領域侵犯 11
「まず、私の目的から」
ダイアナはレイの目をまっすぐ見つめて話し始める。
「私の目的はあなたの保護とあなたの持つ《産声》の保護よ。理由は《領域侵犯・第一審》を防ぐため。でも、どうやら《黒波》が堕ちたようね」
「黒波……ですか?」
「そう、小娘……って言ってもわかんないか。レナ・アレストライに与えられたディゴスシリーズだよ」
「ちょっと待ってください」と、レイはダイアナの話を遮る。
「レナ先輩の武器が奪われたって……レナ先輩は大丈夫なんですか?」
「はっきりとは分からないけど、多分大丈夫よ。もともとあなたの護衛は私ともう一人で行うはずだったんだけど……多分あいつ、あなたと小娘を間違えて現場に向かってるのよね。私ほどではないにせよ、そこそこに腕の立つ信用に足る人物だよ」
その言葉にレイはほっと胸をなでおろす。
「話を戻すね。実は第七番の《月桂冠》はそれ単体では大したことは出来ないんだ。第七番に与えられた権能は主に二つ。この世のありとあらゆる魔術、魔法の条件付きの無効化、そしてこの世界で発動されてきたありとあらゆる魔術の再現。でもね、どちらにせよ使用者の技量に依存するのよ。特に禁術なんて人間には絶対に不可能。だからこそ、他のディゴスシリーズと共鳴させる必要があるの」
「だから敵は僕を狙ってきたと……」
そうなるね、とダイアナは肩をすくめる。
「そしてここからが大事なんだけど、私たちは現状ディゴスシリーズを使うことができないの。共鳴自体は離れていても相互に起こるもので、あなたの持つ《産声》も私の持つ《裁定者の杖》も何が起こるかわからない」
「でも、手はあるんですよね」
その言葉にダイアナはニヤリと笑い、「もちろん」と答える。
「この状況を打開するカギはアエデスよ」
「アエデス理事長ですか?」
「そうそう。アエデスは、本当は死霊系魔術に特化してるの。とは言え、そもそも魔術は不得手だけどね。でも、この状況において彼女以上に使える存在はないでしょ。それに、《月桂冠》と渡り合うには並の武器じゃ弱すぎる。それこそディゴスシリーズで戦いに行きたいとこだけど……」
「共鳴が起こるかもしれないってことですね」
レイの言葉にダイアナは満足そうに答える。
「ずいぶんと飲み込みがいいじゃない。まぁ、だから今回は私たちは大したことはできないの。さっき使ってたのも《裁定者の杖》じゃなくて大昔に私が使ってたやつだし、スペックとしてはゴミもいいところよ」
ダイアナは少し険悪そうな表情をした。
「でもアエデスは違う。あの子はレインロッドの遺産の《闇影鏡》と《死の杖》を持ってる。スペックはディゴスシリーズより少し劣るけど全然問題ない。それに死霊形の魔術は《領域侵犯・第一審》と相性がいい。とどのつまり、私たちの次の目標はアエデスとの合流の後《領域侵犯・第一審》を打開し、目下の敵を殲滅すること。ちょっと事情があって、あなたを安全な場所に連れて行くってことはできない……その事情を話すこともできない。でもあなたの安全は必ず保証するわ。だから付いてきてくれる?」
ダイアナはレイに向かって右手を差し出した。そしてレイも答えるように右手を差し出した。
「よろしい、それじゃあさっきからドンパチうるさいあの妹弟子のところに行ってみようかな」
「え?」
レイは困惑した。なぜなら先ほどまで一切の音なんて聞こえなかったからだ。しかし、ダイアナは爆心地に向き直る。
「さぁて、これを止められなかった落とし前、二人でつけようじゃない……アエデス」
ダイアナはそう言うとレイを抱き寄せる。
「えっ、ちょっ!」
レイは体勢を崩しつつもなんとかダイアナに縋り付く。
「さぁ、あなた、久々に踊りましょう。《飛翔》」
そんなレイのことを気にも留めずダイアナは浮遊魔術を使い、地面からレイを抱えたまま浮かび上がる。そして、ダイアナは呟く。
『《繝?ぅ繧ケ繝代?繧ク繝ァ繝ウ》』
次の瞬間、結界にヒビが入り粉々に砕ける。それと同時に結界にのしかかっていた魔人が四方八方から一気に押し寄せる。
魔人たちはドロドロに溶けつつも形を保つゲル状の体を変形させ、槍のように鋭くした腕でレイ達を串刺しにしようと攻撃する。しかし、ダイアナは一切動じることはない。
「しっかり捕まっててね」
