第21話:音速の残影と、西武園プラザの絶望
――ドドォォォンッ!!
ソニックブームが引き起こす衝撃波が秋空を震わせ、雲を真っ二つに切り裂く。
足元にある縦横三センチのコンクリート片――ただの「石ころ」に片足を乗せた天羽悠人は、超高周波上下微振動と指向性振動波の爆発的な推進力によって、音速の壁を遥かに超えて上空を一直線に飛んでいた。
「おおっ……! これ、思ったより風圧がすごいけど、めちゃくちゃ快適じゃん!」
悠人はポケットに両手を入れたまま、足元の石ころに微細な重心移動を加えた。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】という、一般的には何の役にも立たない【Skill Lv.1】のゴミスキル。
だが、MP消費ゼロ・クールタイム完全無効という反則的な仕様と、一秒間に数万回という異常な超高周波微振動を組み合わせることにより、空気抵抗をゼロにしつつ重力を完全に殺す飛行術――『超高周波上下微振動・反重力擬似浮上法』が完成していた。
街並みが遥か下方に流れていく。
崩壊した高速道路や、乗り捨てられた車で埋め尽くされた国道、至る所で煙を上げる住宅街。
地上では、魔物の群れに追われた生存者たちが必死に逃げ惑っている姿が点々と見えたが、悠人の目的地は一箇所だけだ。
「北西へ十キロ……あ、あれか!」
視界の開けた先、小高い丘の麓に広がる巨大な建造物群が見えてきた。
かつて地域最大級の複合商業施設として賑わっていた『都立西武園プラザ』だ。
広大な駐車場と三層構造のショッピングモールを囲むように、高さ三メートルを超えるスチール製の防衛隔壁が張り巡らされていた。
しかし――その防御線は、いまや無残にも瓦礫と化していた。
「……うわぁ、想像以上にボロボロだなあ。あんなにデカいショッピングモールなのに」
悠人は空中で軽く眉をひそめた。
西武園プラザを包囲しているのは、これまで見かけたような緑色の皮膚をした単体の【ゴブリン】や、ブタの顔をした【オーク】だけではなかった。
漆黒の甲殻に包まれた身長三メートルを超える四足歩行の異形――【甲殻鎧獣】。
さらに、空を覆い尽くすように旋回する巨大な翼手竜の群れ――【ガーゴイル・レイダー】。
そして、群れの中心に鎮座する、全身から粘着性の強酸液を撒き散らす超巨大な魔導生命体――【アジッド・スライム・キング】。
数百体、いや千体を超える「新型」の魔物たちが、避難所として機能していたショッピングモールの本館へと雪崩れ込んでいた。
モールのガラス扉を打ち破り、中央吹き抜けの大広間に追い詰められた生存者たち――その数、およそ八百名。
「ひぃぃぃっ! 救援は……自衛隊や能力者の救援は来ないのかよ!?」
「嫌だ……喰われたくない……っ! お母さん……っ!」
「隔壁の防衛班は全滅した! もう弾薬も魔法の魔力も残っていない……っ!」
悲鳴と泣き声が、吹き抜けの天井に虚しく響き渡る。
広場の前線では、かつて警察官や警備員だった能力者たちが、ボロボロの盾と折れた魔導剣を構えて血を流しながら立っていた。
その中央で、胸元に「通信班長」の腕章を巻き、ショートカットの髪を汗で濡らした若い女性――高城 凛が、途絶えた無線機を必死に叩いていた。
「くっ……ダメ……! どこからも応答がない……っ! 北条高校の校内放送に繋がったはずだけど、あんな遠くに届くわけが……っ!」
凛は悔しさに唇を噛み締め、迫り来る甲殻鎧獣の群れを見上げた。
重厚な甲殻を鳴らしながら、異形の牙が凛たちの喉元へと迫る。
誰もが目を閉じ、完全な死と破壊の終わりを覚悟した――その瞬間。
――ドドンッ!!
