第15話:帰還の余韻と、ブタメンの湯気
「北条市立第一中学校」のグラウンドに漂っていた絶望と惨劇の空気は、天羽悠人が去ったあと、完全な歓喜と混乱へと変わっていた。
「さ、神だ……! あのお方は、我らを見捨てずに救ってくださった救世主だ……っ!」
「ただ一振り手を開いただけで……四メートルを超えるオーガ・キングと、その群れが全滅した……! どんな領域魔法なんだ……!?」
泥と血に塗れた「市ヶ谷駐屯自警団」の隊員たちが、涙を流しながらアスファルトにひれ伏している。
体育館から溢れ出してきた数百名の避難民たちも、互いに抱き合い、遠ざかっていく青いクロスバイクの背中に向かって必死に祈りを捧げていた。
だが、当の本人はというと――。
カチカチと変速ギアを切り替えながら、悠人は快適に秋風を切っていた。
「やっぱりギア付きは楽でいいな。上り坂もスイスイだわ」
トートバッグの中には、奇跡的に無傷で手に入れた『ブタメン(とんこつ味)』と『あんこ玉』が収まっている。
途中の通学路で、オーガ・キングの全滅を知らずにウロウロしていた【ゴブリン】や【オーク】の生き残り数匹が襲いかかってきたが、悠人は視線すら合わせなかった。
【石ころを1ミリだけ浮かせることができる】
走行時自動展開――周囲一〇メートル微細衝撃波。
ズザザザザッ!!
悠人が通り過ぎる一瞬の間だけで、魔物たちは接近することすら叶わず、空中で弾けて黒い塵へと変わっていく。
ペダルを漕ぐ足を止めることすらなく、悠人はあっという間に自校――「県立北条高校」の正門へと帰還した。
「あ……っ! 天羽様がお戻りになられたぞーっ!!」
正門前で警戒に当たっていた「東町サバイバーズ」のリーダー、武藤剛造が、悠人の姿を認めるやいなや絶叫した。
「全員、整列ッ! 救世主様のお戻りだ!!」
武藤の号令一発、数十名のサバイバーズの男たちが一斉に左右へ分かれ、直立不動の姿勢で深々と頭を下げた。
あまりの統率の取れぶりに、悠人はクロスバイクを滑り込ませながら首をかしげた。
(……なんかすごく道を開けてくれるな。このおじさんたち、すっかり警備員さんに定着してるけど、お給料とかどうなってんだろ)
「お疲れさ~ん」
悠人が適当に手を振って正門をくぐると、武藤たちは感極まった面持ちで「ハッ! ありがたき幸せっ!!」と声を揃えた。
駐輪場へ向かい、クロスバイクを丁寧にスタンドで立て、鍵をかける。
ハンドルやタイヤのまわりに飛び散った泥をポケットティッシュで軽く拭き取ると、悠人はトートバッグを抱えて校舎へと向かった。
ベタつく廊下を通り、2年B組の引き戸をガラガラと開ける。
教室内の空気が、一瞬にして静まり返った。
教壇の前に集まっていた桐島蓮や佐伯葵、そして警戒班の生徒たちが一斉に悠人へ視線を注ぐ。
「あ……天羽……ッ! 無事だったのか……!?」
桐島が息をのんで駆け寄ってきた。
その顔には、無事への安堵とともに、第一中学校の方角から響いていたあの凄まじい地響きと、それが一瞬で途絶えたことに対する「計り知れない恐怖と敬意」が混ざり合っていた。
「おう、帰ってきたぞ。駄菓子屋も無事だったわ」
「だ、駄菓子屋……!?」
桐島が絶句する。
(そうか……第一中学校周辺の災厄を単身で鎮圧し、さらに補給拠点(駄菓子屋)の確保まで完了させたというのか……ッ! なんという手際の良さ……! 天羽にとって、エリアボス級の魔物の群れなど、買い出しの『ついで』に過ぎないというのか……!)
またしても繰り広げられる、クラスメイトたちの壮大な勘違い。
悠人は彼らの眼光の熱さに全く気づくことなく、自分の席――窓際の一番後ろへと歩を進めた。
隣の席では、葵が呆れ顔と心配が混ざったような表情で立ち尽くしていた。
「ちょっと悠人くん……本当に一人で第一中学校まで行ってきたの!? 外から凄まじい咆哮と、地響きが聞こえてたのよ!?」
「ああ、なんかデカい赤鬼みたいなのが暴れてたな。駄菓子屋のガラスが割れると困るから、どいてもらったけど」
「ど、どいてもらったって……あんな巨大な魔物を……!?」
葵が言葉を失っていると、悠人は自分の机の上にトートバッグから取り出した『ブタメン』をぽんと置いた。
「それより佐伯さん、一階の給湯室ってお湯出る? ブタメン食べたいんだけど」
「えっ……? お湯……? ブタメン……?」
「うん。とんこつ味。三前分くらいのお湯があれば足りるんだけど」
世界が崩壊し、地域最悪の災厄が滅ぼされた直後だというのに、目の前の男が一番気にしているのは「カップ麺のお湯の有無」だった。
葵は深々と溜め息をつくと、肩の力を脱力させた。
「……出ないわよ、いま水道も電気も止まってるんだから。でも……給湯室に非常用のカセットコンロと、冷やしてないミネラルウォーターなら残ってるわ。沸かしてあげようか?」
「マジで!? サンキュー佐伯さん! やっぱり頼りになるわ!」
パッと顔を輝かせる悠人。
葵はくすりと小さな苦笑を浮かべると、カセットコンロと小さな小鍋を準備するために教室を出て行った。
その光景を見ていた桐島をはじめとする男子生徒たちは、ただただ圧倒されていた。
(あ、あの絶対者(天羽)に……ごく普通に『ブタメンのお湯』を供給する佐伯……! あいつもあいつで、大物すぎる……!)
やがて、小鍋で沸かされたお湯がブタメンのカップ注がれ、三分間の静かな待ち時間が訪れた。
とんこつスープの香ばしい匂いが、緊張感の漂う2年B組の教室内にふんわりと広がっていく。
悠人はプラスチックのフォークを取り出すと、ふうふうと息を吹きかけ、一口麺をすすった。
「う~ん! やっぱり駄菓子屋のブタメンはこれだな! スープが体に染みるわ」
満足そうに微笑む悠人の姿。
その姿は、世界の終わりの中でも絶対に揺らぐことのない、「日常の象徴」そのものだった。