まるでこの程度は危機に値しないかのように冷静にレイに声をかける。
『《穿て》』
その言葉に従い空気中にある魔子が雨粒のように極小の球体のようにまとまり無数の銀光を放つ塊になる。そして、それは四方八方にいる魔人めがけて放たれる。
半球状の魔人の塊の隙間から銀光が一筋、二筋の線を描き漏れ出る。そして筋は三つ四つと増えていく。
「はい、おしまい」
ダイアナの宣言通り、半球状に集まった魔人はダイアナの魔術の前にあっけなく砕け散る。それと同時にダイアナはレイを抱えたまま空高くまで舞い上がった。
「た、高い! それに寒い!」
「そう? 言っても魔術大会の空中要塞より低いけどね」
ダイアナとレイは王都全域を見渡せるほどの高さであり、かつ雲までは届かないほどの高さで浮遊していた。
「あそこだね」
ダイアナはぐるりと辺りを見渡し、目標を見つけた。
「それじゃあ、行こっか」
時は少し遡る。
「クソッ! 手こずった! これではお師匠様に顔向けできないぞ!」
アエデスは爆心地に向けて走っていた。普段の優雅な口ぶりは何処へやら口の悪い独り言を話していた。
「やつら、明らかに私を警戒してる。戦力的に警戒すべきは魔女だろうに!」
数分前、アエデスは破滅の狂人の末端構成員と交戦していた。個々の戦力は圧倒的に低くとも数が多ければ苦戦というよりも単なる作業の繰り返しによる苦痛と時間を食われる焦燥感を感じさせられていた。
「こんなことになるんだったら、先に呪いの解呪を申告するべきだった!」
アエデスは真理の裁定者の中でも群を抜いて魔術の扱いが下手である。しかし、それを埋め合わせるだけの別のものを備えていた。それが『加護』である。普段は王国側との呪いを通じた契約に基づいて抑制されているが、それをすべて解き放つことができればアエデスは真理の裁定者の中で三番目に体術に優れた存在になれるだろう。
より走る速度を上げようかとしたとき、目の前の瓦礫から人影が何個も飛び出してきた。
「真理の裁定者に裁きを!」
「我ら狂人!」
「破滅を神々に!」
有象無象はアエデスに向かって突っ込む。自分の何段格上の存在なのか理解していないかのような特攻。しかし、アエデスが真理の裁定者であることは理解できているゆえに滲み出る狂気。
それに対してアエデスは拳を固める。
「邪魔だ!」
アエデスは勢いそのまま、空気の爆ぜる音とともに二十人ほどいた有象無象を殴り飛ばす。
「失せろ!」
そしてそのまま走り出す。
しかしその瞬間はアエデスの到着よりも早く訪れた。
「なっ!」
二つの小さな人影が空に向かって舞い上がる。それと同時に嫌な、大地を汚す感覚が足の爪先から頭のてっぺんまで駆け巡る。
「……兄弟子」
突如としてアエデスの脳内に押し寄せてくる確かに昔あった記憶。
『兄弟子! 今日は何しますか? えっ、昼寝? 駄目ですよ! 師匠に怒られます!』
『兄弟子! ここの部分教えてください! えっ、馬鹿だから無理だって……そんなこと無いですよ!』
『兄弟子、大丈夫ですか? その、最近体調が優れなさそうに見えたので……そ、そうですか。気をつけてくださいね』
『兄弟子! 今日師匠から褒められたんです! えへへぇ〜』
どれもこれもまだ何も起こってなかった時の記憶。
『兄弟子! なんで……なんでベルベットを殺したんですか! ……知る必要はないって……そんなのお納得できない!』
『兄弟子、教えてください……私、馬鹿だから。あなたは何がしたかったんですか……』
『私にはあなたがわかりませんでした。もし、兄弟子の言う理想郷がいつか訪れるのなら、私は甘んじて封印を受け入れます』
『最後まで俺のことを兄弟子って呼んだのはお前だけって……当たり前じゃないですか、だってあなたは!』
『……三百年、経ったんですね。これが、あなたの言う理想郷ですか? これが……か』
『私はあなたを赦しません……絶対に』
(これはっ!)
魔子が震える。本来記憶の奥底に眠っているはずのものが激しい頭痛とともに蘇る。そして轟音とともに黒い波が押し寄せてくる。
(兄弟子……私はあなたを決して赦さない)
アエデスはもう一度拳を強く握り直す。アエデスの前方百メルまで闇の潮が迫っていた。
(でも、あなたの教えは私の中で生きている!)