ショッピングモールのガラス天井が、音速の衝撃波とともに内側から鮮やかに打ち砕かれた。
降り注ぐ無数の強化ガラスの破片の中、秋空の光を背にして、一人の高校生がポケットに手を入れたままスーッと空中に舞い降りてきた。
「あ……え……?」
凛をはじめ、絶望に沈んでいた数百人の生存者たちが、ぽかんと口を開けて頭上を見上げる。
降ってきたのは、武装した警察でも、勇壮な能力者集団でもない。
ダサいリュックを背負い、どこにでもいそうな制服姿の男子高校生――天羽悠人だった。
悠人は空中で足元の小さな石ころからトンと床に着地すると、目の前に広がる凄惨な惨状には一切目もくれず、キョロキョロとモール内の案内看板を見回した。
「えーっと……目的の『輸入お菓子専門店・ワールドスイーツ』は……あ、一階の奥か。よかった、まだ建物ごと潰されてはいないみたいだな」
生存者たちの絶望の渦中で、男は心底安堵したように、呑気に呟くのだった。
【第22話:一瞬の静寂と、理不尽な害虫駆除】
「……は?」
血と悲鳴が飛び交う西武園プラザの中央広場で、通信班長の高城凛は自分の耳を疑った。
頭上からガラス天井を突き破って現れた少年。
一瞬、奇跡の救世主が現れたのかと全生存者が息をのんだというのに、その口から飛び出したのは「輸入お菓子専門店」という、あまりにも場違いで狂気染みた単語だった。
「小……高校生……!? あなた、どこから入ってきたの!? ここはもう魔物の巣窟で――」
凛が叫び終えるより早く、獲物を横取りされたと感じた巨躯の【甲殻鎧獣】が、地響きを立てて悠人へと躍りかかった。
人間の胴体など容易に噛み砕く鋼鉄のハサミと、衝撃を吸収する漆黒の重甲殻。
その巨体が、悠人の頭上から押し潰すように襲いかかる。
「危ないっ!!」
凛が悲鳴を上げた。
だが、悠人は振り返りすらもしなかった。
面倒くさそうに溜め息を吐きながら、ポケットの中で右手の指を軽くだけ鳴らす。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
――超高密度指向性・広域空気振動波(害虫駆除モード)。
ドバババババババババッ――!!
空中を飛び交う無数の強化ガラスの破片と、床に落ちていた砂利。
その一つ一つに【石ころを浮かせる】超高周波微振動が瞬時に伝播し、目に見えない絶対殺傷範囲が形成された。
ドガァァァァンッ!!
悠人の頭上に迫っていた甲殻鎧獣の重厚な甲殻が、触れることすら叶わず、空中で分子レベルの振動に耐えかねて粉々に破砕した。
肉塊すら残さず、一瞬で黒い塵となって広場全体に霧散していく。
「……え?」
凛の思考が完全にフリーズした。
弾丸すら弾くあの甲殻鎧獣が、手が触れるどころか、彼が指をひと鳴らししただけで消滅した。
だが、異常事態はそれだけに留まらない。
事態を察知した天井付近の【ガーゴイル・レイダー】数十体が、甲高い咆哮を上げて一斉に悠人へ向けて急降下を開始した。
さらに、広場を埋め尽くしていた数百体の魔物たちが、津波のような怒号とともに殺到する。
生存者たちが「もうダメだ!」と目をつむった。
しかし、悠人は自分のトートバッグの紐をかけ直しながら、ぼやいた。
「まったく……お店の方へ行く道塞がないでよ。ポテチが潰れたらどうすんの」
――パチン。
二度目の指パッチン。
次の瞬間、ショッピングモール全体が、目に見えない超巨大な音波振動の波に飲み込まれた。
ズドドドドドドドッ――!!
吹き抜けの広場を埋め尽くしていた数百体の魔物たち、そして上空を旋回していたガーゴイルの群れが、まるで「目に見えない巨大なハエたたき」で叩き潰されたかのように、一瞬で同時に地面へと叩きつけられ、そのまま粒子となって爆砕した。
血の一滴すら悠人の制服に飛ぶことはない。
一秒前まで生存者八百人を絶望の淵に叩き落としていた「千体の新型魔物の群れ」が、たった二回の指鳴らしで、跡形もなく消滅したのだ。
広場に残されたのは、壊れたエスカレーターと、ぽかんと口を開けた八百人の人間、そして静まり返ったモール内だけだった。
「よし、道が開いたな」
悠人は何事もなかったかのように足を動かし、一階奥の『ワールドスイーツ』の店舗へと歩き出した。
その背中を、凛をはじめとする生存者たちは、神を見るような、あるいは未知の天災を見るような恐れと戦慄の眼差しで見つめ続けることしかできなかった。
【第23話:輸入ポテトチップスと、過剰な感謝】
「おお……あったあった! これだよ、これ!」
半壊したお菓子専門店の店内に入った悠人は、棚の奥に奇跡的に無傷で残っていた海外製のビッグサイズポテトチップス――『サワークリーム&オニオン味』と『シーク salt&ペッパー味』の袋を見つけ、満足そうに頷いていた。
トートバッグの中に丁寧にポテトチップスを三袋敷き詰めると、ついでに近くにあった外国製のキャラメルキャンディも数個放り込む。
「よし、これで当分はおやつに困らないな。わざわざ十キロ飛ばしてきた甲斐があったわ」
悠人がホクホク顔で店を出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
広場に集まっていた八百人の生存者たちが、通信班長の高城凛を先頭に、全員が床に膝をつき、最敬礼の姿勢でひれ伏していたのだ。
「ひぇ……何これ」
悠人が引きつった声を上げると、凛が涙を溢れさせながら、声を震わせて叫んだ。
「あ……ありがたき幸せ……っ! 我ら『西武園プラザ避難所』の命を救ってくださった孤高の絶対者様……ッ!!」
「いや、俺はただポテチを買いに来ただけで――」
「お戯れを……っ! このような壊滅的な戦場に、たったお一人で空を飛んで駆けつけ、指一つで千の魔物を滅ぼされたお姿……! これが奇跡でなくて何だというのですか……っ!」
八百人の避難民たちが、口々に「神だ……!」「西武園の救世主様だ……!」と叫び、地響きのような歓声と感謝の祈りを捧げ始めた。
(うわぁ……北条高校のおじさんたち(東町サバイバーズ)と同じタイプの人たちだこれ……)
悠人は露骨に嫌そうな顔をした。
これ以上ここに残っていると、変な崇拝の輪に巻き込まれて面倒くさいことになりそうだ。
「あー……うん。みんなが無事ならそれでいいよ。俺、学校に帰るから」
「ま、お待ちくださいッ! お名前だけでも……! 我らにお命を救っていただいたお方の御名をお教えくださいっ!」
凛が必死の形相で縋り付いてくる。
「天羽悠人。じゃ、そういうことで」
悠人は足元の「石ころ」に再び【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】の超高周波微振動を注入した。
シュババババッ!
