第16話:平穏のひとときと、新たな招かれざる客
「ズルズル……ッ、ズルズル……ッ」
静まり返った2年B組の教室で、プラスチックフォークで麺をすする不躾な音だけが、やけに心地よく響いていた。
窓際の一番後ろの席。
天羽悠人は、カセットコンロのお湯で戻した『ブタメン(とんこつ味)』を、心底幸せそうな表情で味わっている。
ミニサイズのカップの底に残ったとんこつスープを最後の一滴まで飲み干すと、ふぅーっと長いため息を漏らした。
「う~ん、美味かった……。やっぱり、このジャンクな味わいが最高だな。お湯を沸かしてくれてありがとうな、佐伯さん」
悠人が空になったカップをポリ袋に丁寧にまとめながら礼を言うと、隣の席で腕を組んでいた佐伯葵は、呆れたように小さく肩をすくめた。
「どういたしまして。でもね、悠人くん……。外であれだけの地響きがして、あの『市ヶ谷駐屯自警団』の使者まで血相を変えて駆け込んできたのよ? 帰ってくるなり真っ先にやることがブタメンをすするって、いくらなんでも神経が図太すぎない……?」
「え? だって、駄菓子屋のばあちゃんの無事を確認して、ブタメンとあんこ玉を買ってきたんだから、食べるのが筋だろ。伸びたら美味しくないし」
「そういう問題じゃないのよ……」
葵はこめかみを軽く押さえ、脱力したように苦笑した。
彼女自身、世界がこんな状況になってからというもの、毎日のように命がけで魔物と戦い、自分のスキルレベルを少しでも上げようと必死になってきた。
高レベルの剣技スキルを駆使してクラスメイトを守り、周囲から「学級委員長」として頼りにされる日常。
ピリピリとした緊張感の中に身を置き続けていただけに、目の前でただのカップ麺を心底嬉しそうに食べる悠人の存在は、あまりにも浮世離れしていた。
――だが、その「浮世離れした能天気さ」こそが、狂いかけた世界において、どれほど教室の人間たちの救いになっているか、当人はまったく自覚していない。
教室の教壇付近では、クラスのリーダーシップを執る桐島蓮をはじめ、警戒班の男子生徒たちが何やら熱心に話し込んでいた。
「おい……天羽はブタメンを食べ終えたぞ」
「ああ……。第一中学校のエリアボス(オーガ・キング)を一人で片付けてきた直後だというのに、あの余裕……。食欲すら普通に満たしてみせるなんて、メンタルが怪物級だ……」
「それに、佐伯とのあの掛け合いを見ろよ。俺たちじゃ天羽に気安く話しかけることすらためらうのに、佐伯はごく普通にお湯を沸かして渡している……。あいつもただ者じゃないぞ」
「やっぱり、あの二人は『領域』が違うんだ……俺たちは邪魔にならないよう、しっかり足元を固めるぞ!」
勝手な畏怖と補正が、教室の男子生徒たちの間で着々と強固なものになっていく。
悠人はそんな視線など露知らず、トートバッグの中からもう一つの戦利品――『あんこ玉』を取り出した。
きな粉がたっぷりとまぶされた、手のひらサイズの可愛らしい和菓子だ。
「よし、食後のデザートといきますか」
「あ、それ……『竹内駄菓子店』のあんこ玉? 懐かしいわね、小学生の頃よく買いに行ったわ」
葵が懐かしそうに目を細める。
「だろ? これ、一口で食べると口いっぱいにあんこの甘みが広がって最高なんだよ。……ん、佐伯さんも一個食べるか? まだ三個あるし」
「えっ? い、いいの……? 貴重な甘味なのに……」
「いいよ。お湯沸かしてもらったお礼」
悠人がつまようじで刺したあんこ玉を差し出すと、葵は少し照れくさそうに「ありがとう」と言って受け取った。
そのまま小さなお口でパクリと頬張る。
「……んうっ! ふふっ、美味しい……っ。昔と全然変わらない味ね」
「だろー? ばあちゃんの手作りだからな。いやぁ、マジで駄菓子屋が潰れなくてよかったわ」
悠人が能天気に笑うと、葵もつられてくすりと微笑んだ。
血と硝煙の匂いが漂う崩壊した世界において、この2年B組の窓際だけは、確かに「平和な日常」の空気が残されていた。
――しかし。
その穏やかな時間を切り裂くように、校舎の遠く――正門前の方角から、けたたましい車装機関銃の掃射音と、激しい怒号が響き渡った。
タタタタタタタタタタッ――!!
