第2話:孤高の登校、あるいは見えない誤解の始まり
粉砕されたゴブリン・ソルジャーの残骸は、ほんの数秒で霧散するように消えていった。
アスファルトの上に残されたのは、ただ焦げたような微かな匂いと、完全にポカンと口を開けた佐伯葵の姿だけだ。
「……行くよ、佐伯さん」
「――って、ちょっと待ちなさいよっ!」
悠人が再び歩き出そうとした瞬間、へたり込んでいた佐伯が慌てて跳ね起きた。
彼女は自分の剣を消去し、信じられないものを見る目で悠人の背中を凝視している。
「いまの、何……っ!? あんた、いったい何を使ったのよ! 魔力反応もほとんど感じなかったのに、あんな上位のゴブリン・ソルジャーが一瞬で消えて……! それに、あんたのステータス、さっきまで一般人だったはずじゃ……!」
「いや、別に。ただの小石だけど」
「小石って……そんなわけないでしょ! あれは固有の【剣技スキル】とか、高威力の【魔法スキル】の極致だわ……っ! もしかして、あんた隠しスキル持ちの特異個体なの!?」
「うるさいな、朝から推理小説みたいなこと言ってると遅刻するぞ」
悠人は佐伯の剣幕を全く相手にせず、そのままスタスタと歩を進める。
佐伯は「ちょっと、待ちなよ!」と慌ててその後を追いかけるはめになった。
二人並んで崩壊したアスファルトの道を歩きながら、周囲の光景を眺める。
そこかしこで、一般の学生や大人がパニックを起こし、逃げ惑うか、あるいは路地裏で怯えている。中には、勇気を振り絞って自己流のスキルで魔物と交戦している者もいたが、総じて苦戦を強いられていた。
そんな殺伐とした世界の中で、悠人だけがまるで日曜日のショッピングモールでも歩くかのようなマイペースさを崩さない。
「ねえ、悠人くん……怖くないの?」
息を整えながら、佐伯がぽつりと尋ねた。
「何が?」
「だって、外はこんなに化け物だらけだよ? いつ襲われるか分からないのに……」
「面倒くさいことになりそうだなとは思うけど、怖くはないかな。だいたい、ここで騒いでも腹が減るだけだろ」
「……相変わらず、変な神経してるわね、あんたは」
あきれ返りながらも、佐伯はどこか安心したような、複雑な表情を浮かべる。
彼女自身、委員長としての責任感から「みんなを助けなきゃ」「強くならなきゃ」と常に張り詰めていたため、悠人のこのどうでもよさそうな態度が、思いのほか精神的な重圧を和らげてくれていた。
そうして二人が学校の校門に差し掛かったときだった。
「――おい! そこのお前ら、止まれ!」
前方から、威圧的な声が飛んできた。
校門の近くに陣取っていたのは、同じクラスの男子生徒――堂島剛とその取り巻きの連中だった。
堂島は世界変動の直後から体格をいかし、棍棒型の近接スキルを開放して「自警グループ」を気取り、校門周辺の安全を支配しようと動いていた。
「佐伯……お前、無事だったのか。それに、その後ろにいるのは……天羽か?」
堂島は鋭い視線を悠人に向ける。彼の周囲には、数人の生徒が取り巻きとして控えていた。
「堂島くん。私たち、さっきまで……」
佐伯が状況を説明しようと口を開かけたが、堂島はそれを手で制した。
「いい。見れば分かる。あの通学路の途中で、ゴブリンの群れが一瞬で跡形もなく消え飛んだ爆音と衝撃波が聞こえた……あれはお前たちのどちらかがやったんだろう?」
堂島は鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。
「すげぇじゃねぇか、佐伯。お前の剣技か? それとも、そこの無気力そうな天羽の隠し技か。まあどっちでもいい。これからこの学校に入る奴らは、全員俺たちのグループの管理下に置く。物資の分配も、魔物の素材の回収も、すべて俺たちの指示に従ってもらうからな」
見事なまでの勘違いだった。
さっきの超音速弾幕の発生源が悠人であるとは微塵も思わず、堂島は「どちらかの強力なスキルによるものだ」と勝手に解釈し、自分たちの権力づくりの踏み台にしようと目論んでいるのだ。
悠人は、目の前で腕を組んで威張っている堂島を見上げて、心の底から面倒くさそうな顔をした。
「……なんだこいつ。朝から学級会でも始める気か? めんどくさ……」
「なっ……! お前、聞いてるのか天羽! 俺たちはな、この学校の秩序を守るために――」
「いや、いいから通してくれ。遅刻するんで」
悠人は堂島の横を、まるで空気であるかのようにすり抜けようと歩き出した。
その無神経な態度に、堂島の顔が怒気で真っ赤に染まる。
「てめぇ……! 調子に乗りやがって! ちょっと魔物を倒せるからって、集団のルールを無視する奴はな、ここで少し痛い目を見てもらわねぇとな……!」
堂島は怒りに任せ、その手に自分の【重鈍棍】スキルを具現化させ、悠人の肩を乱暴に掴もうと手を伸ばした――その瞬間だった。
悠人はただ、「邪魔だな」と思った。
脳裏に、あの漆黒のウィンドウがわずかにちらつく。
悠人自身は意識していなず、ただ「この鬱陶しい手をちょっと引っ込めさせよう」という極めて日常的な動作の延長として、無意識の泥臭い連射が発動した。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
秒間、数千回の微小な衝撃波。
ボワッ! と、悠人の指先から放たれた目に見えない超高速の振動が、堂島の突撃した腕を正面から捉えた。
「――ぶっ……!?」
衝撃の重さに耐えきれず、堂島は文字通り吹き飛んだ。
巨体がそのまま校門のコンクリート柱に激突し、派手な音を立ててひっくり返る。彼の持っていた棍棒スキルは霧のように消え失せ、堂島はそのまま白目を剥いて気絶した。
静まり返る校門前。
取り巻きの生徒たちは、何が起きたかすら理解できず、ただ口をあんぐりと開けたまま固まっている。
悠人は自分の服の袖を軽く払い、何事もなかったかのように呟いた。
「……なんか勝手に転んで自滅してるし。ほんと、朝からやれやれだな」
そう言って、悠人は周囲の絶望的な視線と驚愕を背中に浴びながら、崩壊した校舎の中へと一人で歩いていくのだった。