「禁忌だろうが知ったことじゃない! 使えるものはすべて使う!」
アエデスは胸辺りから一枚の小さな紙片を取り出す。長い時間とともに既にくたびれ、ヨロヨロになった紙片だ。そこには細かく魔法陣が刻まれていた。
『《残響!》』
毒をもって毒を制すとはまさにこのことだろう。巨大な鐘の音が鳴り響く時、魔術はそのあり様を変える。
「鳴り響け!」
《領域侵犯・第一審》は常人の考えを遥かに上回るほどの因果改変が重ねられる。本来存在しうることのない生命をこの世界に作り出し、手駒にし、自在に操る。そのすべてのプロセスを理論立てて実行する。それは、魔術的に見ても理論的に見ても相応の因果改変が行われていることを意味する。
そして、それは大地を侵しながら広範囲に広がっている。それ則ち、大撃の狼煙である。
因果改変の残留が、余波が、音となり辺りに響き渡る。それは破邪の高潔さを纏う純白に近い音色ではなく、力を持って力を制すような、魔を滅するに相応しいドスの効いた低轟音であった。
音が周囲に広がるのと同時に魔人が木っ端微塵に弾け飛ぶ。しかし、その影響は術者にまで及ぶ。
「この痛み……久々だ」
いくら不死の真理の裁定者と言えども痛みを感じないわけではない。まして禁術の因果改変の余波ともなれば通常のそれを遥かに凌ぐ。例え神々の法であっても到達することは叶わない。
「節にいるというのに……この衝撃」
四方八方から押し寄せる波の押し引き。それらが互いに干渉しあい、弱まる位置にアエデスは立っていた。立っているというのに、アエデスの肩、腕、膝、足先、そして首の皮膚の広い範囲にわたって鈍器で殴られているかのような鈍い衝撃が走り続ける。
しかしそれは裏を返せば節にいることのない魔人にはアエデスの受ける何倍もの衝撃が迸っていることを意味する。
音に触れた魔人がはじけるようにパンパンと消し飛ぶ。黒いヘドロの飛沫が空気中に広がり視界がほんの少し暗転する。
(ごめんなさい……せっかく生まれた命なのに……)
しばらくすると、音は収まり、視界も晴れる。
《残響》の効果範囲はアエデスが予想していたそれよりもほんの少しだけ広かったらしく、半径千メルの範囲で魔人が消え去っていた。
アエデスは小さくため息をついた。
「さて、そろそろ出てきたらどうだ? ダイアナ」
しかし、アエデスの言葉に答える声はない。
「それともそこで運よく残った瓦礫を消し飛ばせば出てくるのか?」
「……あらら、バレちゃった?」
そこまできて、やっとダイアナは姿を現した。ダイアナはアエデスに向かって歩き始めたが、何かにふと気がついたように立ち止まる。
「っと、その前に」
ダイアナの指がパチンと弾けるような音を立てるのと同時に半径五百メルほどの半球状の結界が展開される。
「んー、我ながら完璧……って思ったけどコバエが入ったかな」
ダイアナが後方を振り向くとそこには光の翼を広げ、一人の女性を腕に抱いた女がいた。
「やっと合流できました! ダイアナさーん!」
「ゲッ、リファーゼ」
その女はゆっくりと降下しながらダイアナたちに向かって飛行してくる。
「あれは……レナ先輩!」
リファーゼはダイアナの目の前にゆっくりと降り立った。
「あら、小娘も」
「ダイアナさん、この子の容態を確認できますか?」
「……何があったの」
レイはリファーゼとダイアナの近くまで寄った。リファーゼの腕に抱かれたレナは、目を虚ろにし、口も半開きになりながら目の焦点も合わない様子で力なく項垂れていた。
「敵主犯と思われる男性と接触した後、この子が持っていた武器を奪い、男は逃走。そしてそのすぐ後にこの子の様子がおかしくなって、錯乱状態になり、しばらくなだめるうちに落ち着いて、それと同時に領域侵犯が発動しました。私一人なら造作もないのですが、一向にこの子が動こうとしないのでしょうがなく空に浮かんで待機していました。その時に爆発音と、男の子を連れたダイアナさんが見えたのでこちらに来た次第です」
リファーゼの説明を聞いてダイアナはレナの顔を覗き込む。そしてしばらく考えた後、ハッとしたように目を見開いた。
「まさか……人の身でありながら、第五の壁を越えたというの」
ダイアナはすぐにリファーゼからレナを預かる。
『《開けゴマ》』
ダイアナが左手で円を描き、そこにできた門にレナを入れる。
『《閉じろゴマ》』
「ダイアナさん、何をしたんですか?」
「一時的に私の武器庫に送ったわ。大丈夫あそこには優秀な私の部下が住んでるから、しばらく容態は安定し続けるわ」
リファーゼの質問にしっかりとダイアナは答えた。間接的にではあるがそれを聞いてレイも安心した。
「話の腰を折って悪いが、結界を張ったところで、大元を叩かなくては意味がない。それに何でその子供まで連れてきているんだ……」
アエデスはダイアナの目の前まで行き話しかける。
「ちょっと! 察してよ!」
ダイアナは慌てたように、されどレイに聞こえないように小声でアエデスに訴えかけた。
「カッコつけたいからに決まってるでしょ!」
「はぁ……」
アエデスは思いっきりため息をついた。少しほおを赤らめるダイアナにレイは、何を話しているんだろうと少し疑問に感じた。
それにダイアナは咳払いをして話し始める。
「と、取り敢えず! リファーゼが来たんなら私たちにできることは増えるわ」
「あぁ、ダイアナの言いたいことはわかった。私の《闇影鏡》を使いたいんだな」
「だいせいかーい、それにこの子は魔術を無効化できるし、やっぱり連れて行くわ」
「……全く」
アエデスの嘆息にダイアナは「リファーゼも来たんだし、大丈夫よ」と返す。アエデスは、そんな破天荒さが滲み出るダイアナに少し嫌気がさしていた。




