13
「ふぅん」とゼロダは言った。「ってことは、訴訟要件が厳格ってわけね。そういう本案に入る前の」
「そうね。訴訟要件は、口頭弁論終結時に満たされているかを判断するので、本案と同時に審理されることになるけど、結構厳格ね。訴訟要件について、体系的に纏めてあげても良いけど、その場合、体系とは何か、ということが問題になるわよね。人によって作る体系が異なっていたり。それでも、例えばパンデクテン方式のように、一つの纏め方が最も整理されているという理由で皆が用いるようになることはある。訴訟要件についても、そのようなものは存在する訳よ。そして、それは、今や、図書館で調べれば、すぐに分かる。沢山の人が既に研究しているからね。けれど、私は、あえて、そのような調査をせずに、ここで体系化を行なうわ。何故、そうするのかって?それは、図書館に行くのが面倒だからよ。図書館に行くとなると、今から、この部屋を出て、羽根を伸ばし、城の向こう側まで飛ばなければならない。それから羽根をしまい、カウンターで名乗って、中に通して貰わなければならない。けれども、私は既に、司書から目を付けられているのよ。数十冊の本に珈琲を零したという罪状でね。だから、私であるということがバレたら、弁償を催促されるの。それが億劫で。珈琲の件は、確かに私にも非があるけれど、統計学上の必然でもあるわけよ。なぜなら、必ず、毎年、一定数がインフルエンザに罹るでしょ?一定数が自殺するでしょ?一定数が子供を作り、一定数が結婚や出産の機会を奪われる。そういった事柄と同様に、一定数が図書館の本に珈琲を零すわ。そして、私は、ここ数年、合計して、人の数十倍の本を図書館から借りていた。そして、人の数倍、読書中にうたた寝をしていたの。珈琲を横に置いたままね。そうするとどうなるか。一人がそういうことを二度行なうのも、二人が一度ずつ行なうのも、統計的には同様に数えられるとして、私が数十人分の仕事をした故に、賠償債務が集中してしまったわけよ。そこで、司書達も遂に怒り始めた。でも図書館への立ち入りが禁止になったわけではない。図書館は公共物であり、更に自由の象徴であるという側面があるから。でも、貸出禁止にはなったわね。それで、どのように体系化するか、ということだけれど、近くに見える物から重要だと考えて纏めていくことにする。そうすると、まず、裁判の客体よね。これは、法律上の争訟でなければならない。というのは、法律上の争訟でないものに関しては、判事は全く分からない訳よ。判断を下す権利が無い、というべきかもしれない。法律という枠内に在る事柄についてしか判決は出来ないというわけね。法律という枠内にあっても、さっき言ったように、判事には真実は分からない。判事が真実を知るべきかについても、事実に応じたグラデーションがあるでしょ?例えば、殺人を犯したか否か、これは真実を知らねばならない。真実が分からないならば、犯していないとすべき。でも、停止条件の利益の放棄の意思表示が行なわれたか否か、これは後から行なわれたことにしても、紛争当事者の双方が同意しているならば問題無いわけよ。そういうグラデーションの下で、仮に判事が真実を知ったところで、それが判事の仕事の上で何の意味も持たない事柄も在る訳よ。それが真実だからといって法的な権利義務が形成されるわけでは無い。そういう事柄を法律の枠外と、私は今言ったのよ。だから、それが、第一の訴訟要件ね。誤解を防ぐために言っておくけど、判事が真実を知った、ということ自体が、そういう局面では純客観的にはあり得ない場合も多そうよね。そんなわけで、まず、法律上の争訟性が要求された。しかし、法律上の争訟でも、なんでもかんでも提起出来るわけでは勿論無い。例えば、出訴期間制限にかかるものもある。無論、時効、除斥期間も在る。法律上の争訟にも色々ある。刑事と民事とがある。民事の基礎法令には民法と会社法と行政法がある。基本的な債権…売買代金債権であれば、時効はあるが、他の訴訟要件は原告適格、訴えの利益、被告適格、管轄、二重起訴禁止、既判力、といったところになる。更に、それらの有無を判断するのは比較的容易。後二つは難しいこともあるかもしれんけどね。株主代表訴訟は、原告適格、被告適格の判断がやや独特。株主総会取消訴訟には、加えて出訴期間がある。行政処分の取消訴訟には、加えて処分性という訴訟要件があり、原告適格の判断も難解になる場合がある。仮の救済には、加えて重損要件と補充性がある。民事でも、確認訴訟は訴えの利益がよく問題になる。主観的複数の複雑形態訴訟では、原告適格が問題になる。順番に説明しようか?」
