
「お前……今、ニードル・ベアの攻撃を制服一枚で受け止めたのか……? それに、あの冷気と乾燥の複合術式……お前、本当に高校生なのか……!?」
「だから言ってるじゃないですか、ただの基本スキルの工夫ですよ」
「工夫でLV12の魔物がフリーズドライになって崩壊するか普通ゥゥゥッ!!!」
後ろから佐伯が叫びながら走ってきた。
「悠人くん! あなた『硬化』まで使えたの!? しかも何よあの硬度! 戦車の装甲板だってニードル・ベアの爪なら引き裂かれるのよ!? それを制服で弾き返すなんて……!」
「いや、ちょっと表面を硬くしただけだって」
「『ちょっと』のレベルが地球規模でおかしいのよ!!」
佐伯は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
陣内分隊長は深々と息を吐き出し、俺の肩に重い手を置いた。
「……天羽。お前が何を隠しているのか、あるいはどんな特殊な天啓を受けたのかは知らん。だが……お前のおかげで、この拠点の人間全員が救われたのは紛れもない事実だ」
陣内分隊長はまっすぐな目で俺を見つめ、姿勢を正して敬礼を送ってきた。
「感謝する。市立西高校防衛駐屯隊を代表して、礼を言わせてくれ」
「……どうも。まあ、俺もここで静かに学校生活を送りたいだけですから」
俺は照れくさそうに頭をかいた。
こうして、結界ジェネレーターの復旧と外敵の撃退により、西高校避難拠点の危机は一旦去ったのだった。
だが――俺の「目立たずにひっそりサバイバルする」という野望は、今回の件でますます遠のいてしまったような気がしてならなかった。




