第23話:自称・覇者との遭遇と、温かい紅茶
世界が変貌を遂げてから、早いもので数週間が経過していた。
アスファルトの裂け目から謎の巨大植物が芽吹き、壊れた電柱のてっぺんには怪鳥が巣を作り、コンビニの自動ドアの前には相変わらずゴブリンが体育座りをしている。
そんな荒廃した現代日本の日常に、人々も少しずつ順応し始めていた。
「……ふむ。やっぱり冷え込んできたな」
俺——天羽悠人は、肩に担いだリュックサックの位置を直しながら、呟いた。
季節は秋から冬へと差し掛かっている。
世界がこんな状態になっても、地球の自転と公転は休んでくれないらしい。
電気やガスのインフラは途絶えがちになり、暖かい飲み物や食べ物の価値は日増しに跳ね上がっていた。
「あー……温かい紅茶が飲みたい」
俺の望みは、いつだって慎ましい。
世界を救いたいとか、最強の探索者になってチヤホヤされたいとか、そんな大層な野望は微塵もない。
ただ、静かに、誰にも邪魔されずに、温かい午後の紅茶を飲みたいだけだ。
俺が足を進めたのは、かつて地域最大級の品揃えを誇っていた大型スーパー『メガ・マーチャント』の敷地内だった。
駐車場には乗り捨てられた自動車が散乱し、ガラス張りの正面玄関は破破されていたが、建物自体は頑丈な鉄筋コンクリート造りだ。
「ここなら、まだ缶詰やペットボトルの在庫が残ってるかもしれないな」
俺は群れるのが嫌いだ。
人は集まると碌なことを言わない。「足並みを揃えろ」だの「全員で協力して分配しよう」だの、面倒なルールを押し付けてくる。
だから俺は、常に単独行動を貫いている。
自分の身は自分で守り、自分の欲しいものは自分で調達する。それが一番気楽でいい。
そう思いながら、暗がりとなったスーパーの自動ドアを潜り抜けた、その時だった。
「おい、そこ動くなッ!!」
怒号が、暗い店内を激しく振動させた。
「……ん?」
俺が足を止めると、食料品売り場の奥から、ぞろぞろと十数人の男たちが現れた。
中央に立つのは、派手な刺繍が入ったスカジャンを着た、ガラの悪い大柄な男だ。金髪に染め上げた髪を逆立て、手には大きなバールを握りしめている。
周りの男たちも、鉄パイプや木刀を手に提げ、俺を威嚇するように取り囲んだ。
「けっ、またノラ野郎が迷い込んできやがったか。ここはなぁ、俺たち『ブラック・スカル』の陣地なんだよ!」
金髪の男がバールを肩に担ぎ、唾を吐き捨てるように言った。
「……ブラック・スカル?」
あまりに安直なネーミングに、俺は思わず首をかしげた。
中学生の黒歴史ノートから抜け出してきたような名前だ。
「テメエ、俺様を知らねえのか!? 近隣の工業高校を締めてた、黒木大吾様だぞ!」
男——黒木は、誇らしげに胸を叩いた。
どうやら、世界が変わる前はただの不良グループの頭だったらしい。
このスーパーの豊富な備蓄を占拠し、逃げ込んできた一般人を脅して支配下に置いているようだ。奥のサービスカウンター付近を見ると、怯えた様子の生存者たちが肩を寄せ合っているのが見えた。
「で? その黒木さんが、何か用か? 俺はただ、ペットボトルの紅茶を探しに来ただけなんだが」
俺が淡々と答えると、黒木は不快そうに眉をひそめた。
「ハッ! 呑気なこと言ってんじゃねえぞ、ガキ! ここにある物資はなぁ、全部『強者』である俺様の所有物なんだよ! 欲しけりゃ、命以外の全財産と、手持ちの食料を全部置いて行きな!」
「いや、断る。俺のリュックには、俺が今日食べる分のパンしか入ってないし」
「なら死ねってことだ! この世界はなぁ、強い奴がすべてを奪う弱肉強食なんだよ! 俺の【スキル:微振波】の恐怖を、その身体に刻み込んでやるッ!」
黒木がバールを高く掲げると、その周囲の空気があざやかに歪み始めた。
恐らく、世界変貌時に発現した戦闘系スキルだろう。
ステータス画面を見るまでもなく、彼からはそれなりの魔力量と、自惚れから来る圧力を感じた。
「死ねやぁぁぁッ!!」
黒木がバールを振り下ろす。
次の瞬間、空気を切り裂くような衝撃波が放たれ、俺の足元のアスファルト……ではなく、スーパーの床タイルが激しく爆ぜ飛んだ。
バチィィィンッ!!