「いいわ」とゼロダ姫は言った。「体系が概ね分かったから。つまり、原告適格、被告適格、訴えの利益、二重起訴禁止、というような当然のような要件に加えて、各々の訴訟形態に応じた要件がある。そして、それぞれの訴訟に応じて、問題になる訴訟要件も変わってくるってことよね。これを共通因数で括り出すとしたら、手続の迅速、適正、公正、公平、円滑、等になるでしょう」
「もう少し大きな値で括れそうだけどね。それは単なる法の理念ぢゃない?」
「真に裁判による救済を望む者のみに対象を絞ることにより、資源の濫費を防止する。他の社会的事情をも勘案して、訴訟に適した、訴訟の対象になり得る紛争自体も絞り込む。資源を効率よく使うことによって、手続進行を円滑、迅速にし、かつ適正、公平、公正なものとする」
「本案の前提となる要件の話だから、役所に対する諸々の申請と同種の事柄ではある。そういう申請については、簡単に通るものとそうでないものとがある。理論的にはね、可能なのよ。例えば深海底の探索だってね。でも、許可要件は無論厳しい。技術的能力や経済的基礎がまず必要とされる。少なくとも、無謀な事業に巻き込まれて死傷者が出るのは目に見えているからね。でも、業者の側からすれば、それは自由の侵害だということにもなりうる。そこで、その利害対立の決着点を決めねばならないというわけよ。これには通常、専門家を使うわね。マァでも、訴訟要件の話もそれと同様で、ある裁判をしようとする人の自由と、他の裁判をしようとする人の自由とが対立している。ただ、後者は一般的抽象的なものともいえる。公益ともいえるわね。その調節の決着点、というのはどう?」
「それを共通因数にするの?確かに理念ではなく現実のものとなったような気はするけど。もう少し大きな値で括れそうぢゃない?」
「共通因数を明確にするのに足しになりそうなもので興味を引く話題は無い?」
「行政処分の取消訴訟は、法律上の争訟に制限がかかっているものなの?それとも、法律上の争訟で無いものを法律上の争訟と同様に扱うものなの?」
「法律上の争訟で無いという考え方は、それは何?議院自律権の話で、地方議会議員の懲戒について部分社会の法理或いは議院の裁量の極大化のようなものはあったけど。それでも令和二年頃には出席停止については裁判所の判断が及ぶとされたわよね。そもそも、行政の行為を裁判できないとすると、法の支配に致命的な打撃が与えられるんぢゃないかしら。勿論、行政の行為を裁判所が裁判する絶対的な必要は無い。仏蘭西のコンセイユ・デタだって通常裁判所ではなく、行政裁判所だ。しかし、そもそも現代の行政の業務は法律の範囲で動いている。法治主義、法律の留保、法律の法規創造力。通説たる侵害留保説は、侵害的行政処分については法律の根拠が必ず必要で、それに反すれば違法となるとする。寧ろ、行政は、法律によって雁字搦めにされているんだ。故に、行政処分の取消訴訟は、法律上の争訟に制限がかかっているというべきなのだ。では、なぜ、制限がかかっているのだろう。制限の内容を確認してみると、行政の処分が行なわれた場合、それが違法であっても、取消訴訟により違法が確定するまでは有効として扱われるという公定力が処分の性質として存在する。そして、取消訴訟には、一般の民事事件と異なって出訴期間制限があるし、処分性、原告適格といった訴訟要件の判断が厳格に対象を絞るものになっている。そのような制限が無い場合を仮定すると、処分性や原告適格については制限が設けられていないため、処分が違法だ、と感じたならば、それを裁判所に訴え出て、その処分が所謂処分であるにせよそうでないにせよ、違法であれば取り消せる。言い換えれば、ある種の義務の不存在確認或いは権利の確認が出来ることになる。出訴期間制限も無い。特段、これでも不都合は無い。現に、亜米利加では、そのような区別、絞り込みは殆ど存在していないと聞く。だから、根本的には、大陸系の流れを組む戦前の行政訴訟法が戦後に抜本的変化を遂げようとしたが、その間に生じた訴えについて制度変化の狭間で右往左往することになった等の事情があって、従来の形式が大きく残された、ということによるところが大きいと見ても良いだろう。しかし、全く合理性が無いわけではない。通常、民事事件は金銭賠償が多く、行為の取消しのみを目的とした訴訟は無い。処分の取消により新たな処分を行なう義務が行政庁に生じても、その内容までは判決に拘束されない。そのような性質上の特殊性がある。それを見越して、行政訴訟においては判事が職権証拠調べを行えるという規定がある」