ズドォォンッ!!
「きゃああっ!?」
「な、なんだ何が起きた!?」
教室内の生徒たちが一斉に悲鳴をあげ、窓際へと駆け寄る。
桐島が素早く窓を開け、正門前を鋭い目で見下ろした。
「正門前だ……! サバイバーズの防衛線が破られたのか……!?」
正門前に陣取っていた「東町サバイバーズ」の武藤剛造たちが、何者かによって吹き飛ばされ、道路脇の瓦礫へと叩き付けられているのが見えた。
煙を上げながら正門を破って校庭へと強行突入してきたのは、重装甲を施された軍用の装甲車。
その車体には、蛇が剣に巻きついた不気味なエンブレムが塗装されていた。
装甲車のハッチが開き、中から全身を黒いタクティカルギアで包んだ重武装の男たちがゾロゾロと降り立ってくる。
その数、およそ二〇名。
全員がアサルトライフルや高出力の魔導兵器を構え、統率の取れた動きで校庭へと展開していく。
そして、その中央から、一人の豪奢なコートを羽織った男が悠然と足を踏み出してきた。
背中には巨大な大剣を背負い、両腕にはギラギラと怪しい光を放つ魔導装甲を装着している。
男は残忍な笑みを浮かべながら、校舎の二階――2年B組の窓辺に向かってメガホンを掲げた。
「ハッハッハ! ここが最近、この界隈で『絶対不可侵領域』だの『理の化身』だのと不吉な噂を撒き散らしているガキどもの巣窟か!?」
男の声が、スピーカーを通じて校庭全体に爆音で響き渡る。
「俺は近隣の物流倉庫一帯を統制する広域武装勢力――【黒蛇組】の組長、蛇島 巌だ! 聞こえているか、天羽とかいう調子に乗ったガキ!!」
蛇島と名乗った男は、足元で血を流して倒れている武藤の頭を、ドカリと踏みつけながらせせら笑った。
「この周辺の物資と生存者は、すべて俺たち黒蛇組が管理・支配する! 降伏して俺たちの奴隷になるか、ここで皆殺しにされるか……えらべぇっ!!」
圧倒的な暴力と殺意。
2年B組の教室内に、再び凍りつくような絶望と緊張が走った。
「くっ……『黒蛇組』……! 噂には聞いていたが、警察の武器庫を襲撃して重装備を整えた、悪質なならず者集団だ……!」
桐島が歯を喰いしばり、拳を握りしめる。
葵も即座に腰の腰剣に手をかけ、厳しい表情で窓の外を睨みつけた。
「悠人くん……相手は人間だけど、完全に殺意を持って襲ってきてるわ。どうする……?」
葵が隣の悠人に問いかけた。
しかし――。
当の悠人はというと、あんこ玉の最後の一粒をつまようじで刺し、口の中に放り込んだところだった。
もぐもぐと咀嚼しながら、悠人は窓の外の装甲車と黒蛇組の男たちを、至極めんどうくさそうな目で見下ろしていた。
(……なんだあのおじさん。めちゃくちゃでかい声でメガホン使って……。校庭の砂ぼこりが舞って、せっかくのあんこ玉にジャリッて砂が入るところだったじゃん)
悠人の思考回路は、どこまでもマイペースで、そして「自分の平穏を害する者」に対して極めて容赦がなかった。
「ちょっと下行ってくるわ。あのおじさん、声がでかくてうるさいし」
悠人はトートバッグを肩にかけると、静かな足取りで教室の扉へと向かうのだった。