爆風と土煙が店内に巻き起こる。
奥にいた生存者たちが「キャーッ!」と悲鳴を上げた。
「ハハハハッ! どうだ! これがSkill Lv.2にまで高められた【微振波】の威力的……」
黒木が高笑いを上げかけた、その時。
煙の中から、俺は普通に歩いて出てきた。
「……うーん、埃っぽいな。掃除大変そうだ」
「な、なんだと……!? 直撃こそ避けたが、衝撃波の余波を食らって平気な顔だと!?」
黒木が目を見開く。
俺としては、ただ普通に立ち止まっていただけだ。
彼の放った衝撃波は、確かに一般人なら吹き飛ばされる程度の威力はあった。だが、現代社会の荒波をソロで生き抜いてきた俺の身のこなし(というか、とっさに横に一歩ずれるだけの動作)を破るには、少々威力が大雑把すぎた。
「おいおい黒木さん。スキルを使うのはいいけど、クールタイム(CT)の管理は大丈夫か?」
俺は親切心から尋ねた。
この世界で一般人が使うスキルには、必ず『使用後の隙』が存在する。
彼が今放った【微振波】も、連続で放てるような代物ではないはずだ。
案の定、黒木は顔を引きつらせ、バールを構え直しながらジリジリと後退した。
「く、くそっ……! なんでそれを知ってやがる……! だが、たかが15秒だ! 15秒経てば、またお前を粉砕できるんだよ!」
「15秒か。結構長いな」
俺はため息をついた。
やっぱり、一般のスキルは不便だ。
15秒も無防備になるなんて、命がけの戦闘中だったら致命的すぎる。
それに比べて——俺の【スキル:神】によって開放されたスキルたちは、実に扱いやすい。
俺はリュックのサイドポケットから、途中の自動販売機の残骸から拾い上げておいた、冷え切ったペットボトルの紅茶を取り出した。
「冷たいままでも飲めなくはないんだが……やっぱり、温かいのが飲みたいんだよな」
俺はペットボトルを両手で優しく包み込んだ。
そして、脳内でステータス画面を開く。
そこには、先日新たな実績を解除した際に獲得した、実に地味で、誰もが見捨てるようなゴミスキルが鎮座していた。
【所有スキル】
・【Skill Lv.1:温微熱】
※効果:対象の表面温度を0.1度上昇させる。
※消費MP:0
※クールタイム:なし
「対象の表面温度を0.1度上げる」だけ。
文字通りのゴミスキルだ。1回使ったところで、ぬるま湯にすらならない。冬場の外気にかかれば、一瞬で冷やされて終わりだ。
だが——俺には、消費MPゼロ、そして『クールタイムなし』という反則的な仕様がある。
「よし……いけ」
俺は、ペットボトルに向けて【温微熱】を発動させた。
1秒間に、およそ十万回。
秒間100,000回の【温微熱】連射。
1回につき0.1度の下降・上昇補正。
それが一瞬のうちに十万回重ねがけされると、どうなるか。
「——熱ッ!?」
シュウゥゥゥゥゥッ!!
瞬時に、ペットボトルの中の液体が猛烈な勢いで沸騰を始めた。
キャップの隙間から高圧の蒸気が吹き出し、ペットボトル容器が極限まで膨張する。
「おっと、やりすぎた。温度調節が難しいな」
俺は連射速度を即座に秒間三千回まで落とし、熱を均一にならした。
ほんの0.1秒の出来事である。
冷え切っていたペットボトルの紅茶は、いまや湯気を気持よく立ち上らせる、完璧な飲み頃の熱々紅茶へと変貌していた。
「……は?」
バールを構えたまま、黒木が間抜けな声を上げた。
彼だけではない。周りの不良たちも、奥の生存者たちも、全員が目を丸くして俺の手元を凝視している。
「て、手品か……? お前、火系のスキルを持ってるのか!?」
「いや、ただの【温微熱】だよ。ちょっと表面温度を温めるだけのやつ」
俺はキャップをキュッと回して開け、熱々の紅茶を一口啜った。
「ふぅ……うま。生き返るな」
「ふざけるなアァァッ!!」
黒木の顔が怒りで真っ赤に染まった。
15秒のクールタイムが明けたらしい。彼は再びバールを大上段に振りかざし、俺に向かって突進してきた。
「俺様をバカにしやがって! その余裕ぶったツラを、ペシャンコにしてやるッ! 【微振波】——ッ!!」
至近距離からの衝撃波。
避けるには少々間合いが詰まりすぎている。
「面倒だな……」
俺は左手でペットボトルを持ち、空いた右手(掌)を黒木に向けてかざした。
やることは変わらない。
ただ、対象をペットボトルから、目の前の空気……および黒木の身に着けているバールに変えるだけだ。
【Skill Lv.1:温微熱】。
発動。
連射速度——毎秒五十万回。
ゴオォォォォォォォッ!!!
