領域侵犯 04
あの頃は幸せだった。私の家は貴族だった。でも王都の北東に小さな領地だけ与えられただけで、暮らしぶりは大して平民と変わらず、少し違うことがあると言ったら少しお金があって、勉学とか、鍛錬とか、自由にできる時間が多いこととか、使用人を雇ってるとか、まぁそう言うとやっぱり違うけど、最低限の貴族だ。
「はぁ、はぁ……これで終わり!」
私はいつも通り体を鍛えていた。筋トレをしてランニング、剣の素振りに体術の型の復習。決まりきった日常。でも不満はなかった。日々成長しているのを実感できていたし、本当に不満なんてなかった。
「おねえさまー!」
屋敷の庭の芝生の上で横になって休んでいた所、入り口から可愛らしい声が聞こえてきた。その声に疲れなんか吹っ飛んでしまう。
「レイー!」
思いっきり跳ね起きて声のした方向に走り出す。ちっちゃな体をぴょこぴょこと動かしながら声の主もこっちに向かってくる。
腕を伸ばしてヒョイッとその体を持ち上げる。勢いそのまま、ぐるりと一回転するとキャッキャッとはしゃいでくれる。
私の弟、今年でちょうど五歳になる。
「えへへ」
胸に抱き寄せて頬ずりをするとレイも私の背中に届かないなりに頑張って腕を回してくれる。
「今日もレイは可愛いね」
そう言って私はもうちょっと力を入れてそのちっちゃな体を包み込む。
「……むぅ! むぅ!」
でも少し力が強かったみたいでジタバタと暴れ出した。しまったと思いながら力を緩めると「ぷはぁ!」と言って顔を上げる。
「ご、ごめん……」
ごめんねと言おうとしたところでレイが口を開いた。
「おねえさま、くさーい」
「なっ!」
全身の力が抜ける。そう言えばまだ汗拭いてなかった。
「そ、そんにゃ〜」
ショックを受けてへたる私を余所にレイはてくてくと私から離れて行く。
「ま、待って! 汗拭くから! もうちょっとお姉ちゃんと一緒いよ! ね!」
「やー!」
明確な拒絶。
「あ、あはは……」
私は目を虚ろにして庭の芝生のうえに横になる。
どれくらい横になっていたのか、長い時間が経った気がする。汗も拭けていないし、もうそろそろ部屋に戻るかと思ったとき。またテトテトと小さな足音がした。
「おねえさま、ぬの、もってきたよ」
私はバッと跳ね起きる。そしてすぐさま弟のもとまで駆け寄る。
「ありがとー!」
思わず抱きつこうとしたところ、サッと身を引かれ、私は大人しく布だけもらって汗を拭くことにした。最近胸が出てきて下着との隙間ができたせいで蒸れるようになってきた。できることならここで上裸になって全身を拭きたいところだけど、さすがにそれは弟の教育上よろしくない。
ある程度拭き終わったところで私は立ち上がった。
「よいしょっと。それじゃあレイ、ご飯にしようか!」
「うん!」
元気な返事。初々しくて汚れがない、純白で愛らしい笑みをレイは浮かべた。私はレイの歩調に合わせるようにゆっくりと歩いた。するとレイは私の手を弱々しくもしっかりと握ってきた。可愛すぎてどうにかなってしまいそうだった。
昼食まで済ませて午後になると、私とレイは離れ離れになる。
レイは生まれながらにしての眷属だった。
そんなことは本来滅多にない。眷属になる条件として神々に見初められる事が必要だ。そして見初める基準として最も有力視されているのが「才能」そして「成果」。だからこそ、それがはっきりしない赤子で眷属になる、つまり生まれながらの眷属になるということは滅多にない。
不思議なことにレイがどの神の眷属なのかははっきりと分からなかったが、確かに眷属なことは間違いなかった。
この国では眷属はその出自に関わらず眷属は皆いずれ王都で教育を施される。そこで少しでも有利であるために貴族や、商人の子供の眷属は事前に教育を施すことが多い。私の家もそれに沿っていた。
私は眷属じゃないからその教育は施されない。その代わりに私には当主としての教育が施される。家督はレイが眷属になったことで私に引き継がれるらしい。さっき不満なんてないって言ったけど、やっぱり不満かもしれない。
夕食が近づくと私達の教育は区切りを迎える。私はレイの部屋まで迎えに行く。
扉を三回叩くとレイの教育係が扉を開け、中から元気よくレイが飛び出してくる。それを私は抱きかかえる。
「おつかれー! レイ!」
「おつかれさまです! おねえさま!」
レイは生まれながら頭が良かった。きっと主神から愛されたんだろう、何かしらの恩恵があったのか未だ五歳ながら発音は年相応ながらも敬語を使いこなし、大人でも答えるのに困るような質問をしてきたりする。きっとレイが今勉強してることも相当高度なことなんだろうなぁって思ってたりする。
「それじゃあレイ、ご飯にしようか!」
「うん!」
手をつないで二人並んで廊下を歩く。食事をとる部屋まではそんなに遠くない。でも、この短い時間だけでも幸せを感じていた。