ふわっと身体が浮き上がると、悠人は壊れた天井の穴に向かって一気に跳躍した。
――ドドォォォンッ!!
ソニックブームの衝撃波を残し、悠人は輸入ポテトチップスの詰まったトートバッグを大切に抱えながら、北条高校の方角へと音速で飛んでいった。
残された西武園プラザの広場で、凛は胸の前で手を組み、空を見上げながら呟いた。
「天羽悠人様……。自らの手功を一切誇らず、ポテトチップス一袋の買い出しという『仮面』を被って我々を救ってくださったのですね……っ! なんという高潔で奥ゆかしいお方……!」
こうして、またしても天羽悠人のあずかり知らぬ場所で、新たな「天羽様神話」が爆発的に拡散していくのだった。
【第24話:平穏な放課後と、広がる天羽様神話】
――ドドォォォンッ!
北条高校の屋上に、音速の帰還を果たした悠人の足音が静かに響いた。
屋上の扉の隙間から恐る恐る覗き込んでいた桐島蓮や佐伯葵、そして警戒班の生徒たちは、出撃からわずか二十分足らずで戻ってきた悠人の姿に目を疑った。
「あ……天羽……ッ!? お前、まさかもう帰ってきたのか……!?」
桐島が屋上へ飛び出してくる。
「おう、帰ってきたぞ。西武園プラザ、結構遠かったわ」
悠人はトートバッグから、大事に持ち帰った『サワークリーム&オニオン味』のポテトチップスを取り出し、満足そうにパンパンと叩いた。
「はい、これ。無事に買えたわ」
「ポ、ポテトチップス……!? 本当に買い出しに行っていたのか……ッ!?」
桐島が驚愕で固まる中、隣にいた葵が呆れたように溜め息をついた。
「ちょっと悠人くん……向こうの避難所はどうだったの? 救援要請が出ていたけれど……」
「ああ、なんか変な虫みたいな魔物がたくさん集まってたけど、邪魔だったからまとめて掃除しといたよ。避難所の人たちも全員無事だったみたいだし」
「ま、まとめて掃除……!?? 千体近いって言われてた新型の群れを……!? たった数分で……!?」
桐島たちが完全に絶句する。
(十キロ先の巨大戦場へ音速で飛び、買い出しのついでに千体の敵を全滅させて二十分で帰還……! これが……これが『天羽様』のスペックだというのか……ッ!)
教室へ戻った悠人は、自分の席に腰を下ろすと、さっそくポテトチップスの袋をパーティ開けにした。
パリッと香ばしい音とともに、サワークリームの食欲をそそる香りが2年B組の教室内に広がる。
「佐伯さん、食べる? 美味いよこれ」
「……いただくわ。本当に、悠人くんと一緒にいると世界の終わりだってことを忘れそうになるわね」
葵はくすりと笑うと、悠人が差し出したポテトチップスを一枚摘んで口に運んだ。
その放課後。
途絶えていた西武園プラザからの広域無線が復旧し、関東全域の避難所に向けて感動的な緊急放送が流れた。
『――こちら西武園プラザ! 我らは救われた! 北条高校の絶対者・天羽悠人様の手により、千体の魔物は全滅! 繰り返し伝える、天羽悠人様は実在する……っ!!』
ラジオから流れるその声を聴きながら、悠人は「なんか大げさだなあ」と呟き、ポテトチップスを美味しそうに口へ運ぶのだった。