瞬間、黒木の掲げたバールが、太陽の表面のような赤黒い光を放ち始めた。
「ひぎゃあああっ!?? 熱い、熱いいいっ!?」
衝撃波が放たれるより早く、極限まで加熱された鉄のバールがドロドロに溶け落ち、床へとなだれ落ちた。
それだけではない。超高熱の熱波が黒木の前髪を焼き焦がし、彼の着ていたスカジャンが一瞬で煤へと変わる。
「うわあぁぁぁっ! 助けてくれぇぇっ! 燃える! 溶けるぅぅぅっ!」
黒木は尻もちをつき、必死に後ろへと這いずり回った。
彼が手にしていたバールは、すでに床のタイルを溶かしながら、ただの赤黒い金属の塊と化している。
俺は発動を止めた。
ほんの数秒。
それ以上続けていたら、空気そのものが熱膨張で爆発を起こしていたかもしれない。
「……ふう。やっぱり【温微熱】は威力の調整が難しいな。もっと精密に連射数をコントロールできるようにならないと、普段使いには危険だ」
俺がひとりごちると、店内は静寂に包まれた。
不良たちは全員、恐怖で膝をガクガクと震わせ、武器をぽろぽろと落としている。
彼らの目には、俺が何か恐ろしい上位の極大魔法でも唱えたように映ったのだろう。
「ひ、ヒィィィッ……! 化け物……! 化け物だぁぁっ!」
「黒木さんが一瞬で……!」
不良たちがパニックを起こし、蜘蛛の子を散らすようにスーパーの外へ逃げ出していった。
残されたのは、腰が抜けて立ち上がれない黒木と、奥で呆然としている生存者たち、そして——マイペースに紅茶を飲む俺だけだ。
「さて」
俺は黒木の方へ一歩踏み出した。
「ひっ……! ご、ごめんなさい! 命だけは! 命だけは助けてください天羽様ぁぁッ!」
黒木は地面に額を擦り付け、猛烈な勢いで土下座をした。
さっきまでの威勢はどこへやら、完全に涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「いや、殺さないよ。俺は別に悪党を倒しに来た正義の味方じゃないし」
「へ……?」
「俺が欲しかったのは、これだけだから」
俺は足元に転がっていた段ボール箱から、未開封のペットボトル紅茶のパックを引き抜いた。
「これ、もらっていくぞ。代わりに、俺が途中で拾った缶詰を置いていくから」
リュックから缶詰を一つ取り出し、床に置く。
等価交換だ。これで泥棒扱いされる筋合いはない。
「あ、あと……奥の人たちを解放してあげたら? 支配ごっこなんて面倒なだけだろ。一人で生きていく方が、気楽でいいぞ」
俺はそう言い残すと、背を向けた。
「あ……あにき……」
「……ん?」
黒木が、涙目で見上げてきた。
「あにき……俺、感動しました! 圧倒的な力がありながら誇示せず、命を奪わず、ただ一本の紅茶のために去っていく……! これぞ本物の『漢』だ! 俺、一生天羽あにきについて行きますッ!」
「は?」
何を言っているんだ、こいつは。
「いや、ついて来ないでくれ。俺は群れるのが嫌いなんだ」
「はいっ! お邪魔にならないよう、陰ながらお慕い申し上げますッ!」
話が全く噛み合わない。
不良の思考回路というのは、どうしてこう極端なのだろうか。
俺は深くため息をつきながら、スーパーの出口に向かって歩き出した。
「はぁ……やっぱり人と関わるとロクなことがないな。早く家に帰って、静かに紅茶を飲もう」
手に持ったペットボトルからは、まだ心地よい温もりが伝わってきていた。
【Skill Lv.1】のゴミスキル。
使いようによっては、冬場の最高の相棒になってくれそうだ。
俺は小さく微笑むと、魔物がうろつくアスファルトの通学路へと、一人で足を踏み出したのだった。