「おねえさま! かみ、くしします!」
「あら! してくれるの? それならお願いしようかな」
お風呂上がり、レイがブラシを持って私の部屋までやってきた。髪はすっかり乾ききったからちょうどブラッシングをしようと思っていたところだった。
私がお願いすると「むふー!」と自慢げな顔を浮かべる。
ゆっくりと小さな手がゆっくりと私の髪に触れる。
「おねえさまのかみ、サラサラできれい」
「ふふっ、ありがとう」
最近は髪も伸びてきてレイはブラッシングのしがいがあるのか満足そうだ。
「レイも綺麗な白髪だよ」
「えへへ、おねえさまといっしょ!」
ブラッシングが終わると私たちは眠りにつく。レイにはレイの部屋があるけど、私がわがままいって一緒に同じベッドで寝てる。
「おやすみなさい、おねえさま」
「おやすみ、レイ」
今日もなんてことない一日が幸せに終わった。
嵐は前触れなく訪れた。
その日は何故かなかなか寝付くことができなかった。仕方がないと思ってベッドから降りて窓際の椅子に座る。ふとベッドに視線をやるとそこにはレイの愛くるしい寝顔があった。遠目でもそれが見えて思わずクスッと笑ってしまった。
しばらくしたがそれでも眠気は訪れず、むしろ不安感が混ざってきた。
「なんでこんなに綺麗な夜空なのに少し胸騒ぎがするのかしら……」
私の心の中と、外の景色の乖離がどんどん激しくなる。普段通りの夜、普段通りの空、普段通りの寝顔。そのはずなのに、違和感が消えない。その事実が私の不安にさらに拍車をかける。
「あれは……星?」
ぼーっと空を眺めているとさっきまでなかった赤い光が夜空に浮かんでいた。しかもそれはみるみるうちに明るくなる。
「違う!」
眠気が一切無かったおかげか、冷静な判断ができた。星の明るさが変わるわけがない。それならあれは何なのか、魔術に決まってる。それに夜空に浮かんでいて明るさが変わることも確認できる。それなら相当の大きさのはず。
思考したのは一瞬だった。
私は咄嗟にレイの方向に走り出した。
椅子がガタンと音を立てて倒れる。同時に窓の外から紅い光が一瞬でブワッと入り込んでくる。私が吹き飛んだのはレイを抱きかかえる前だった。
「グハッ!」
壁に向かって吹き飛ばされ、背中を強打する。
「何が……レイ」
ひとこと一言発音するのと同時に胸がギシギシと痛む。辛うじて目を開けることができた。
「へ?」
目の前に広がるのは異界だった。部屋中を炎と煙が包み込み、さっきまでレイと二人で寝ていたベッドは焼け果て、天幕が音を立ててガラガラと崩れる。壁は吹き飛び、床を燃える炎が夜空を燃やしていた。
「レ、イ……レイ!」
軋む胸を無理やり押さえつけながら、パチパチと音を立てる火花が肌を焼く痛みを堪えながら、炎に自分の髪が焼けるのも気にしないで私は床を這ってレイがさっきまでいたベッドのもとまで向かう。
レイは簡単に見つかった。
「おねえさま!」
レイはベッドから少し離れた布団の山から出てきた。布団に包まれていたおかげか、怪我はないように見える。今いるところからレイまでは少し距離がある。私が這ってレイのもとまで向かおうとした瞬間。目の前に人が降り立った。
「あっ、生きてたんだ。レナちゃん。全く本家の人間は運がいいね」
「ネイラン……叔母さん」
そこからの記憶ははっきりしない。ただ覚えているのは叔母がレイを連れ去り、共犯者が私の背中を刃物で刺した。必死に手を伸ばしてもレイの手には届かない。深い失意と絶望感、そして死にかけたことだけだ。
私は助かった。運が良かった。
お父様とお母様は死体で見つかったと聞かされた。見るも絶えない炭になりきった身体だったらしい。辛うじて骨から魔子が得られ、解析したところ両親だと判明したらしい。
弟は行方不明になったという。
涙は流れなかった。
私は真っ黒な絶望の中「復讐」という言葉に縋ることを決めた。そうでもしないとどうにかなってしまいそうだった。レイが褒めてくれた自慢の髪も焼け焦げてしまい、一旦すべて剃り上げた。
傷が治ってからの私の行動は一貫していた。
体を鍛え、技術を磨き、世界を知り見聞を深めること。それが復讐への切符だと信じていた。
ある日夢を見た。
真っ黒な空間にひとりぼっち。目が開いているのかそれとも閉じているのかも分からない空間に私はいた。
「レナ・アレストライ」
頭のなかに声が響いた。
「汝は復讐を望むか」
私は大きく頷いた。
「汝は敵を恨んでいるか」
やることは同じ。
「汝の手は敵に終焉を与えることを望んでいるか」
「もちろんだ!」
私は声を張り上げた。
目が覚めると、私の部屋には一振りの鎌が立てかけてあった。
その日、私は終焉の神に見初められた。
鎌に手を伸ばす。
私は悟った。そして高らかに宣言した。
「これは私の復讐だ!」
いつからか《黒波》は私の支えになった。




